第110話
「ひっでぇ臭いだな……」
扉を開けて玄関に入ると、早くも異臭が漂ってきた。
これは死の臭いだ。気が抜けなくなる。建物の中で交戦が発生し、犠牲になった者達の死体が各所に転がっているシチュエーションが容易に予想できた。
そっと歩を進める度に若干の寒気が走る。零がいてくれた時も、こういう時は頼もしくて心の支えだったことを感じる。自分達が現場に着くより前に敵が暴れ回ったことによっていくつもの死体を見ることはあった。だが、怖気づいてはいられない。
「うわっ……!」
分かってはいたけれども、太ももから肩にかけて体が一瞬冷えた。三つほど扉が点在し、二階へと続く階段。
だがその廊下には背中を預けたり、その場にデタラメに仰向けやうつ伏せになって多量の血を流して倒れている滝沢組の組員達が転がる死屍累々。
正直、あんまりじっくりとは見たくない。思わず手で顔を覆い隠す。この時、直感で一つだけ分かったことがある。敵はどうやら刃物、ナイフあるいは剣のようなもので組員達を始末していったということ。心臓を一突きにするよりも直接その体が斬り刻まれているからだ。死体を踏まないようにそっと隙間に足を伸ばして進んでいく。
アレックス・レカドール。強力とされる爬虫類、トカゲに由来する能力を持つ異人なのに加え、刃物も使うとか、いったいどんな奴なのだろうか。
連射して当たらなかった銃弾とピストルが無数に転がっていて、壁やドアにも痕がある。それを避ける身体能力もかなり高そうだ。
屍の転がっている不気味な廊下を抜け、階段をそっと上がる。この時、注意したいのが足音だ。これも零が教えてくれたのだが、階段の響く足音で上にいる敵に気づかれてしまう危険性がある。入口の一人を倒し、まだレカドール含めて四人いるので充分警戒する必要がある。だからつま先からそっと踏み込み、足音を立てず一歩ずつ上がっていく――、
「来やがったな人狼の女!!」
「――――!」
バァン!!!!!!!!!
階段を上がった先で待ち伏せていた黒スーツは出会い頭に拳銃の引き金を引いた。放たれたその銃弾の軌道を見て、左胸の前を覆うように人狼の右掌をやり、それを握りつぶすと、手から欠片がこぼれ堕ちた。
「ひいっ!!!!」
腰を抜かした黒スーツに素早く近づいて体を掴んで、その頭を顔面から壁にぶつけてダウンさせた。
同時に気付いた。待ち伏せがいるということは敵はこちらが攻めてくることは織り込み済みであると。脅迫状を送りつけたのは誘い込みが目的で紫水を同行させた翡翠もそれを先読みしていたに違いない。
もし、零がいるならばそれをすかさず助言してくれていただろう。一人になってからやはり急に勘や頭の回転が前より良くなった気がしてきた。
気のせいではない。中郷とか裏社会に渦巻く陰謀のことを考える時もそうだ。もしもいつも零がいるならばという風景が何となく頭の中で浮かんでしまうのだ。零がいてくれたらと思ってしまう。
これで残り三人。二階にも同じように死体と銃弾が転がっていた。陽もまた沈んできた気がした。早くケリをつけないと滝沢邸もこんなになってしまう。恐らくこれはレカドール一人だけの仕業に違いない。
廊下の奥のドアの向こうから何やら話し声のような物音が聞こえてくる。そっと抜き足差し足忍び足でその音が大きくなっていく扉にそっと耳を当てた。
「フムフム。相談役とボスは渋谷南で合流しそこを臨時の一時的な拠点にすると。恵比寿の辺りでしょうか? ……そこから……はい、はい……かしこまりました」
下っ端にしては着飾ったダンディな声は恐らくこの先で待ち受けるレカドールのものだろう。どこかと通話の途中のようだ。
「レへへへヘへへへヘへへへヘへ!!」
またも急におかしな笑い声が飛んできた。
「初月諒花はここへやってきます。ワタクシが直接始末をつけて、彼女の首を手土産に渋谷に駆け参じましょう。あなたの注文通りに」
敵はやはりこちらが素直に要望を聞かず、殴り込んでくることは既に読まれているようだ。
「ワイルドコブラ本部は残念でしたねぇ。そこにいた幹部や組員は大半が、スカールさんの姿を見るや戦闘を放棄し、降伏されたと」
――姿を見るだけでみんな降参ってどういうことだよ……?
さすがあの変態ピエロの側近ということか。
「ワタクシですか? 今の所は貴方がたの味方ですよ。では、任務にあたらせて頂きます」
「今度、店にお越しください。とっておきのカクテルをお出ししますよ。では……」
誰と話していたのだろうか。ワイルドコブラのボスのカヴラだろうか。
――相談役とは何だ……?