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#82

#82



かつては国土監視局と呼ばれ、組織改編により名称をフランス中央対内情報局とされた情報機関の一つ。ミミは臆することなくすべてを跳ね返すような白い壁の建物へと入っていった。



「いくら古い友達だからと言って、仕事とプライヴェートは別よ」


長いブロンドの髪を一つにまとめ、セルフレームのブランドグラスを掛けた女性は、エレベーターの中でぴしゃりと彼女に向かって言った。


「何も国家の重要機密をばらせと言ってるんじゃないわ、ジョゼ」


全くあなたと来たら…。ジョゼという名の女性は大きくため息をついた。


「何も変わってないのね。いいこと?あなたは対外治安総局の人間であり、私は国内専門の情報機関に属しているのよ?いくら同じフランス国内の情報部員同士だとしても、気軽に話せることなどないわ」


お互い目も合わせず、冷静さを保つ。研修時代は飲み歩いたものだけど。そんなミミの戯れ言にも心を動かす様子は、ジョゼにはなかった。


「そもそも、ここに堂々と入ってこられるあなたの神経の方に感心するわ。視線が痛くなかった?」


別に。クスリと笑顔をこぼすミミは涼しい顔で言葉を継いだ。



「イヴェールが軍と結託して、新しい技術開発をしている。その中心はなぜかハイブリッド・ビーグル開発部。ほんの少しのヒントで良いのよ。軍は何をやろうとしているの?」


「最新の軍事機密が、どれだけの重みを持っているかなんて、一番わかっているのはあなたでしょう?それとも、私の口からどうしても言わせたいの?」


ミミよりずっと冷静、もっと言えば冷酷な響きの声を持つジョゼは、さすがにその台詞に少しばかりのやり切れなさを含ませた。


「自分の元ダンナに訊けば…って?そうね、アタクシもそうは思うのよ。でもその為には、こっちにも持ち駒の一つや二つ持ってなきゃね」


何を探るつもりなの?ジョゼの目が細められる。それは情報部員としてよりも旧友を心配する優しさからか。




エレベーターの階数表示ボタンをジョゼは途中で押し変えた。降りた階は彼女の所属する国内諜報部ではなく、自然光が降り注ぐテラスのあるティールームであった。


「せっかくの再会なのだから、一口くらい何か飲みたいわ。ノンアルコールで悪いけれど」


そこで初めてジョゼは、女性らしい柔らかな視線をミミに向けた。


「DCRI(中央対内情報局)も、やっぱり忙しいの?」


取るに足らない世間話。仕事以外で交わしたことなどいつ以来だろう。もっともこの言葉の裏に何もないとは、さすがのミミでも言い切ることはできなかった。心を許せる人間が減っていく。いや、一人でもいるのだろうか。情報畑を選んだ時点で覚悟をしていたつもりでいたけれど。ちょっとした感傷ね。旧友に逢ったから…。

