#8
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青木の屋敷には厳重な警備が施されていた。よく訓練されたと一目でわかる数名の警備員。周りを囲む、おそらく電流を流した柵。入り口のセキュリティ・ロックもすぐに解錠できかねるものだと推測される。
ケイは門の前に立つと、さりげなく辺りを見回した。こんな機会などめったにあるはずもない。どこから侵入すれば一番効果的か。なるべく平穏を装って、瞳だけをぎらつかせる。
監視カメラは二台。どちらもつぶす必要があるだろう。それから屋敷に入り込むだけの時間は、どれだけ許されるか。
心の中で物騒なことを思いながら、ケイは招待状を胸ポケットから取り出すと、空いている方の手でもう一度ネクタイを締め直した。
「ケイ・ハイミルトン子爵様、どうぞこちらへ」
執事らしい男が中からあわてて向かってくる。うやうやしく中へ招き入れられる。ケイの正体も知らずに。
あごを上げ、皮肉げに微笑む。誰も気づきはしないだろう。ようやくここまでたどり着いたのだ。
門から屋敷までの長い舗道を歩く間も、ケイは頭の中にその形状を記憶していった。色とりどりの緑の木々に囲まれた庭園。イギリス式なのか、それともこれが日本の庭というものなのか。
庭師の手入れは良いけれど、これだけ敵が身を隠す場所があればかえって危険なこともわからないのだろう。
問題は…侵入の突破口だな。ケイは心の中で独りごちた。
仰々しい玄関を開けると、そこは大きな吹き抜けで、ゆうにケイの屋敷の一部屋分くらいはあった。少なくとも耀司の決して綺麗とは言えない自宅マンションよりかは広い。
笑顔で出迎える美しい女性。オフィリア・オルブライト=青木夫人だった。
「まあ、ロード・ハミルトン卿!よくおいでくださいました。ご連絡くださればお迎えに上がりましたものを」
「お招きいただきありがとうございます、マダム。」
どこで身につけたのか、ケイは優雅に夫人とそっと頬をあわせてみせた。それはおそらく、ハミルトン夫人の身のこなしから自然に覚えたもの。コックニー上がりの少年が、子爵へと生まれ変わった証拠。
その後ろで恥ずかしげに隠れている夫人の娘、クリスティアナ・オルブライト=青木嬢へ向かって、ケイは手を差し出した。
ややホッとして彼女が握手をしようとした途端、ケイはその華奢な手の甲に優しげに唇を押しつけた。
急いで手を引っ込めようとするクリスを、彼は離そうとしない。
思わず睨みつける彼女に、母親はせかすように肩をつついた。
「ほら、お客様をご案内して!?失礼のないようにね!」
そもそもハミルトン卿に大×をつけたのは、お母様じゃない!クリスの心の声は届かない。この間の事件から、すっかり母はこの頼りなさ気な子爵が気に入ってしまったようなのだ。
庭が一番綺麗に見えるテラスへと、手をつながれたまま仕方なくクリスは彼を案内していった。
ふっとケイが力を緩めたときを狙って、彼女はさっと自分の手を引き抜いた。頬が赤くはなっていないだろうか。それだけが心配でもあるかのように。
その男慣れしていないお嬢さまめいた仕草に、ケイはいつもの皮肉げな苦笑いを浮かべる。
…なんとまあ、落ちるのも時間の問題だな…
侵入口のセキュリティが厳しいのであれば、中から手引きをしてもらうのが一番楽だ。
『この間の狙撃犯に捕らわれて命を狙われている、この人たちの言うことを聞いてくれないか』
おれが弱々しい声でそのセリフを口にすれば、彼女は簡単に「ブラック」を屋敷の中へと引き入れてくれることだろう。
ケイが心の中でそんな計算をしているとも知らず、母親はにこやかにお茶の用意をさせていた。
「娘の命を助けていただいて、本当に何と感謝を申し上げてよいのか。もっと早くお礼に伺う予定でおりましたのに、申し訳ございませんことよ」
「いえ、あれはただ…運がよかっただけで僕は何もしていませんよ。それより、お招きいただいた記念にとこれを。お気に召していただければよいのですが…」
そう言ってケイが取り出したのは、細長い箱だった。それをクリスの目の前に差し出す。
「どうかお開けになってください。あなたのイメージに合わせて選んだつもりです」
まあ、子爵様!私どもの方がお礼を…、言いかけるオフィリアに軽く手を振り、制する。
クリスはケイの言葉に操られるように、震える手で箱を開けた。
中から出てきたのは、アンティークのネックレスだった。渋く光る細い鎖に、小さく赤いルビーが輝いている。
「こんな高価なもの、いただけませんわ!」
ケイはここぞとばかりに満面の笑みを浮かべ、家にあるコレクションの一つですからと、さらりと言ってのけた。
確かに元手はかかっていない。コレクションという言葉にも間違いはない。
ただその出所が、別の侯爵様の宝石箱からだという以外。
彼はごく自然なそぶりでそのネックレスを手に取ると、クリスの首に腕を回した。
「よくお似合いですよ。鏡をご覧になりますか?」
まあ素敵、と大げさに声を上げる母親と対照的に、クリスは下を向いて唇を噛んでいる。
視線を合わせることもできないのだろう。透き通るような整った顔立ちのハミルトン卿とは。
母親はわざと席を立つと、さも用事があるかのように部屋の中へと戻っていった。
テラスには二人きり。
さあ、とどめはどうしたものか。ケイがニヤリとしたそのとき、クリスは顔を上げた。小声でささやく。
「…何をたくらんでるのよ!?」
ぎくっ、とした表情を隠すのが精一杯だった。何を言い出しやがるんだ、この小娘は…。
「ルビーは気に入らなかった?君の今日のドレスまではわからなかったから、コーディネイトに納得がいかないのなら、着替えるまで待つよ?」
ケイは何とか態勢を整え直すと、余裕ありげにそう言ってみた。内心は冷や汗をかきながらだが。
「私に似合うはずないでしょう?だったら母にあげればよかったのよ。その方がこのルビーも幸せだと思うわよ?見え透いたお世辞はたくさん。あなたもAOKIを狙うつもり?」
硬い表情のまま、クリスは顔を上げた。
心外だなあ、僕は純粋に…。ケイの言葉でさえもクリスをやわらげることができなかった。
…こりゃ、そうとうの意地っ張りか?それとも母親にコンプレックスでも持ってるのか…
けれど動じるケイではない。ちょっと行儀悪く手を組んでテーブルに肘をつくと、クリスを下からのぞき込んだ。
「あーあ、参ったなあ。君にはかなわない。僕は使用人も雇えない貧乏生活から脱却できる。君らは子爵という肩書きとつながりが持てる。悪くない取引だと思うんだけど?」
あまりにあけすけなその物言いに、クリスは思わず吹き出した。
ケイはその笑顔を見つめながら、青木の娘か、と苦い思いを必死にこらえていた。
なぜ彼女が狙われる?誰が、何のために。それだけの金を出せるAOKIの周囲の人間は、そう多くないはずだ。
おれが彼女を守るいわれもない。それは重々わかっているつもりだ。
自分が依頼を断ればすむことであって、巻き込まれる筋合いはない。
なのになぜか、ケイはあれから依頼人の調査を耀司に任せ、自身はこうやってクリスに近づこうとしている。
AOKIの機密を探るためだと、自分の心に言い聞かせながら。
ケイは己の気持ちを持て余したまま、目の前の薫り高いダージリンを飲み干した。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved