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#83

#83



ミミにとっては二度目のイヴェール本社。今日は一人で乗り込んでいった。まさか元のパートナーとも言えず、政府関係者であるという無難な連絡を上司に入れてもらった。クインシーだとて十分警戒はしているだろう。会えることだけでもよしとしなければ。


誰もいない会議室で待たされている間、彼女は無意識にルージュを塗り直していた。自ら気づいて苦笑。アタクシは何を期待しているというのだろう。

最後まで心の通い合えなかった相手、クインシー・キャリック=アンダーソン。寂しさ故にそばにいた。今なら言える。でも、あのときには初めて同じ思いを共有できると信じていた。


父も母も親類も頼るものもなく、自分一人の力で生きていた。貧民窟に埋もれるには己の能力が高すぎた。だからと言ってどうしようもなく、その日を生き延びるだけの生活に手を差し伸べてくれたのが…デリック・エマーソン。

クインシーもまた、彼に救われた一人だった。



ああそうじゃない。



エマーソンはクインシー一人を救いたいが為に、アタクシたちを利用した。裏切られた者の持って行き場のない憤り。これは復讐なのだろうか。アタクシたちの思いを踏みにじった彼らに対して。大人の訳のわからない行動原理に巻き込まれた、無力な子どもの叫びなのか。


今は、立場が違う。背負うものもある。何よりも追う者と追われる者。それをクインシーがどれだけ認識しているかは知らないけれど、ね。





聞き慣れた冷たい靴音が近づいてくる。愛を感じていたことが一瞬でもあったことすら不思議。孤独とは、それほどまでに自分の理性を狂わせてしまうのだろうか。


ノックも挨拶もなく、無言でクインシーはミミの前に現れた。冷たい視線。愛想笑いの必要性も感じてはいないのだろう。ひるむ彼女ではなかった。


「君らのような公務員と一緒にされては困る。私たちには一秒たりとも無駄な時間はない」


突き放した言葉。彼らしくもなく、それこそが無駄な台詞だということにクインシーはおそらく気づいてはいない。

ほんの僅かでも気心の知れた時期があった。だからなのか。冷静に分析する自分が哀しかった。


「では端的にお伺いいたしますわ、HV開発部長。ハイブリッド・カーになぜレーダーが必要なの?」


クインシーの端正な表情が、ほんの少しばかり歪んだ。視線が窓の外に向けられる。


「今度は別の英国人か。まあ、東洋人なのだから今回は系統が違うと言えば違うが。君の趣味の悪さには辟易する。彼がどれほど危険な男か、知らないはずもないだろうに」


どういうこと?今度はミミがとまどう番だった。話をそらせたいが為なのか。


「外で張っている君の仲間に気づかないとでも思ったのか。彼はキースの仲間だ、危険すぎる」


耀司のことを言っているのだろう。もう既に調べ尽くされている。これはクインシーとの闘いではない。相手は二カ国を手玉に取ろうとしている-デリック・エマーソン。


「それでもアタクシとのアポイントは無視しなかった…」


「変に勘ぐられてもイヤなのでね。レーダーも何も、私には関係のない話だ。第一あんな大きなものが本気で自動車に積めるとでも?」



歪んだ嘲笑に、ミミの瞳が光る。


「第一あんな大きなもの…アタクシは大きなレーダーなんて一言も言ってなくてよ。ましてや<フェーズド・アレイ・レーダー>などとはね」


クインシーが唇を噛む。この女は…。


「どこまで知っている?それとも口から出任せの鎌を掛けたつもりか」


「戦闘機に搭載できるということは、そうね…大型トレーラー辺りには積めるのかしら」


彼の顔色が変わる。どれだけの切れ者であってもしょせんは素人。情報部の人間にはかなわぬ。



「実用化はとうにされていた。あとは小型化競争。イヴェールは次世代リチウムイオン一次電池の情報のみならず、それをあの小さなfloraにどう搭載するつもりなのかという技術をこそ欲しがっていた。うまく使えば他の売り込みたい武器らもコンパクトにまとめることができ、セットで売り込めば付加価値が高まる。ねえ、教えてよ。レーダーのノイズを使ってあなた方はfloraに誤動作を起こさせた。その為にあれだけの事故を引き起こしたのは容易に推測できる。わからないのは…なぜ、あの場が選ばれたか」


どこでもよかったはずだ。サラ・ハミルトン夫人を殺し、弟の目の前ですべてを失わせたのはただの偶然だったのか。


「よくできた筋書の映画だな。いや、君の新しいアマン-amant-はジャパニメーションのマニアだとでも言うのか?」


わざとやや蔑称の意も持つ単語を使ってまで、クインシーは冷静さを保とうとした。そのあがきがすべてを表してしまうことも知らず。



「少々調べさせてもらったわ。残念ながらあなたがあの事故に直接関与したかどうかまでは、証拠を見つけ出すことはできなかった。ただ、あの事故の当日、幹線道路は工場の従業員の通勤車で渋滞気味になることはよくあった。けれど、そこに一台だけ停まっていたのは」


耀司の記憶を引っかき回すように引きずり出した。もちろん、その前にスコットランド・ヤードへと連絡を取り、当時の事故状況はしっかりと割り出した。この件に関しては単純な事故でしかないから、SISは関与してはいない。


エレンの運転するfloraが最終的に潜り込んだ大型車以外に、少し離れたところへと不自然に停車し続けていた一台の大型トレーラー。




…そうだ、今朝はずいぶんとまあトラックが多いなとは思ったんだ。何かを搬入するのだろうかと。何しろ、うちの箱入り坊ちゃんは血の気が多い。大好きなママンに向かって後先も見ずに走り出したらと、まるで保護者のような気分で心配したことを覚えている。俺はそんなことまで…覚えていたんだ…




