#81
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「AOKIの過失が見つからないだと!?ふざけんなよ?それでも弁護士の看板しょってんのか、てめえ!?」
ウィリーの事務所の一室で、ケイはうなり声を上げた。もう取り繕う気はさらさらないらしい。当の相手であるウィリーでさえ、冷や汗をかきながら彼の機嫌を取るのに精いっぱいなのだから。
「頼むから事務所内で大声を出さないでくれないか?ここは社会的に身分の高い顧客も多い。君のような柄の悪い…」
程度の低い下町出身で悪かったな。笑顔さえ浮かべずにケイは、先輩であるウィリアムズ・パークスを睨め付けた。
本来、ハミルトンの子爵位の後継権を主張してきたのは、ケイ・H・パークスの義兄であるウィリーのはずだ。しかしいつしか形勢は逆転し、ブラックであるケイは散々この若き弁護士をあごで使いぱしっている。
「こちらだとて、正式に依頼があったんだ。ハミルトン子爵が後ろ盾となるfloraの事故遺族会からのね。だからかなりの人員を割いてAOKI側に瑕疵がないか徹底的に調べた。しかし調べても調べても」
それは裏権力でもみ消されるからか。鋭さを増すケイの言葉にもウィリーは首を横に振った。
「彼らは良心的に安全面に配慮して、むしろ欧州車の何倍も気を遣って事故のないよう万全の対策を取っている。これは表側だけでなく、うちの代表が裏に手を回してまで調べてもらっても同じ結果だ。このままではAOKIを訴えたところで、こちらに勝ち目はない」
「そんなバカな話があるか!?実際にあれ以降だって事故は多発している。それを力でねじ伏せているのはAOKI自身だ!!」
おれは知っている。それを嗅ぎ廻ったのは己本人なのだから。歯がゆさが表情に出てしまう。
「それもこちらも把握しているさ。事故が起き、それをもみ消しているのは事実だが、事故自体の原因がAOKIにあるとは考えにくい」
そんなはずはない。彼らはコスト面だけを考えて安全性を無視してきたのではないか。だからあんな事故が平気で起き、何ら責任を問われないのではないのか。刑事訴訟はできずじまいだった。だったら民事で良いから社会に訴えて道義的責任を取らせたい。そのための調査であり、こんな生命を賭けての綱渡りを繰り返してきたんじゃないか!!
目の前のウィリアムズが無能とは考えにくい。駆け出しの彼のバックには、業界一の法律事務所がついているのだ。
これはただの仮定だが…。ウィリーが何とか口を開く。ケイは視線も向けない。
「コンフィギュアは歴史も古く、深く英国社会に根付いていた。それをいわば乗っ取った形のAOKIに対し、快く思わないものは多い。隙あらばAOKIをつぶそうと考える精力があってもおかしくはないだろう、というのが所長の一意見だ」
「つぶそうという…勢力」
AOKIもはめられたというのか。見えない英国の階級という壁に阻まれて。
「だったら、その反対勢力とやらを探ってくれ」
「無茶を言わないでくれ!ここまで調べ上げるのだけでもかなり国家中枢のお偉い方に接触してもらったのだぞ?」
さらりと言い捨て、さすがのウィリーもふてくされた表情を浮かべて応接セットのソファにもたれかかった。なぜこの私が…、その気持ちがありありと伝わってくる。
しかしケイには、そんな彼の態度に構っている暇はなかった。
「おい、待てよ。何でそこで国家中枢のお偉いさんが出てくるんだ?」
「AOKIが秘密裏に軍との関係を深めたことでのし上がってきたことは、君の方が詳しいだろうが」
ぐらり。ケイの感じる軽い目眩。ここでもまた何かがずれている。金をつぎ込んで次世代リチウムイオン一次電池の開発を進めさせているのは、英国軍側のはず。なぜ妨害する?とすれば、英国と敵対するものからの横やりなのか。それはどこだ?よく考えろ、ケイ・ハミルトン。アンディはあの試作品をどこに流すつもりだったんだ?
イヴェール。フランスの大手自動車企業。
では陰で糸を引くエマーソンはフランス…ひいてはEUに利益をもたらしたいのか。なら何故、彼は二重スパイと呼ばれ続けているのか。
こんな手の込んだことを仕掛けずとも、エマーソンならAOKIの情報くらいフランス側に渡すことなど簡単にできるだろう。彼がしていることは英国とEUの溝を深めることばかり。
ヤツの目的は何だ。何も見えない。ああそうだ、それが掴めないのがイヤなんだ。
「あんたんとこの所長説を採るとすれば、あの事故を引き起こしたのはAOKIではなく敵対勢力である、ということになるな」
あくまでも、ただの仮説だ。仏頂面でウィリーが応える。どうにかしてこの生意気な偽子爵から主導権を奪い返したい。その思いはありありと伺えるが、今のところはことごとく失敗に終わっているらしい。
「その勢力が何か、すぐに調べてくれ」
「できるはずがないだろう!?どれだけの力を持っているのか、うちの事務所の総力を挙げても掴めないというのに!それに、わかったところで訴えられる可能性は殆どない!」
「訴えるのは、あくまでもAOKIだ」
そこでようやく、ケイはニヤリと笑った。どういうことだ…?ウィリアムズが眉をひそめる。
「形だけでもAOKIに謝罪をもぎ取る。なぜならAOKI自体もその裏の勢力を明らかにはできないだろう。おそらく自分たちがすべての責任を被るはずだ。そこに何らかの動きがある。しっぽを出すとしたら…そのときだ。おれたちは全部が全部、表に出せるとまではさすがに思っちゃいない。ただ、その動きを牽制することはできる。だろ?」
「法に反して脅す気か?」
はん、そんなヘマはしない。おれたちが知りたいのは、あくまでも真実。そして真実を知る一般市民がいるということを、階級という壁の向こうで安穏としている連中に思い知らせたいだけだ。
「君は…」
ウィリアムズ・パークスは絶句した。ケイの見ている先は、ずっと深い。永遠に光を失った黒い瞳は、逆に何もかもを見通す力を得たかのように。
すっとケイが立ち上がる。そのたびに感じる目眩にもだいぶ慣れた。それでも彼はしばらく、サングラスの上から大きな手で顔を覆い、息を整えなければならなかったが。
その様子をじっと見ていたウィリアムズ・パークスが、ようやく本来の凌虐な表情を浮かべた。
「そうだ。君に一つ頼みがあるのだが。依頼された事件のことではないよ」
肩を落とし、暗い眼鏡の中からいぶかしげな視線を向けたケイに、ウィリーは例の快活な笑顔で言った。
「僕の大切な弟が、君に逢いたいそうだ。構わないよね?というよりも、断るだけの権限は君にはないな」
ケイの体がこわばる。今その話を蒸し返すな。すべてが終わったら…。
「何度も言っているはずだ。こっちは手の内を全部あんたにさらけ出している。この事件さえけりがつけば、とっとと子爵だろうが何だろうか返してやるよ」
深く暗い声。それがなおさらウィリーを悦ばせることもわかってはいた。けれど、どうか今は。
「何もすぐに君からすべて身ぐるみ剥がして放り出すとは言っていないさ。この事件はそれだけ大きな社会的影響力があるからね。事務所としても僕としても、全力で取り組みたいのは間違いない。そうではなく、純粋にケイは…弟は君に逢いたいとだけ言っているんだ」
「逢う必要なんかない」
それまでの強気な発言がウソのように、ケイは歯を食いしばった。
「言っただろう?君に拒否権はない。ケイ・H・パークス…僕の最愛の弟は君の屋敷で話し合いたいそうだ。日時はこちらで決めさせてもらう。連絡するのでそのつもりで」
