第122話
────レトロディア。
それはかつて秋葉原駅から西に位置する電気街方面の7階建ての小さなビルの6階、7階にあったレトロゲーム店。店名の由来はレトロゲームと、理想郷を意味するアルカディアの造語だ。
小さいビルに2階だけとはいえ、そこは日本にテレビゲームという文化が入ってきた1980年代というゲームの黎明期に誕生しては時代に消えていった様々な幻のゲーム機をはじめ、古すぎるかつ生産量が少なく幻と化したソフトも店頭に並ぶほどの店だった。まさに理想郷という店名に恥じない。
花予も秋葉原に足を運ぶ度にそこを訪れ、ゲーム機やソフトを買う常連レベルで通い詰めていたのだが……2020年4月に惜しまれながらも閉店してしまったのだった。
「レトロディアはあたしが諒花を引き取ってから知ったんだけど良い店だった。もっと早く知りたかったなって」
2013年に姉の花凛と結婚相手の諒介が、後にレーツァンが仕組んだことが判明した高速道路上の交通事故で亡くなり、入院していた諒花を妹である花予が引き取った。基本は女手一つで子育てする多忙な花予を心配した知り合いが、レトロゲーマー花予に少しでも息抜きしてもらいたいと、お茶した時に紹介してくれたのがこの店であった。
「前々から経営が立ち行かないとは聞いてて、いざ閉店って聞いた時はショックだったね。苦しくてもやってきたけど、商品の買い手が見つかったから折れたって店長から聞いた」
秋葉原は今もレトロゲーム店がエロゲを扱う店と同じようにひっそりとある。だが、あれほど大きくて店長も気さくで品揃えも良い店は他にあっただろうか。閉店した時は子供の頃によく行ってた近所の駄菓子屋が閉店した時と同じぐらいのショックと寂しさを感じた。
経営難でもやってくれるだけでありがたかった。規模縮小してでもやるべきではなかったのだろうか。でも買い手が見つかったからと受け入れてる店長の様子がどこか寂しかった。折れたという言葉はむしろ折らされたのではないかとも。寂しさと同時にその後モヤモヤが晴れなかった。
「翡翠ちゃん。改めて訊くけど、ここにある宝の山、全部レトロディアのものだったりしないかい?」
表情を変えない翡翠の方を向いて真剣に問う。
「だとしたらどうしますか? 私を恨みますか?」
翡翠は落ち着いていてもどこか寂しげな様子で言った。
首を横に振って、
「違うよ。でもそういう口振りだとやっぱりそうなんだね」
「ええ。閉店するレトロディアの商品を全て買い取ったのは私です」
あの時、店長が言ってた店の商品の買い手の正体。当時は他の違うお店だったのならば、まだ良いだろう。廃棄されるくらいならば経営が安定している売り手の所に行った方が良い。そう考えていた。
けれども暫くして、突如現れた買い手によって、見方によっては買収ともとれる結末で終わったことが寂しくて仕方がなかった。本当はそうではないのかもしれない。でもそうかもしれないと悔しさも出てきた。
「ここにある品は大半がレトロディアにあったものです。でなければこの倉庫も短期間でここまでのものにはならなかったでしょう」
倉庫の中はとても綺麗に整えられていて、店を歩いている時と変わらないレイアウト。それは今はなき理想郷の断片のようであり、受け皿にも見えた。
「それは翡翠ちゃんも考えがあってやったことだろう? だったらあたしは知りたい! レトロディアがなくなった真相を。4年前、何があったんだい?」
すると翡翠は自分が築き上げたこの部屋の景色を見ながら、
「私も実はレトロディアにはよく顔を出していました。それもあって店長のおじさんとは顔見知りでした。ですが――――」
2020年1月。翡翠は閉店直前の夜に久しぶりにレトロディアを訪れた。青山の女王がこんな所にいるのを敵に知られては困るので石動が運転する車でこっそりとお忍びで。
財力を得て、仲間も増えて、立場も落ち着いたので、子供の頃は満足に楽しめなかったゲーム類を買おうと、また久しぶりに店長に青山の女王として挨拶に行こうとした。