記憶とは、そのまましまい込まれ、刺激がなければ取り出されることもない。周りが思い出という名で補強し保管し続けなければ語ることすらできないのと同じように。


事故の直前に、訓練用のフェーズド・アレイ・レーダーの盗難があったことも調査済みだ。これは表に出ては大ごとになると、時の英国空軍がもみ消した。ミミがSISとのパイプを使ってようやく捜し出した、細い細い情報の糸。それを丹念に織りあげてゆく。


それはまだ小型化にはほど遠い、戦闘機搭載用の大きさで、レーダーとしての性能も高いものではなかった。しかし、誰かも知らぬ悪意の人物の目的は…敵の探索ではなく誤動作を引き起こすだけの電気的ノイズの発生。


当時、AOKIは誤動作が起きるはずなどないと主張した。安全面には細心の注意をしている。よほど酷いノイズでもない限り…と。そのノイズが存在する可能性があるのならば。




「事故は故意なものだった。アタクシたちは勝手にそう確信している。でもそれにサラ夫人が巻き込まれたのは…偶発的な出来事なの?それが、あなた方の不可避な宿命なの?」


コンフィギュアの研究員の妻だったというだけで、ケイの…キースの目の前で殺された彼らの母親。そして、野良猫のように生きてきたケイを救ったサラ夫人の命をも奪ったのが、事故という名の殺人であったのなら。


どれだけの因業を彼が背負っているというのだろう。ケイには何の罪もないはずだのに。





不意にクインシーが動き出した。ドアに向かった彼を見て逃げ出すのかと思いきや、彼は黙って内鍵を掛けた。


「アタクシを、ここで消すおつもり?素人には無理だわ」


ああそうだな。クインシーは珍しく素直に同意した。そして、真っ直ぐにミミを見つめる。


「君は骨の髄まで情報部の人間に成り下がった。他人の隠したい辛い過去をえぐり出し、嗅ぎ廻る。それが国家を守る為ならば」


「正義と言ってよ。アタクシの中ではそういうことになっているのだから」


精いっぱいの憎まれ口。本当は彼の瞳を見ることすら辛いのに。


「君にだから正直に言う。私は確かにフェーズド・アレイ・レーダーの小型化について研究を進めろと言われたよ。しかし、誓って言う。その事故に関しては全く知らない。エマーソンが何をしたかったのか、私にはわからない」


静かな声。ミミでさえ動けない。


「キースがケイ・ハミルトン子爵と名を変え、事故に巻き込まれたことすら知らされていなかった。これは本当のことだ」



じり。ゆっくりとクインシーが歩を進める。



「ならばなぜ、その事故にエマーソンが関わっていると断言できるのだ?それこそ虚構の世界の空想か?プロであるはずの君が、そんなに不確かな情報に踊らされるとは思っても見なかったよ」


やめて。その目で見るのは。冷酷で残虐なはずのあなたが時折見せる、その寂しげな瞳。だから惹かれた。もう騙されたくはない!


「と…当時、すでにレジィヨン・エトランジェールに属していた彼は…英国空軍に対する…作戦に…従事して…いた…。それが何かを、対外治安総局は探り当て…た」


「DGSEではなく、エマーソン専従捜査員である君、がだろう?ある先入観を持って。それを吹き込んだのは誰だい?」


何が真実か。ミミでさえ意識が朦朧としてくる。先入観ではない。かなり高確率な仮説。


「なぜエマーソンをそこまで過大評価するのだ?彼はいまや、ただの貿易商だよ?」


それに…私たちの恩人だ。ここまで生きながらえたのは、彼が支えてくれたから。彼を裏切るのか。



…これは洗脳だわ。アタクシの心に根深く巣くっている罪悪感に訴えようとしているだけ…



クインシーの思考に絡め取られまいと、ミミは必死に逃げ出そうとした。


「彼は私たちの生命と将来を守り抜いてくれた。君は彼を告発するのかい?」


「エマーソンが…欲しかったの…は…、あなただ…け…よ…。クインシー・キャリック=アンダーソン」


息も絶え絶えにそれだけを言う。愛する息子をこの手に抱くこともなく、手離さざるをえなかったのは、この男のせい。そして、そして…たった一人のあの子の父親。


アタクシは…私はどうすればいいと言うの?ミミの混乱は治まらない。






「おっせえな、あの女」


本社ビルのはす向かいに、美しい花をたくわえた公園がある。そちらにファインダーを向けながら、耀司はジリジリとした思いを隠せなかった。


いかなミミがDGSEきってのエージェントだとしても、しょせんは女。昔の、それも子どもまでもうけた男に逢って、どんな感情が生じるかなどわからぬこと。


懐柔されるほどのヤワなヤツだとは思いたくはないが…。カメラに反射する当該の階を凝視する。



ミミ…不思議な女。



強いのか甘いのか、それとも冷たいのか。冷静に人を見る癖のついてしまった耀司にさえ、容易には正体を見せぬ女。

はん、気になるのかねえ。己に苦笑いしつつそっとレンズの手入れを始めた彼は、次の瞬間、振り返った。




聞き覚えのある……爆音!!そんなバカな!?




ミミたちがいるはずの会議室から、すすけた黒い煙が立ち上がるのを、耀司ほどの男でさえ呆然と見つめるばかりであった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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