第11話
「答えてくれよ、零……!」
「うっ……」
強く訴え続けた言葉が刺さり、今にも涙が出そうな零の左目。その内側でのまだ見ぬ葛藤と苦悩が表情が伝わってくる。
「諒花。私にとっては、あなたはかけがえのない大切な友達……」
こちらの目を見つめる零の顔が下を向く。
「けど実は私は最初からあなたを監視し、守るために送り込まれた監視役。そしてこれは当然、監視対象であるあなたに絶対に知られてはいけないこと」
「――だからずっと黙っていた」
今、この瞬間、積み上げてきた記憶と思い出の中の、小四の時に転校してきて目の前に現れた銀髪で眼帯姿の謎の少女、親友にして相棒という存在が一転して、スパイという存在に完全に置き換えられた。
途中からスパイにさせられたのではない。その言葉は出会ったその時から、最初からこちらを欺いていたことを証明するものだった。
「表向きは一緒に過ごしてきたけど、裏では監視活動をしてきた。でもそうやって過ごしていくうちに、いつしか諒花達と過ごす時間が私に生きる楽しみや彩りを与えてくれた」
出会って一年になる小五になった頃。諒花の幼馴染で、訳あって小三の時から関西に引っ越していた笹城歩美が久しぶりに東京に転校する形で帰ってきた。そんな彼女との出会いが零に楽しさを彩りを与える入口でもあったのは諒花もよく知っていた。
零はそれまで、学校や外でしか関わって来なかった。しかし予てより義母の花予とも交流があった歩美は零ともすぐ打ち解け、友達として積極的に誘ったことで零の誕生日パーティをやったり四人でゲームをしたりと、楽しかった様々な思い出が次々と噴水のように湧き出て生まれていった。
だが今となってはそれら思い出を丸ごと踏みにじるかのように、零は監視活動をしていたことになる。履歴書もそういう緻密な活動がベースとなって作られたのは言うまでもない。
「歩美にも花予さんにも本当に感謝している。けど私は与えられた任務を果たさないといけない。それが私がここにいる理由だから」
そこには彼女の譲れない、確固たる強い意志が鋭い目からも伝わった。
「ごめん、諒花」
「うわっ!」
急に突き飛ばされ、壁に背中が激突する。そして零は立ち上がり、ベランダの方に向かった。まさか──翡翠の予感はやはり的中していた。
「どこに行くんだよ零!!」
ベランダの窓を開けた。
「私は、どんな経緯があったとしても、これ以上あなたに知られるわけにはいかない」
「さようなら……諒花」
一粒の雫がこぼれた左目でこちらを一瞥した後、ベランダの手すりに乗って、その身を投げた────
「待ってくれよ、零!!」
慌てて追いかけた時には既にスルッと零の体はベランダの外側へと落下していた。ここは二階であるが、靴も履いていないこの状態で落下するのは危険だ。
慌てて玄関の方に向かうと靴を履いて急いで階段を駆け降りた。マンションの外に出ると、飛び降りたばかりの零はそこにはいなかった。代わりにそこには。
「紫水!! 大丈夫か!!」
道の壁際に背中を預けて、紫水が倒れていた。その右腕が丸ごと氷漬けになった状態で。
零にもしものことがあった時のためにスタンバっていた紫水。玄関を出て階段を駆けおりてマンションから出るまで感覚的にわずか数秒だ。
こんなわずかな時間で自分とも殴り合ったこともある紫水をこんなにする衝撃に戦慄とさせられる。出会い頭に紫水は水を帯びたパンチで迎え撃とうとしたものの、零の黒剣に宿る氷の能力によって、右腕を丸ごと氷漬けにされたことはすぐ容易に想像できた。
「諒花、あたしのことはいいから零はあっち行った! 急いで追いかけて! マンティス達も追いかけた!」
空いた左手で指した方向はマンションを出て、右手だった。
「そっか、ありがとよ! ゆっくり休んでてくれ!」
その方向に向けて全力で突っ走った。
しかしここは渋谷の繫華街から離れた住宅街。逃げていった零がいないか、正面の道だけでなく左右に分かれた道も見ては前を走る。が、向こうから耳が塞ぎたくなるぐらいデタラメな騒音が聞こえてきた。朝なのに飛び起きかねない怪音が。
間違いない。これは好戦している合図だ。その方角に向けて走ると、そこには黄色いラッパー姿の男と二刀の黒剣を持った銀髪の少女が相対しているのが見えてきた。
よく見たら飛び降りた時は靴下だったのが黒い革靴を履いている。もしもの時のために予めベランダから飛び降りる時のための予備の靴を常に置いていたのだろう。さすが零だ。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
上空から落下して零に攻撃を仕掛けたのは両手が変化した二刀の鎌とカマキリの羽を羽ばたかせるマンティス勝。だが、零の二刀を交差させた障壁に弾かれ、ラッパー姿の男、シンドロームの横に着地した。
「チッ……防ぎやがったか」
「ファッ!? おれのノイズィー・シンフォニーとマサルの空からの攻撃が効かない!?」
「シンドローム。音を操る能力が持つあなたとは、先の事件で二回戦ってるからあれを機に耳栓を常に持ち歩く事にしたの」
「オーマイガァァァァァァァァァァ!!」
シンドロームのコミカルな嘆きが住宅街に響く。
「零、もうやめるんだ!!」
零の後ろから声をかける。前方にはシンドロームとマンティスのコンビが立ちはだかり、挟み撃ちだ。このままどうにか抑えつけたい。戦うのではなく、動きを止めたい。
「くっ……」
唇を噛み、滝沢家親衛隊コンビの二人とこちらをそれぞれ見ると。
え────!
不意を突かれた。なんと零がこちらへ一直線に向かって来ていて、その黒剣が瞬時に振り下ろされた。それも容赦なく。さっきまでの対等に話していた零はどこにもいない。
その容赦なく振り下ろされた冷徹なる黒き刃を間一髪後ろに避ける。
「なんだよ零! やめてくれ!」
両手を前に出し、待ったの合図を送りながらのその制止の言葉も無視してその剣先が向けられた。その構えからこの後の攻撃が読めた。
やはりその通り、剣先から凍てつく氷弾が放たれた。今まで味方として幾度も放たれたそれが今度はこちらに向けられて放たれる。それを横へと体を一転させて避ける。
────ダメだ、戦えない。殴れない。零とは戦いたくない……
「クソッ、初月諒花! 戦えねえなら下がってろ!」
横からカマキリ男のマンティスが飛行しながら零へと突っ込んでいく。その飛行速度は死角からならば充分に奇襲になる。
「グゥァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
音で動きを読んだのか、高速で突っ込んできたマンティスに対して、スッと剣先を後ろに向け、放たれた氷弾が羽を撃ち抜き、その場でマンティスは仰向けに倒れ込んだ。さっきまでの男気溢れる台詞がまるで陳腐に聞こえるぐらいあっけない。
「マサル!! くそっ、ノイズィー・ウェーブ!!」
焦るシンドロームから放たれたのは音の衝撃波。大気を騒音で震わせたそれも剣を交差させて形成された障壁によってやはり阻まれた。
零はしっかり攻撃を的確に読んでいる。さすがここまで一緒に戦ってきた相棒。いや、下手したら今はそれまで以上に強いかもしれない。正体と本性と一緒に隠れていた強さが表れたような気がした。
シンドロームもマンティスもやられた。戦えるのは自分しかいない。だが零とは戦えない。殴れない。ファイティングポーズで身構えるも、拳が震えて前に出ない。
すると零はこちらを冷酷な眼差しで一瞥し、微かにこちらを見る目のまぶたがそっと動くと、
「待ってくれ、零!!」
その場から黙って走り去っていった。しかし追おうにも足が動かない。追った所でどう止めたらいいか分からない。
監視役と分かってもとにかく零を傷つけたくない。そもそも監視役とは何なんだ?
迷い、混乱しているうちに零の姿は消えていた。