閉店直前で入店しても、誰もいない閑散とした静寂に満ちた店内を懐かしさに浸りながら歩き回る。前に来た時にもあったレアなゲーム機も健在。
だがそこで目を疑う光景。店の中で一人倒れている男性を見かけた。店長が倒れていたのだ。脚立が倒れ、高い棚から下ろそうとしたゲームの箱が転がっていた。
『店長!!』
駆け寄ると店長は既に意識が朦朧としていた。すぐに外の車で待っていた石動に電話をかけ、
『石動ちゃん!! 大至急、救急車を呼んで下さい!! 店長が……!!』
訪れたタイミングが良かったのもあり、店長は手遅れにならずに済んだ。救急車で店長を搬送してもらい、石動が運転する車で病院まで付き添った――――だが。
「店長は脳出血でした。私がいた事で早期発見に繋がりましたが、以前から頭痛や吐き気、視力低下などの症状があったようです」
「店長がそれで身を引いたってことかい……」
「きっかけはそうです。今まで私達を喜ばすために、ずっと裏で闘いながら店長やってたのでしょうね」
──なんてことだろう、閉店直前の最後に会えた店長に実は持病があったなんて。全くそうには見えなかった。
ということは約2ヶ月でリハビリし、回復して閉店する4月にあの場に戻って来ていたことになる。早期発見というのが大きかったのだろう。
「それから数日後に無事に退院されて御礼の手紙が来た時、私はレトロディアの閉店をいち早く知りました――」
翡翠が封を開けたそこには助けてくれた御礼と、今回の件で限界を感じたことから、今後これから少しずつ店を畳んで田舎に帰って家族と余生を過ごすことが綴られていた。手紙と一緒にまだ小さい孫娘の写真が入っていた。父親として死ぬまで家族との時間を大切にしたいと。
家族写真の切り抜きである孫娘の写真。思わず目から一滴が落ちた。自分と妹にもあったかもしれない家族との幸せな時間。青山の女王として、泣いてはいけないのに。
閉店となると後処理とか色々大変になる。店長には少しでも長く穏やかな時間を過ごして欲しい────だから、決意した。
『閉店した時にもし売れ残った商品があったら、私が全部買います』
当然いくら閉店と告知しても、商品が完売することはなかった。経営悪化はこういう意味だったのかもしれない。有名どころだけでなくレアモノのゲームソフトや壊れていない貴重なレトロゲーム機も店頭に並べきれない在庫分含めて沢山売れ残っていた。店に商品を入れるガラスケースも買い取ってそのまま倉庫に流用した。
転売目的でやってきた徒党と抗争に発展したが撃退、売れ残りの受け皿役と店舗の後片付けは全て滝沢家が請け負った。
表向きには店長から莫大な報酬を受け取ったことにしているが、実は一円も受け取っていない。費用も全てこちらが持った。それらを成す金も青山の女王として台頭した頃には既にあった。
「あの時、店長が言ってた、折れたって言葉の意味はそういうことだったのか……」
ずっと気にかかって、心に残ってた店長の最後の言葉。それは他者に気持ちを折られたのではなく、店長自らが折れてしまったから。全くの逆だった。
その真相がようやく分かったことで胸がすく。
――翡翠ちゃん、やっぱり根がしっかりしてるし良い子だ。
その時、二人の語らいの場に水を差すようにスマホの着信が鳴る。それは翡翠のものだった。すみませんと一言いって通話に出る。
「勝さん。なんですか? えっ、スカールさんが? 随分とまぁ早いご到着ですことね」
すぐに行きますわ、と翡翠は通話を切ると向き直る。
「すみません、急用ができました」
「あら? スカールってまさか」
昼過ぎの話し合いで名前が出ていた。今回の抗争の要因の一人だ。
「今のダークメアの実質トップ、不死王の異名で呼ばれる大幹部その人ですわ。ちょっと行ってきます」
同時に姉夫婦と諒花の恋人の命を奪った男の部下でもある。
倉庫の中のゲームは好きにやってて構いませんのでと言い残し、翡翠はそそくさと部屋を出ていったのであった。
――翡翠ちゃんも忙しいね……
残念。まあ、夜ならばゆっくり二人でゲームできるだろう。4年のしこりがここで取れたことに安堵した。