第133話
急遽、早い時間に降臨した現場責任者。彼を滝沢邸入口に停めてある黒い車で発つまで見送るのは黒闇の魔女ハインであった。
「お前はウチの援軍として、ここにいろよ」
車の運転席に乗り込みながら話すスカール。
「勿論よ。忘れるわけないじゃない。私はあくまで見送りだけよ」
「本当か? 俺の車をタクシーと思ってたなら、ただじゃおかねえからな。あと、余計なマネはしてくれるなよ?」
「フフッ、どうかしら?」
「チッ……」
前方の明かりをつけ、苛立ちながら車を飛ばしていくスカール。ハインは表情を変えずに身を翻し、すっかり日が沈んだ滝沢邸敷地内へと戻っていった。
客人である初月諒花、初月花予にとっては初めての滝沢邸での夜が始まろうとしていた――――。
「ふー……」
諒花は足からそっと湯に体を沈めていく。温かい湯の感触が全体をジワリと駆け巡り、戦いで疲れた体をほぐしてくれる。
「仕事終わった後のお風呂ってサイコーだよねえ」
「ああ……」
そう言う紫水と一緒に湯に体を沈め、肩を預け、湯けむりに覆われた浴場の天井を見る。滝沢邸の風呂もやはり昨日の渋谷ヒンメルブラウタワーと同じぐらい豪華な作りだった。さすがに広さはホテルであるあちらの方が上だが。
「レザースーツ脱ぐとホントにアイドルみたいに魅惑的な体してるよね諒花」
「っ……! 紫水も肩とかいい体つきだと思うぞ」
正直、それは照れくさい。美人って褒め言葉は嬉しいけれども恥ずかしい。
「あはは、あたしは諒花ほどないから」
そう言って笑う紫水。ないとは胸元のことだ。確かに紫水の方が自分より控えめだ。が、それでもある方だと思う。普段あまり目立たないだけで。
湯に入りながらこの少し前のことを思い出す――――。
「お疲れ様でした、二人とも」
たまたま鉢合わせたスカールとの交戦後、滝沢邸に戻ってくると翡翠が出迎えてくれた。
「ただいまー、翡翠姉。事務所を取り返してきたよ」
更に遅れて奥から花予もやってきて、
「おかえりー、諒花。ってなんだいその格好!? 黒いぴっちりスーツ……胸元から下まで凄くエロカッコいいんだけど」
「ハ、ハナ……これには事情があってさ」
花予からすれば、ほぼ自分の娘同然の姪が帰ってきたら、いきなりどういうわけかゲームや映画に出てきそうな男物のぴっちりスーツを着ながらも戦う、美しくビューティーな女キャラの格好に変貌していたようなものだ。
「催蜴のアレックス・レカドールに着てきたセーラー服を台無しにされてしまったようですね」
事情説明する前にそれを察した翡翠の言う通りだった。奴の唾液攻撃によって着てきたセーラー服は濡れてしまい、紫水がヌメっけを落としてくれたが、速さにも長けたあのトカゲ野郎に濡れた服で戦うのは不利で、どうもやりづらい。
そこで紫水が紹介してくれたのが事務所の物置に眠っていたこのレザースーツだった。
「花予さん、申し訳ございません。こういう事ならば、別の服を用意すべきでしたよね……」
軽率だったと気づいたようで、申し訳なさそうにその場で謝る翡翠。
「いや、いいんだ。アタシ、いつもの服の方が動きやすかったしさ」
弁解するが花予が途端にニコリと口を開く。
「大丈夫さ、翡翠ちゃん。制服ぐらいまた洗えばいいことだろう? 諒花の服がこうなるのは今に始まったことじゃない」
花予は語る。零が傍らにいつもいた時から、セーラー服は学校での制服に加え、それを着たまま戦闘を余儀なくされたり、そのまま登下校中の成り行きで事件に巻き込まれるケースもあった。
そうやって汚れたり、ボロボロになったり、刃物や銃弾で穴が空いた制服を疲れた自分に代わって影でいつも手直ししてくれたのは花予なのだから。時には自分で裁縫する中、零や歩美が手伝ってくれたこともある。
