第108話
「お待たせしましたー、花予さん」
諒花だけを連れ出して約三分の打ち合わせの後、翡翠一人で花予を待たせてある諒花の部屋へと戻ってきた。
「急に諒花だけ連れ出してどうしたんだい? 翡翠ちゃん」
ここで変に嘘をついたり隠したりするのは愚策だ。かえって不安にさせてしまう。手段はどうあれ、敵が現れたことは伝えておかなければ。
「この屋敷の近くにうちの男達の小さい事務所があるのですが、そこが敵に占拠されてしまいました。諒花さんが行かなければここを攻めると通告してきているので、申し訳ないですがお借りしました」
「諒花を誘い出す脅迫ってことかい。質の悪いことをするね」
花予は眉をあげた。それはそうだろう、せっかく安全な所に来たのに自分の娘同然の姪が敵に呼び出されるのだから。
「当初は私が行って相手しようとも思いましたが、彼女の今後を考慮して、私の妹の紫水ちゃんも伴って、奪還に向かわせました」
屋敷からも見ることができる滝沢組事務所の監視カメラ、生体反応モニターによると敵はたった5人で制圧に成功した。4人がただの戦闘員であるため充分に対処できるだろう。
──いけない。ここでふと思った。
「お宅の可愛い娘さんを戦いに出したことは大丈夫でしたか? 元々は諒花さん含め、落ち着くまでこの屋敷に滞在することを提案したのは私だったのに」
渋谷に比べたらここは安全だ。現に今も渋谷で暗躍する殺人鬼がいる。ただこんな脅迫に乗ることはその安全を自ら壊してしまうことにも他ならないわけで。
「そうだね。本音を言えば、あたしも姉さん達から預かったあの子を戦いに出すことは嫌だよ?」
それはそうだろう。我が子、家族を死ぬかもしれない戦いに出すことはどんな生まれだろうと誰だって躊躇うだろう。
「翡翠ちゃんは妹の紫水ちゃんを戦いに出すことをどう思ってる?」
「私も本来ならば、紫水ちゃんを危険な目にあわせたくはありません」
実の妹であり、たった一人の肉親。危険な所と分かれば絶対に行かせない。
「ですが異人として生まれた以上、自分自身や大切なものを守らないといけない、戦わないといけないと私は思うのです」
生まれつき、チカラがある特別な存在。だからこそ、その運命に翻弄される。現に妹はメディカルチェックも不合格にされ、陸上への夢が絶たれた。
「それ、あたしも同じだよ。ただの人間だろうと、異人だろうとね」
覚悟を込めた強い眼差しで花予はそう言った。
「女でも戦わないといけない時もある。だから生き抜くその術を正しく教えてあげるのも優しさだと思うんだ」
まだ幼かった紫水に戦いの術を基礎から教えたのは自分だ。一方、花予は諒花をただ甘やかすのではなく、時に厳しく、優しく育ててきたように見える。
「さっき諒花の今後を考慮してって言ってたね? それはあの子の異人としての今後って意味だろう?」
「ええ、勿論。諒花さんや紫水ちゃんも勝てない相手ならば、私自らが行ってました。ですが前触れなく襲ってきたあの程度の敵を何とかできないならば、この先は厳しいです。あの子はまだ経験が足りませんから」
現に彼女はフォルテシアに完敗している。ひとりの異人として、また、稀異人として乗り越えて欲しい。黒條零という監視役に長らく見張られていた以上、何らかの問題や事件が発生しても零が知恵を貸すか対処、あるいは中郷が遠くから根回しをすることで障害を取り除き、逆に成長を阻害していたという可能性もある。
「なるほどね。ならあたしはこの世界にも精通してる翡翠ちゃんの判断を信じるよ。諒花達が無事に帰ってくることをね。これまでもそうやって帰ってきたんだ、あの子は。信じよう」
きっと、これまでもそうやって戦いにいく彼女の背中を花予は見送ってきたに違いない。
「さあ、翡翠ちゃん。自慢のプライベートルームに連れてっておくれ。あたし、諒花を育ててきたけど生き方や考え方ぐらいで、裏社会や戦闘面は素人だからさ、邪魔にならないようにご飯作るかゲームでもして待ってるよ」
「謙虚ですね。むしろ助かります。……では、行きましょうか」
少し安心した。諒花に仕事を振ったことは、花予への配慮が足りなかったかもしれないと思った。
「勿論、諒花が辛い時はあたしも支えになるつもりだけどね」
そう言う花予を連れていざプライベートルー厶へ。
「紫水ちゃんも強いです。何せ私の自慢の妹ですから。諒花さんとすぐに仕事を終わらせてくるでしょう」
「あたしも諒花は大切な娘さ。厳密には姪だけどそんなの関係ない。ゲームでもしながら信じて待とう。こういう時、一人でゲームしたり料理作って帰りを待つしかなくて寂しかったからさ、翡翠ちゃんみたいな子がいて嬉しいよ」
そう言ってもらえると本当に良かった。同じ立場ゆえか、ここまで考えが噛み合うとは思わなかった。
親睦を深め合おう。レカドールを倒して帰ってくると信じながら。