第104話
これは石動とフォルテシアが黒條零──ではなく、化け蛸と交戦を開始した時から一時間前のこと。
今日は土曜日。だがそれでもスーツに袖を通してデスクワークしたり、トラックのハンドルを切ったりして職務を全うする者はいる。
中にはそんな疲れた体に一時の安らぎをと言わんばかりにポケットから一本を口に加え、ライターの火と先端を合わせ、吸い込み、中のものを一気に吹き出す。
舞い上がる灰色の煙。煙草は健康に良くない。喫煙者とそうでない者とでは肺の色はまるで違う。だがそれでも人間というものはこのストレス社会の中で、この一服に安らぎを求める者もいる。
灰色のコンクリートに囲まれ、微かな太陽光が建物の隙間を抜けて優しく照らす。地べたに大量の吸い殻が転がる中、ゲームのログボのためにスマホをいじりながらその一本を吸っているくたびれたスーツ姿のサラリーマンや髪を少しだけ茶髪に染めたOL。
やってもどんどん舞い込んでくる仕事、先輩上司の嫌らしい公私混同な誘いなどにウンザリし、外の空気と一本を味わいに来ている大人達がいる中で一人、短い銀髪に黒い眼帯をした紺色のコートを着た少女がじっと立っていた。
ここはいわば大人の社交場。銀髪に眼帯とその一際浮いた印象深い風貌もそうだが顔つきから学生と、一人のサラリーマンが煙草の吸い殻を踏んづけると、この場で明らかに一人浮いている彼女に声をかける。
「君、未成年なのにこんなとこにいるなんて変わってるね」
視線を向け、さりげなく声をかけたサラリーマンの男。その顔を除き見るが少女は無表情だった。
「もしかして未成年なのに煙草の煙が好きなのかな?」
会社のブログにも顔出しで出ていて毎日が多忙だが給料を満足にもらっている、もはや青春時代など遠い彼方に捨て去り、煙草が当たり前の自分に酔った男。他のその場にいた大人達の視線と耳が自然とその男と少女に向けられる。
「だったら変わってるね。でも煙草は成人してからだよ。こんなとこに来るもんじゃないよ」
近づいてマイルドに、一人の大人としてその少女に道を示したその瞬間――――、
「うっ!!!!!!」
少女の背中から伸びた縞模様の茶色い触手。それが男の胸元を貫通する。その瞬間、全員が言葉を失った。
「キャアアア――――」
OLの一人が悲鳴をあげた直後、その悲鳴を打ち消すように足元から忍び寄る生々しいブチ模様の触手が口を塞ぎ、その呼吸ごと息の根をとめてしまう。
これは蛸の触手か? 混乱の中で辛うじてそう思うのが手一杯だった。
触手は逃げようとしたサラリーマン達を一人、また一人、触手が左手、逃げる両足と先端を切断し、誰一人逃さない。生々しくウネウネと動く蛸の触手が刃物と同等の切れ味となる。
全員がその場で生き血を流して昇天するのを見て、少女の口角がやらしい曲線となり、ギザギザの歯を覗かせる。それは少女のものではなく化け蛸の本性そのものだった。
※
それから数分後。たまたま運よく遅れて煙草を吸いに来たことで助かったOLが血相をかいて警察に通報。現場確認のために現れたのは休日なのに駆り出された窓際刑事、蔭山。
「またしてもか……」
生存者に期待したが全員が息を引き取っていた。逃げようとしたサラリーマン達の手足が斬り刻まれている。ゲーム感覚で殺したに違いない。
常人だったら、こんなことはありえない。一度にその場にいた8人を逃さず殺すだけでなく、かつ手足まで切断するなんてできるわけがないだろう。犯人はこの凄惨な現場をこちら側に見てくれと言っているようなものだ。
──とうとう悪名高いバケモノが露骨に本性を出してきたな。
ついさっきフォルテシアから聞いて、その犯人は分かっている。
渋谷区では、ワイルドコブラが侵攻してきた10月30日以前からこういう事件が相次いでいた。徐々に表面化してきたのはワイルドコブラ侵攻からだ。
路地裏やコンクリートの隙間などで煙草を吸ったりスマホをいじったりしているその場にいた人間が殺されている。
フォルテシアより聞かされる前から犯人に繋がる情報は唯一あった。青山で諒花も含めて合流するはずだったシーザーが交戦して病院送りにされている。
急いで駆けつけて、搬送中の担架で寝ている彼に立ち会い、少しだけ話を聞くことができた。
『あれは黒條零じゃねえ。あの得体の知れねえ野郎は零に化けてやがった!!』
シーザー曰く、黒條零をコンビニで見かけて声をかけたが彼女は逃走。逃げた先の閑静な住宅街で彼女を見失い、追ってる途中ですれ違った通行人の歩きスマホをしていた赤いシャツの男に突如後ろから刺されたのだ。
その後、大バサミで振り払ったものの避けられ、刺された痛みで膝をついた所で赤いシャツの男はニヤリと不気味に笑うと、体が縮み、黒條零の姿に変化し、縞模様の入った茶色の蛸の触手をいくつも見せびらかすようにして走り去っていったという。
