#9
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「…でな、ここが配電室。鍵は特殊形状だが、一度でも鍵付近に近寄れれば何とかなるだろう。そっちは俺がどうにかする。それで、っておいっ!!聞いてんのかよ、ケイ!?」
んっ?全くの上の空でケイが生返事をする。耀司の目がいらついているのがはっきりとわかる。
「ここの屋敷はセキュリティが厳しいんだぜ?この見取り図だって、ようやく手に入れたんだ。俺の苦労を、おまえわかってんのか!?」
なあ、耀司。ケイは彼の言葉を意に介せず、真剣な目で耀司を見つめた。
「んだよ。この期に及んで作戦変更か?」
「そうじゃない。この間の仕事、依頼人に受けると言ってくれないか?」
この間?耀司が首をひねる。その仕草に、ケイはふうと息を吐き出した。
「クリスティアナ・オルブライト=青木嬢の殺害依頼、だよ」
オッドアイの漆黒の闇が妖しく光る。下から睨め付けるようなケイの視線に、思わず耀司はひるんだ。
「だっておまえ、コロシはイヤだとあれほど…」
「ただし条件がある。三ヶ月待ってくれ、と。その間は他に依頼を持ち込むことはもちろんのこと、一切の手出しをしないで欲しいと伝えてくれ」
それを聞くと、耀司は今まで手にしていたポインタをテーブルに放り出し、頭の後ろで手を組んだ。
勘の良い彼のことだ。ケイの思惑が一瞬で理解できたのだろう。
「おまえまさか、あの娘を助けるつもりじゃないだろうなあ?いいか?俺たちには余分なことをしているヒマなんかない。さっさと目的を果たして…」
「どうしても気になるんだ、あの事件が」
耀司があごをしゃくって口を曲げる。こいつは今さら何を言い出すのかと。
「狙撃は二発。しかしその後の追撃はなかった。脅しと見るか、一発でしとめる自信があったのか。裏で糸を操っているヤツはいったい誰か。それより大事なのは…」
大事なのは何だ?低い声で耀司がくり返す。
「おれたちと共通の謎を追っているヤツなのか、そうでないか。そして、おれの正体を知っているのかということ」
AOKIの敵なんざ、腐るほどいるだろうに。耀司の吐き捨てるような声。
ケイがブラックであることを知る者など、いるはずもない。少なくとも耀司はそう信じていた。しかしこいつの過去を丹念に調べ上げれば、あるいは。
一度芽生えた不安の種は、なかなかぬぐい去ることができなかった。
「もう一度確認しておこうぜ。俺たちはなぜこんなことをしているんだ?」
低くくぐもった耀司の声。ケイの脳裏にパブリック・スクール時代の断片的な記憶が蘇る。
優しかったハミルトン夫人。いつだって「お帰り、ケイ」と抱きしめてくれた。
たとえそれが、おれ自身を見ちゃいなくても。それでもよかったんだ。
人のぬくもりが、抱きとめる腕が、どれだけ心を癒すものか。
そしてそれを、残酷なまでに強引に奪ったのは…AOKI。
何としても晴らしたい、彼女の無念さを。残された者の憤りを。
だからこんなバカげたゲームを、おれたちはくり返しているんじゃないか。
ケイの両目がきつくつむられ、細い指先が淡い色の髪をかき乱す。
おれはいったいどうしたいのだろう。AOKIが、いや青木善治郎が裁かれれば満足か。それとも関わった者全員の命を奪うことが一番の望みなのか。
ケイはいつだって、とまどいと自分の気持ちの大きな揺れに惑い続けているのだった。
ダリル・カークランド警部は、スコットランドヤードの膨大な資料室から一つのファイルを探し出した。
十数年前に起きた、ただの事故。泥酔したあげくに川で溺れ死んだ子爵。そこには何ら事件性は見受けられない。
父親とともに川に落ちたと思われた息子は、一月後には無事に戻ってきた。誘拐とも虐待や無理心中とも思われなかったようで、そのまま事故として処理された。
…なぜその間、幼い子どもがどうやって暮らしていたのか、誰も疑問に思わなかったのか…
先代のハミルトン子爵は、普段からあまりよい評判を聞かなかったらしい。酒に飲まれるタイプで、このままでは財産を食いつぶすのも時間の問題だろうと思われていた。
もともとそんなに領地があるわけでも、会社を持っているわけでもない。かつかつの生活を、夫人が何とか支えてきた。
報告書には、そんな人間くさい一文すら載せられていた。珍しいこともあるものだ。無味乾燥が特徴のお役所の公文書に、誰が書いたものやら。
さあ、この事故の謎を、アニーがどれほど調べ上げてくれるのだろうか。
スクールの優等生として、そのまま警察官僚となったダリルと、あまりに個性が強すぎたがために放校処分を受けたアーネスト。
…あのままネコをかぶっていれば、あいつだとてそれなりの職に就き、安定した生活が送れたものを…
苦笑いを浮かべるカークランドだったが、それがアニーにとって真の幸せだったかどうか。彼には断定できるものではなかったし、自分の価値観を押しつけるつもりもなかった。
もっとも、彼の悪ふざけにはいささか辟易してはいたが。そう、カークランドにしたらあくまでもあれは、アニー特有の度を超した冗談だと信じたかった。
私が気になるのは、この片田舎のご遊学の方だな。
アニーが得意とするのは、主にロンドンを中心としたイギリスの裏社会。フランスの大学となると、別のルートで調べる必要があるだろう。
なぜ私は、これほどまでにあの若き子爵に固執しているのだろうか。カークランドは軽く頭を振ると、視線を下に向けた。
おどおどと警察の尋問に答える彼の印象は、他の者にしたら、ただその場に居合わせた不幸な青年としか感じられなかっただろう。
しかしカークランドにとってみれば、あの至近距離で狙撃をよけきれる方が不思議だった。ただの偶然にしては、あまりに確率が低すぎる。
弾は二発。逸れて照明器具に当たったのは、決してスナイパーの腕が悪かったわけではない。
あとで詳しく検証した結果、そこにいたはずの子爵が巧みに床に伏せたがため。
そして、ときおり見せる彼の冷ややかな表情。落ち着き払った不敵な笑み。私が気付かないとでも思っていたのだろうか。
彼には何かある。
するどいカークランドの職業的な直感は、胸騒ぎを覚えさせるのに十分すぎるほどだった。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved