第22話
渋谷ヒンメルブラウタワー。そこは渋谷駅からやや南西にある高級ホテルの他にオフィスなども入った巨大な高層ビルの一つだ。
名前は実はうっすらとは聞いたことがあって頭に残っていた程度。だがこの渋谷に住んでいる以上、線路を越えた先に広がる街の中に一際大きくシンボルのようにして建つそれは遠くからでもよく視界に入ってくる。渋谷駅から南西側に用がある時によく通る、ある場所を通行するため全く来たことがないわけではなかった。
ビルの外観が無数の正方形が集まったガラス張りの窓で覆われていて、夜はそこから放たれる暖かな光で輝いている巨塔。高層部分から更に天へと高く延びるそれは、遠くから見るとまるでてっぺんは花火でも打ち上げられそうな筒の形のようである。
タワーは今左手にある、車が常に行き交う高速道路を跨いだ先だ。空に向かって高く伸びていて、一階や二階も建物が下を支える土台のように作られていて、このタワーがでっかいホテルなのだと再認識させてくる。
駅からこちら側に用がある時に決まって通る、ある場所。それは目の前にあるガラスに覆われた横断歩道橋でそのままホテルに直結している。そもそもこの境界線とも言える高速道路には横断歩道が一切ない。首都高がちょうど大きな道路に重なっているためだ。
一見、ホテル利用者だけの専用の通り道っぽい歩道橋は道路の真上を通って左手にはホテルの入口がガラス越しに見える。渡り切ったそこから右に曲がって階段を降りてタワーの敷地から出ることで、首都高も重なった大きな道路を挟んだ向こう側の街に出向く時によく使うわけだ。
この近辺には他にも高層ビルが立ち並ぶが、このホテルはシンボルというぐらい遠くからでも目立つ。歩道橋を渡り、観葉植物が左右に置かれた高級感のある雰囲気とともに自動ドアをくぐると、高価な装飾がされた天井が高いエントランスが広がり、中央のクリスタル型の石のモニュメント近くに置かれた四角く赤いクッションの上に青山の女王が座ってこちらを待っていた。
「お待ちしていました。下校中の所、ご足労頂きありがとうございます」
翡翠が立ち上がって、こちらを見た。
「もしかしてここが滝沢家の一時的な拠点になるのか?」
何となくここまで来てみて思っていたことを口に出す。でないとそうはならない。
「ええ、ここの十七階はレンタルオフィスになっていまして、昨夜長期プランで契約し、朝のうちにセッティングも完了させてあります。ここならば諒花さんの家も近いですし、本部との連携もしやすいです。私も立ち寄りやすいですからね」
なるほどなと頷く。レンタルオフィスと賃貸の違いはよく分からないが屋敷と広大な庭と時計塔を所有する滝沢家の資金ならば、そこは余裕なのだろう。
「会わせたい人っていうのはどこにいるんだ?」
「十七階です。さあ、行きましょう」
翡翠の案内によって奥の通路の複数あるエレベーターのうち一番奥のものに乗り込んだ。翡翠によると、この建物の大半というか、メインがホテルであるため、他の施設に用がある人向けにオフィス用と宿泊客用に区分けされているのだという。エレベーターごとに止まる階層が設定されていて、客のニーズに応えている。平日なのでとても人の行き来が少ない。まるで貸切のようだ。
エレベーターで空気を突っ切って辿り着いた十七階。そこは白い壁に黒い床による高級感と開放感溢れる空間。窓からはこの渋谷のビルが立ち並ぶ壮観な街並みを一望することができる。
「受付っていないのか?」
カラオケのようにてっきり接客スタッフがいるのかと勝手にイメージしていたが違うのかとすぐ納得する。
「オンラインで契約しているので問題ありませんよ。ささ、ここが今日から私達の拠点です」
ドアを開けるとそこは一転して、木の床にクッションのついた椅子と木のテーブルが5セットある。天井からつるされたランプで暖かく照らされた部屋。そこは一般的なオフィスというよりも街角にあるカフェのようでオシャレな空間だった。翡翠曰く、これらは元々あるオフィスの装飾なのだという。
ちょうど中に入ると、一人の眼鏡をかけた青年が椅子に座って机の上にノートパソコンを開いてマイク付きイヤホンで通話していた。
「ではシンドローム、マンティスの両名は引き続き、例のパソコンの解析を。彼女の捜索は我々が担当します」
その青年は丁寧な口調で相手と通話している。零の家で見つかったパソコンの件なのはもう言うまでもない。
「他の者は有事の際、先行部隊は表参道にて迅速に状況確認と情報の収集と対応を、後続部隊は先行部隊から要請が届き次第出撃して下さい」
それを言い終えるとパソコンの通話を終了する──と、その直後に横に置いてあったスマホが軽快な着信音で鳴り響き、素早く手に取った。
「はい、石動です。紫水様。私の出した問題は解けましたか?」
うんうんと電話相手の話していることに頷く。すると、
「ダメです」
ハッキリと言った。えぇーー……という怠いブーイングのような悲鳴が通話先から聞こえてくる。
「紫水様。あなたは理科の追試はギリギリ合格したようですが、今の成績では翡翠様や私の足を引っ張ります。今は学業を優先して下さい。諒花様や黒條零のことは暫く我々にお任せを」
通話を切った青年。謎の女騎士事件の際、情報収集のために三軒茶屋へ行った時も紫水は追試で土曜日なのに制服姿で登校していた。だが今は目の前のこの青年に補習と厳しく躾けられているようだ。
青年は美しい栗色の短髪に丸い眼鏡をかけ、落ち着いた明るい緑色のスーツに赤いタイを巻いた、執事のような様相。
「ちょうど終わった所です。翡翠様、お待たせして申し訳ございません」
青年は立ち上がってこちらの前にやってくる。
「構いませんわ。さ、自己紹介を」
ええ、と頷いた青年はお辞儀をして、
「はじめまして、諒花様」
「本日より、諒花様の補佐、ならびにこの臨時の渋谷支部の指揮を任されました、石動千破矢と申します。以後、お見知りおきを」