予備のスペアとなるセーラー服もいくらかある。ちょうど中学に入学する時、渋谷の街角にある古着屋に、卒業生が要らなくなったものを売ったのだろう同じようなセーラー服が安値で沢山売っていた。花予はそれを即大人買いした。それをメンテし、ここまでやってきた。
古着とは思えないほど綺麗なのは花予が厳選したからなのもそうだが、制服なので前の持ち主がきちんと手入れをしていた証拠でもある。
「なるほど……服って大変ですからね」
翡翠はそれを聞いて安堵の表情を浮かべた。
「それにここの洗濯機ってウチの古いやつより凄く良いの使ってるだろう? あれと洗剤使えば一晩で綺麗になるんじゃないかい?」
「あら、なぜそれを……」
「あー、それあたしが教えたんだよ。翡翠姉が部屋で休んでる時に花予さんに訊かれたから」
意外にもここで紫水が口を開いた。零のパソコンの中身を全て見終わった後、レカドールからの脅迫状が届くまでの間の小休憩の時間。
花予はちょうど一段落した時に、席を外していた翡翠が見当たらなかったので、たまたまいた紫水にこう尋ねたのだ。
『ねえ、ちょっとここの洗濯機ってどこにあるか教えて欲しいな』
そう訊かれた紫水が案内したのが屋敷の一階奥にある三段構成で並ぶ、箱の中で渦を巻く無数の洗濯機だった。よく街の片隅にあるコインランドリーを綺麗にしたような部屋だった。滝沢姉妹だけでなく、石動、シンドローム、マンティスなどの幹部達、また倉元など本家の使用人や戦闘員の衣服もここで洗濯し、使用人が管理している。
各洗濯機にはナンバーが振られており、どこの洗濯機に衣服を入れたか分かるように表に手書きで記録もされている徹底ぶりで、洗濯中に休憩するための椅子や自販機も置かれていて、さながら旅館のような作りだという。
そうして、戦いから帰ってきて、夕飯の時間までまだ一時間半ほど早いので、まず二人でお風呂に入ることにしたのだ。
湯で体があったまってきた。
「あのレザースーツって結局なんだったんだ?」
「潜入工作やバイクに乗る時に使うやつだね。残ってて良かった」
「バイクなんて持ってるんだな」
滝沢邸の庭で車が走行できないのでバイクを持っているのが意外だった。
「外の事務所だから別で許されてる感じだね。ウチって屋敷含めて元々は岩龍会の所有物だったものを引き継いだのが始まりだから」
そうなるとあのレザースーツも巡り巡ってあの場所にあったのかもしれない。男物と思ったがちゃんと着れたのだ。もしかしたら女が着ていた可能性だってある。
すると紫水がニヤニヤした様子で、
「諒花は明日もあのレザースーツで戦いに臨むの?」
「なんだよ、着て欲しいのかよ。いや、セーラー服が帰ってくるからそれでいくよ」
レカドール戦を切り抜けられたとはいえ、正直あの格好だと風が大きく吹くとチャック開いた胸元を抜けてスースーした。セーラー服や普段着の方が戦いやすい。
とはいえ、またレカドールみたいな気持ち悪い攻撃をしてくる相手と戦う時や、見せる分にはいいのかもしれない。コスプレしているみたいで。
────浴場で安息の時を過ごす二人。この後もたぶん昼間と同じデリバリーだろうが夕飯が待っている。滝沢家での初めての夜が始まろうとしていた。ここならば敵襲も防げる。
しかし、この滝沢邸の地下には闇を封じ込めた場所がある。そう、滝沢家に囚われた捕虜を拘束してブチこんでおく監獄。今回の抗争で敗れた者達。
そこから密かな話声が聞こえることをまだ地上の者は知らない。
読んで頂きありがとうございました!
前回の第132話に少し改稿を加えまして、密会が終わるシーンに「ハインは上司の見送りだろう。元よりこちらへの援軍として来たと言っていたから。」という旨を追加しました。
ハインは滝沢家の援軍として来てるにも関わらず、スカールと一緒に帰るように見える描写をしてしまったためです汗 申し訳ないです。