協定関係を結んでいるはずの、本当ならば彼の最大の敵。ケイは肩で大きく息をすると悔しさに唇を噛んだ。
「だから!!何でアタシたちが一緒にお茶なんかしてなんかなんないのよ!?」
ロンドンでパリの雰囲気を感じさせるモンパルナスカフェで、非常に不満げな声を上げたのはもちろんアニーだった。
そのはす向かいには、これもまた苦虫を噛み潰したような顔の耀司と、ただ一人ほっとしたようにカフェボウルを抱え込んでリラックスした表情でいる…ミミ。
「しょうがないじゃない。これが現在、アタクシたちができる唯一の任務なんだから」
「言っときますけどね!?アタシはフランスの使いっ走りになった覚えは全くありませんからね!!」
「…本当にこれが、真実につながる道なのか」
唯一冷静な言葉でいらえを返したのは、耀司だった。彼にとっても辛い作業には違いない。あの事故の詳細を振り返れなど、誰が耀司に要求できるだろうか。まだとても傷など癒えてはいないのだ。どれだけ彼が気丈に振る舞っていたとしても。
「ダリルはそう言ったわ。ケイが調べさせた結果を見てもAOKIに過失はない。何らかの妨害があったことは間違いないだろう。とすればそれはフランス側なのかどうなのか。当時からイヴェールがライバルであったことは間違いないし、フランスを主としたEU諸国の要求を頑なに突っぱねていたのは当のAOKIなのだから」
「あんたんとこの国の尻ぬぐいをさせるつもり!?自分ところのご自慢のエージェントでも使いなさいよ!!」
「アタクシたちには、その事故の全容どころか概略すら伝わってないのよ?ここには、現実の目撃者兼関係者がいる。アタクシたちの持つ情報を集めていけば、もっと輪郭がはっきりとしてくるはずよ」
アーネストの目が、ぐいと細められる。それは多分にめったに見せぬ侮蔑の現れ。
「ミミ…。あんたはそんな小娘みたいな顔をして、やっぱり人間なんかじゃないわね」
言われ慣れているのか、気にもせずにタバコの煙を人に掛からぬように吐き出すミミ。
「どれだけ酷いことを、あんたは耀司に言ったのかわかってんの…?」
アニーがどれほど裏社会に通じた情報屋だとしても、しょせんは民間人。情もあれば義理も通す。そうでなければ逆に生きてはゆけぬのがロンドンの裏の顔。
けれど、情報部の人間は違う。ミミの瞳が冷たく光る。
「真実を知りたい。誰もがそう言うわ。けれどそんなこと、痛みを伴わずに知ることなどできはしない。耀司は既にその覚悟を決めているみたいだけど?」
言葉少なに愛用の一眼レフをいじっていた耀司は、視線をカメラに落としたまま呟いた。
「俺の痛みなんざ、どうだっていい。あんただってやるつもりなんだろう?」
アニーは意味を図りかねて、耀司へと顔を向ける。
「イヴェールの実質的トップ。若き実力者であるクインシー・キャリック=アンダーソンに接触する。情報を得たいが為に、な」
洒落た携帯灰皿に吸い殻をねじ込むと、ミミは薄く笑った。
「今は…ただの赤の他人よ。必ず有益な手がかりを引き出してくるわ。時間がないのよ、アタクシたちには」
不意に訪れる、ゼネラルパウゼ(全休止)。
気を取り直したように、ミミは目の前に置かれたチョコトリュフのアイスにスプーンを入れた。
時は流れる。カフェのある通りには大勢の人の群れ。無言と笑顔と、疲れ切った表情と。
誰もが日常を送るのにギリギリの生活をしている。ここで何かを守ろうとしている三人がいることにさえも気づかずに。
耀司は黙って、すっかり冷めてしまった苦い紅茶を飲み干した。
(つづく)
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