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#89

#89



白く仕立てのいいシャツを選んだ。スーツは落ち着いたグレー。髪をひっつめ、両耳には品のいいプラチナのピアス。治療用のレンズを入れたサングラスを、そっと掛ける。

鏡の前で、ケイはおのが姿をもう一度確認した。


もう、偽ることも飾ることも要らない。自分の言葉を正直に話せばいい。策を講じれば最後には己がその罠にはまる。そんな例も数多く見てきた。自分でさえ、イヤになるほど手を染めてきた。

しかし、今のケイにできることは原告団である遺族会をまとめること。

どうしても首を縦に振らぬ二家族に出向く予定で、彼はできるだけ平常心を保とうとしていた。


……今さらどうなる……


何度も言われた言葉。裏切り者との罵声を受けることにも慣れた。それでも、すべての遺族がまとまることこそこちらの武器。

さまざまな階級と想いと立場を乗り越えて、それでも私利私欲の為ではなくこれからの事故を少しでも減らして欲しいが為の裁判だと世論に訴える。

AOKIが叩かれる。そうして……陰にいる奴らをいぶり出す。


利用しているのはおれか。それさえも自覚しているさ。けれど、やらなければならない。

かりそめにも一度は父であったリチャードの作りだした技術は、人を守る為に使われるべきだ。

誰かの犠牲の上に成り立つ平和など要らない。

ケイはそっと目をつぶり、呼吸を整えた。



「帰ってください!!いや、帰ってくれ!!」


下町特有のきつい訛りに、懐かしささえ感じる。ケイが訪れたのは、あの日-工場に出勤途中だった若い青年の家。その父親だとてそう歳を食っている訳じゃない。


「これを何とかすれば、AOKIに楯突けばアデルは生き返るのかい!?違うだろう?今だってAOKIの方からは非公式に見舞金が振り込まれてる。俺たちはそれで暮らしている。こんなところで騒ぎを大きくしてみろ!俺たちは明日から何をして暮らしていけばいいんだ!?」


貴族さんにはわかんねえだろうよ!!最後には吐き捨てられた。


そう……。AOKIは陰で見舞金と称してはした金を渡し続けていた。これで黙っていろと。

遺族の誰もが表だって訴訟を起こさなかったのは、起こすだけの能力がなかっただけではなく裏の事情をも含んでいたのだ。

ラザフォード夫妻がそれを受け取ることは、もちろん一度たりともなかったけれど。


「AOKIには完全に過失を認めさせます。その証拠も集まりつつあります。少なくとも事故の被害者……それにはエレン嬢も含みます……息子さんたちに過失があろうはずもない。賠償金が目的ではないけれど、この事故を風化させてはならない。そうでなければ第二、第三の大事故が起こってもおかしくはない。息子さんの事故を教訓に助かる人がいれば……」


これだからかすみを食って生きている貴族様ってのはよ!!

朝から酒を飲んでいたのだろう。目の縁を赤くした父親は怒鳴り声を大きくし始めた。


「俺らにとって他の連中なんざどうだっていいんだよ!!俺は俺らはアデルが生きて帰って来てくれるっつうんだったら何でもやるさ。でもな、赤の他人が死のうが助かろうが、あいつは二度とここにはいない。取り返せない。わかるか!?」


愛してらっしゃったんですね、息子さんのことをそれだけ。

空気が薄い。ようやく絞り出したケイの言葉は一笑に付された。


「世間知らずもそこまで行くと、笑うしかねえな。いいか、子爵様よ。あいつは家族の中でもできがよかった。いくら勉強できたからっつったって、あんたみたいに上級学校に行ける訳じゃねえ。技術を身に付けて工場には入れたのは、本当にラッキーだった。あいつがいたから俺たち家族は飯を食うことができた。俺たちにとっちゃ、全く持って金の鶏だったんだよ!!下の息子や娘たちにも服も買ってやれた。AOKIの見舞金のおかげで、最低限のことはできる。だがこれ以上お偉いさんに楯突いちゃ、それもできなくなる。あんたは代わりに金を出してくれるのかい!?そりゃあ、手塩に掛けて育てた息子に死なれたのは悲しいさ!!けどな!!今生きてる人間をまず考えなきゃしょうがねえんだよ!!」


一気にそう言うと、父親はもう隠すことなくウィスキーの瓶を取り出してあおった。

この父親の言葉に含まれる言外の意味を憶測することさえ、今のケイにはきつかった。


本当は愛があるのかも知れない。何の疑いもなくそんなふうに思えるほど、彼も純正培養で生きてきた訳じゃない。

この家族にとって、父親が語ったことこそが真実である可能性の方が高いのだ。



ケイはそっとグラスを外した。彼の持つブラックな面が現れる。出生がどうの、本来の実親がどうの、そんな寝言を言って暮らせてきた彼ではない。ゆっくりとケイの持つ雰囲気が変わってゆく。

父親は、その変化に気づいたのかどうか、急に押し黙った。


「信じようと信じまいと、そんなことはどうでもいい。今でこそハミルトン子爵なんて大仰な名前がついてるが、おれだって元はと言えばコックニー育ちだ。シビアで現実的な話をしよう」