『奴の変身能力は完璧だった。あんなの見ただけで誰でも騙されるだろ!』
誰が見ても黒條零だったというし赤いシャツの男もただの通行人でしかなかった。しかしそれは見た目だけ。そもそも零は本来こんなことをする子ではない。しかも蛸の触手なんて生物じみた能力は持っていないことはシーザーも知っていたようだ。
敵は自分の姿を変えられる。それは異人としての能力だろう。ではなぜ犯人はわざわざ黒條零の姿でいて、犯行を繰り返すのか。
それはきっと諒花を誘き出すために違いない。ワイルドコブラからの刺客か協力者の可能性だ。だが、奴らが攻めてくる前に失踪した零の情報を知っているのもおかしい。知らなければ化けることはできないだろうからだ。元締めであるレーツァンを通して情報が共有されていたのかもしれない──この時はそう思っていた。
シーザーから話を聞いた後、奴の行方を一足先に追っていたフォルテシアから犯人の名を聞かされた。
化け蛸のダーガン。
元岩龍会の幹部で頭もキレる工作員であると同時に裏社会で名の知れたテロリスト。駅員に化けて電車に爆弾を仕掛け鉄道会社を脅迫し、乗客を人質に山の手ラインをひたすら走らせた事件は今も覚えている。他にも姿を変えられるのをいい事に東京、神奈川の各地で数々の事件を起こして世間を騒がせた。
ミミックオクトパスに由来する蛸人間の能力を活かし姿を変え、仲間と行動するのではなく単独行動で犯行を行い、味方を巻き込むことも厭わない彼は制御がきかず、当時の関東最大組織である岩龍会内部においても嫌う者は少なくなかったという。しかしその実力を評価する者もおり、幹部としても名を連ねていた。
そんなダーガンも2016年、岩龍会も滅んだこの年に抗争の中で死亡したと思われた。が、すっかり世間から忘れ去られた2024年のこのタイミングで再び現れるとは誰が思っただろうか。
フォルテシアから聞かされた時点でワイルドコブラ、というかダークメアに彼がいる構図にはいささか疑問が出た。岩龍会が滅んだ後、新たに関東最大組織の座にとって代わったダークメアが仮に彼を匿っていたならば、なぜ二次団体のワイルドコブラにいるのだろうか。性格に難ありでもこれほどの実力ならば、本家幹部クラスでもおかしくないだろうに。
ダーガンは表社会でも報道されるほどの大事件を起こしたテロリストだ。表社会では無い扱いにされている異能。それが蔓延る裏社会の人間ということもあり、事件は話題になっても容疑者としてダーガンという存在は明るみにはなっておらず逮捕のニュースもない。
ニュースでは蛸陰光一朗という名前で呼ばれているが勿論そんな名前はXIEDからも、ましてや異能溢れる裏社会で聞いたことはない。表社会で報道のため犯人に名前が必要となる関係か、勝手につけられたのだろう。そんな事を知る由もない一般人はこの名前のテロリストが存在すると認識はしているが。
この手の事件における報道の中身に正しさはないに等しい。ただ事件が起こったことを伝えるだけ。災害とかと違っていつの間にか扱われなくなり、人々の記憶からも忘れ去られてゆく。何も知らない人々は翻弄され続けるだけ。
この街のどこかに奴は潜んでいる。迂闊には出歩けない。きっと今も誰かに化けて次の犯行を画策しチャンスを伺っている。
これ以上、奴の好きにさせてはいけない。
読んで頂きありがとうございました!
第二部は実はこれで完結です。告知はXの方でさせて頂いたので見ていない方は驚かれるかもしれません。
GWのスケジュールとともにパンドラの鉄箱編で第二部完にするか青山の執事と白銀剣士の後、更にもう一個進めて締めるか、直前まで凄く迷いました汗
勝ち負け問わず部の最後を締めるラスボスがいない、第三部の予告も兼ねた布石がない、また第二部ラストを飾る可能性もあったパンドラの鉄箱編が長かったこと、更に私生活で忙しく考える時間があまりなかったこと、更にGWの関係でこのような形でまとまりました。告知が遅れてしまい、申し訳ございません。
来週、21日は近しい人の結婚式に参列する関係で休載させて頂きます。再開すると第三部なのですがちょうどGWなので第三部の準備期間を頂きたいのもあり、GW明けの5月7日夜とさせて下さい。申し訳ないです。
26日で初めてなろうに処女作「ソルジャーズ・スカイスクレーパー」投稿して10年、更に人狼少女を投稿して5年になるので区切りをつけるため来週末どこかで久しぶりに活動報告を更新する予定です。
第三部はダーガンと更にあともう一人幹部がいます。そしてやっと登場ワイルドコブラのボスの最高幹部カヴラ、更に第一部序盤から失踪していた本物の零、最終章に向かっていくのでお楽しみにです。