相手の方は、少しばかり微笑んだだけだった。彼女とて条件は同じ。普通のOLのように仕事の愚痴をこぼすことすらできはしない。


「クインシーには最近逢った?突然あなたが現れたりしたら、思い切り警戒されて終わりよ」


逢ったといえば逢いはした。その状況を話すとジョゼは、声を上げて笑った。


「何?これ見よがしに新しい男を連れて行ったの?それも選りに選って英国人を?すごい当てつけね」


いいじゃない。けっこう渋めの男よ。今度紹介してあげるわよ。ミミの精いっぱいの憎まれ口に、ジョゼの表情がようやくほぐれた。


「あなたの趣味は変わらない。インテリっぽいイギリス男に弱いんだから」


一度結婚でも事実婚でもしてから言いなさいよ、その台詞は。キュートさをにじませる瞳でジョゼを睨みつける。


「結婚なんて冗談でしょう?こんな生活していて、その暇がある方が不思議。毎日気持ちをすり減らされて、すさんだ思いばかりして」


自嘲気味な情報部員の戯れ言。二人の女性は顔を見合わせてこらえきれずに吹き出した。


「だから潤いが欲しいんじゃないの!出逢いはないの?」


ミミがふざけた声でジョゼを挑発する。彼女の笑い声は止まらない。


「こんな怖い女に近寄る男がいたら、見てみたいわよ。まあミミにとってはそれが武器なのかも知れないけれど?」






そうね、アタクシはそれを最大限に生かして職務を果たしてきた。あの頃とは違うのよね。ふと口をついて出た弱気な言葉は、ミミの本音なのか。


「あの頃って、クインシーと生活していた時期のこと?そのときだって荒れていたくせに」


学生時代をも共に過ごしたジョゼには、現実のミミとクインシーとの暮らしを知られている。そう、あれは愛する男女が幸せな蜜月を過ごしてるとは到底言えなかった。すさんだ気持ちをぶつけ合う、そんな葛藤の日々。


「あなたにだからはっきり訊くわ。息子さんにはあれ以来…」


「一度だって逢っていない。あの子がアメリカに渡ってから逢わないというのが先方との約束だから」



ミミがクインシーとの間にもうけた男児は、正式な養子として海の向こうへと引き取られていった。養子縁組が特別なことではない海外において、彼は裕福で穏やかな家庭で静かに暮らしている。それを信じることだけが、ミミの心の支えだった。


「一度はそこまで心を通わせた相手を、あなたは追い詰めようとしている。それでいいの?」


「心を通わせたはずの相手だからこそ、そしてアタクシをこの場に引き上げてくれた当の恩人であるエマーソンだからこそ、他の誰にも追わせない」


エマーソンの名を出すとき、ミミはぐっと声をひそめた。不用意に聴かれては困る名。そして口にすると複雑な感情が溢れてしまう相手だから。



しばらくその様子をじっと見つめていたジョゼは、身体を乗り出してその整った顔をぐっとミミへと近づけた。


「これは同情じゃないわ。どうやらあなたに伝えた方が解決が早そうだと、あくまでも私が判断したこと。いいわね?」


気づかれぬように、ミミの手が握りしめられる。


「フェーズド・アレイ・レーダー。そもそもイヴェールには何の関連性も見受けられない技術よ。そう目新しいものでもない。けれどなぜか、イヴェールは…クインシーはこのレーダーにこだわっている。そして軍も非常に関心を持っている。そこで終わるのなら私たちの出番などない。怖いのはこの技術が某国の原理主義者集団に渡ること。それでなくとも移民たちの動向には目を光らせているのに、もしこの手垢のついた技術が民間レヴェルでも使いこなせるものへと改造が加えられているとしたら。そしてその技術面をサポートしているのが何故かイヴェールだとしたら…」


ジョゼはでも、出どころはイヴェールではないと疑っているのね。静かな問い。


「おそらくは、デリック・エマーソンではないかと。あなたの耳にだけは入れたくなかった。どこまで突き進んでしまうかが怖かったから。でも、あなたはもう既に動き出しているのね」