ケイの急激な変化に、アデルの父親は息を飲んだ。


「いいか親父さん。あの事故の正式な調査委員会は結局構成されずに終わった。表向きはな。でもあの頃も今も、じゃまくさいAOKIをぶっつぶしたい連中はごまんと居る。非公式にはアラを探してやろうじゃねえかと、徹底的な調査が行われた」


もちろんこの情報は、カークランドが上層部をねちねちと脅しまくって手に入れた極秘情報だ。上だって公式記録に残すほどのバカじゃない。だが実際は、調査は打ち切られるどころか重箱の隅をつつくほどの細かさで、何としてでもAOKIの過失を見つけようと躍起になって行われていたのだ。


「あ……AOKIの過失は……あったんすか?」


完全に言葉遣いが変わっている。おそらく父親にその自覚すらないだろう。


「ノン」


ケイのいらえは短かった。奴らの過失などない。ものの見事にな。


「じゃあ!どうして子爵様は!?」


「いいか。エレン・ラザフォード嬢の車両に対する整備は完璧だった。その二ヶ月前に点検を終えたばかりで、彼女はまめに手入れをしていたからな。決して詳しいわけではない普通の女性ではあったが、初めて自分で買った車には愛着を持っていた。壊れたからと言って二台目をすぐ買えることができるはずもない。丁寧に乗り尽くすつもりで彼女はディーラーに言われるがままに点検を受け続けた。アフターサービスの良さもAOKIの魅力の一つだ」


ケイはここで言葉を切り、目の前の男の反応を伺った。いぶかしげというよりも、ケイが何を言いたいのか理解できては居ないのだろう。今はそれでいい。


「彼女の運転が特別上手い訳じゃない。しかし非常に慎重な性格で無茶をしないこともよく知られていた。この証言も集めてある。ましてやアクセルとブレーキを踏み間違えるなどあり得ない。よしんばあったところで、すぐに気づくだろう。しかし、あの事故でようやく見つけ出した複数の目撃者らからは、彼女は必死に片手でハンドルを動かそうとし、脚を突っ張り続け、片方の手はせわしなく動いていた……と」


それが何を意味するか、わかるか?丁寧な貴族様の言葉とも思えぬ訛りの強い英語。付け焼き刃ではないことが、彼の出生の複雑さを示していた。


ハンドルを動かそうとしたのは、たとえ自車がどこかへぶつかろうとも車を何とか停める為。

脚を突っ張ったのは、必死にブレーキペダルを踏み続けたのだろう。

そして片手運転だったのは、おそらくハンドブレーキを利かせるかシフトレバーで現状を変えようと抵抗したがためなのだろう。

すべての彼女の努力は徒労に終わった。車の制御は彼女にはできなかった。

言い換えれば、最後の最後までエレンは車を停める努力をし続けたのだ。しかし暴走は止まらない。誰にも止めることはできなかったがゆえの大惨事。


「でもさっき、AOKIの過失はなかった、と」


「あいつらもはめられたんだ。だから表立って何も言えないのはAOKIも同じ。あんたにこのからくりがわかるか?」


相手の目が泳いでいる。そりゃそうだ、ちいとばかり難しすぎたな。ケイは思わず苦笑した。


「結論だけ言うよ。確かにAOKIにもエレンにも過失はない。だがAOKIには脛に傷がありすぎて、それをはっきりと言えないからこそ……エレンにすべてをおっかぶせて終わりにしてしまった。こっちが刑事事件で立件しないのはその為だ。あいつらは表に出されては困ることが多すぎる。こっちがまとまって主張すれば、あっさりと過失だったと認めざるを得ない。見舞金どころの騒ぎじゃないぜ。とうてい遣いきれない賠償金をどうするか、今から考えておいたらどうだい?」


凄みの加わったケイの皮肉気な笑い。これが世間で大人しく気弱と称されている遊び人の貴族の本性なのか。



上層部にも、いくら貴族院の議員でも、金を積まれただけではAOKIの味方になりたいなどと本気で思っているヤツなどいない。哀しいけれどそれが現実。

カークランドが、その瑕疵を丹念につつき回し、事実を突き付け、庇えるのにも限度がありますよと……彼らを脅した。その証拠はブラック時代にケイが集めたものも多い。

そして、警部は極秘の事故調査委員会の存在を突き止め、隠されていた目撃者を捜し出した。

権力を多少なりとも持つ者にしかできぬ、無謀な闘い。

ケイの為ではない。AOKIの為でも……エマーソンを追い詰める為でも本当のところはそうではない。


……社会正義。アーネストには鼻で笑われるだろうがな……


ぶっきらぼうに吐き捨てた警部の、その奥に光をたたえた瞳。彼の官僚としての立場も危ういというのに。



それでも闘う、おれたちは。



AOKIがどう出てくるか。


……いや、今や怖いのは善治郎と言うよりもクリスティアナ……


同意書に署名する飲んだくれの親父を見下ろしながら、ケイはぐっと気を引き締めた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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