旧友がかばおうとした精いっぱいの配慮。ミミは素直に有り難いと思った。しかし、彼を止められるもまたミミ以外にはいない。自分でもそれはわかっている。



「私は定年を迎えたら、あなたとルームシェアすることに決めているのだから。物件回りもしてるくらいよ。ニース辺りはいかが?」


だから生き残れと、ジョゼは言いたいのだ。無茶はするなと。ミミは答える代わりに穏やかに微笑み返した。






………


<フェーズド・アレイ・レーダー>とはその名の通りレーダーの一種ではあるが、一般人の思い描くような、大きな網目状の部品が首振り運動をするわけではない。

平面上に多数の小型アンテナを配置し、電子制御と受信したデータを電気的に分析することで敵の位置を探る…乱暴に言ってしまえばそのような新しい技術だ。

もっとも、軍事用に取り入れられたのはそう最近というわけではない。

その多くはイージス艦等の艦載用として作られているのだが、アクティブ型と呼ばれる方式では小型化も可能である。

だからこそ、船のみならず戦闘機にすら搭載することができる。

従来のレーダーに比べ性能は遙かに良いものの、電気的なノイズを多量に発生させる為に高い制御技術が要求される。


………


教科書を読み上げるように説明をする耀司に、ミミは小さくあくびをして見せた。


「いい加減にしろよ、若作りの年増!技術面で詳しい話が聞きたいからとわざわざパリまで呼びつけておいて、その態度はねえだろうが!?」


三十代に年増って言ったわねえ?睨みつけるミミに、噛みつく場所はそこじゃねえだろうがと耀司は頭を抱えた。


「もうちょっとわかりやすく説明してよ。それがどう今回の騒動につながるのか、ちっともわかんないわ」


あんただってエコール・サントラル・パリ出身の超理系だろうが。クインシーと同じ。その言葉をぐいと飲み込んで、耀司はミミにもう一度向き合った。


「だって軍用には確かに有用だけれど、今使われているものはみなバカでかい代物だし、中央対内情報局が心配するように某国過激派に渡ったところで、使いこなせるとも思えないでしょう?」


確かにそうだ。もともとイージス艦に載せるようなものだ。その辺の道ばたに転がせておけるものじゃない。せいぜいが戦闘機に乗せられるようになった程度。なぜそれを今さらイヴェール…ひいてはエマーソンが執心するのか。


それほどでかいのだ。そう…武器としてはでかすぎる。




「おい、年増!」


耀司の呼びかけに、ミミは本気で持っていたバッグで殴りつけた。しかし耀司の真剣な表情に、言いかけた嫌みを無理やり止める。


「ヨウジ?あなた何を考えてるの?」


「フェーズド・アレイ・レーダーはでかいんだよ。だからこそ民間レヴェルでは使いこなせない。もし、もし仮にこのレーダーを小型化できたら…」


「!?」


ミミも言葉を失う。イヴェールの従来の技術力で小型化が可能だとは思えない。しかしそこに、AOKIのひいては日本のコンパクト化の手法が用いられたら。バカでかいという欠点を持つフェーズド・アレイ・レーダーが、極端な話、持ち運び可能なサイズになったとしたら…。


「でも、ちょっと待ってよ!?どれだけ高性能なフェーズド・アレイ・レーダーと言えども、しょせんはレーダーでしょう?民間人がすごくいいレーダーを持っていたところで、いったい何のメリットがあるっての?」


「バカか、てめえ。よく考えろ。レーダーってのはな、その副作用と言うべき欠点を持っているんだ」


欠点?ミミは息を飲む。武器には欠点がある。そして往々にしてその欠点はさらなる攻撃力を生み出す。フェーズド・アレイ・レーダーの欠点とは…。



「-電気的なノイズを多量に発生させる-んだろ?そのノイズは何をもたらすか」


通常であれば、このノイズを引き起こさない為の対策が取られるはずだ。それがレーダーを制御するということ。しかし逆説的に言えば、ノイズを発生させる装置としても使えないことはない。電気的な多量のノイズが引き起こすものと言えば。



「……精密電子機器の誤作動。これ、か?あいつらの狙いは……」



精密電子機器。その集合体と言えるのは、現代電子技術の粋を集めた-ハイブリッド・カー-


「例えば…ハイブリッド・カーに代表される精密電子機器に誤作動を引き起こさせることが、誰かの思惑通りに自在に操れるとなれば」


「それは強力なテロの武器となりうる、というわけね」


イヴェールもAOKIも自動車メーカーだ。いわば誤作動を起こしかねない強力なノイズは<天敵>。むろん対策を練る為にも研究は盛んに行われているだろう。逆の意味で。




「ただの妄想だ。これは俺の、勝手な想像でしかない」


耀司の声が震える。


「持ち運び可能なフェーズド・アレイ・レーダーを、誰かが持っていたとしたら。それをfloraに向けたとしたら。あの事故は…仕組まれたもの…」



カシャーン。



耀司の手から滑り落ちたグラスが、床で粉々に砕け散った。それに気づくこともなく、二人は無言のまま表情を凍り付かせていた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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