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#76

#76



「さすがは名うての情報屋、だな。早々にここを探り当て、俺たちを逮捕しに来たって訳か。あの鉄仮面の警部はどうした?」


常に陽気で何ごとにも動じない頼もしい男。その耀司の虚勢すらも剥がれ落ちた。彼はアニーに精いっぱいの悪態をつくとうつろな視線を向けた。


「はん。あんな朴念仁はどうだっていいのよ。お気の毒さまってヤツ。今なんか干されてあれほどの無趣味無味乾燥な仕事人間が、無理やりバカンスをとらされてるわ」


耀司の組んでいた指が、そっとほぐれる。カークランドが前線を外されたのか?



「事件は…なかった。誰も被害者はなく、盗まれたものもない」


静かなアニーの声に、耀司は唇を噛んだ。

すべては、闇の中。冗談じゃない。では何の為にケイは…。




「…どうしてここが、わかったんです…?」


微妙に変わる言葉遣いに、当の耀司でさえ気づいていなかった。


「ここが、ケイ・ハミルトン・パークスのかかりつけだということは知らなかったの?」


耀司の顔色が蒼ざめる。二人のケイがここにいる。知っていたのなら何があっても避けたのに。





病室を出ろとの無言の合図に、彼は素直に従った。すでにクラッチを持ってはいないが僅かに引きずる脚。アーネストの身体を撃ち抜いたのは紛れもなくここに横たわる、ケイ。


…もう、銃を持つことも不可能だろうがな…



白い採光のよい廊下の先は、ちょっとしたパティオ(中庭)のようになっていた。

アニーは華奢な飾りの付いた椅子に腰掛けると、近くに座るよう耀司を促した。


彼の意図がわからない。俺たちを憎んでいるのではないのか。黙って身を沈める。


「どうしてここが」


同じ問いしか出てこない。情報屋としての格を見せつけられたと言うより、彼の持っている人脈に興味があった。耀司自身が裏の仕事をするのもすべては…サラ・ハミルトン夫人の為。この事件さえ片が付けば、おれには全く用のない技能なのだから。


その先に…何が待っているのか。わからないのはケイだけではないのだ。


「幼い頃、同じように猟銃の事故で後遺症を残した少年は、この病院に通い続けた。アタシはケイという名を持つその子を追っていた。貴族のお遊びなのか、はたまた他人様には到底言えないほどの訳ありなのか。その手の事故をうまく処理してくれる病院は限られている。偶然にも」


フッと言葉を切ると、軽く耀司に視線を向ける。言いたいことを飲み込んでアニーは続ける。


「そうね、偶然にも銃によるけがを負ったアタシはここへ転院した。もちろんお目当てはケイ・H・パークスよ。なじみの看護師が連絡をくれたわ。同じ名を持つ青年が、同じように狩猟中の事故で運ばれた…とね」


ケイ・パークスも猟銃の事故だというのか。偶然。なんてまあ都合のいい。いや、俺たちにとっては間の悪すぎる…。


「偶然なんて言葉、信じちゃダメよ。わかってるわよね」


「すべては仕組まれたこと、と言うのですか」


まあ、あんたの大事なご主人様がここに運ばれるとは思わなかったけどね。アニーはようやくそこで乾いた笑い声を上げた。


「貴族様の考えそうなことなんて、みんな同じってことよ。ケイ・パークスがここに運ばれたとき、彼はまだハミルトン家の嫡男だった」


耀司の顔がこわばる。そんなに前から全ては始まっていたのか。いや、もっと以前からの絡み付いた糸。




「十五年前に彼は、銃で脚を撃ち抜かれてここに運ばれた。一時は生命にも関わると言われたほどの重傷だのに、警察は動かなかった」


「十五…、先代の子爵とともに行方不明になったときですか」


あの朴念仁はね、あんたたちが三年もフランスで何をしていたかってことばっかり気にしてたけど、普通はこっちの事件を重く見るんじゃないの?


朴念仁…カークランド警部のことか。とうに多くの事実を掴まれていたという訳なのだな。耀司の面が引き締まる。



「正直に言うわ。これは一つどころの騒ぎじゃない。多くの人と事件が複雑に絡み合っている。すべてをほどかないことには、あんたのご主人様は救われない」


「救われる?ケイが?」


犯罪者として、法に触れる許し難い者として追われているのではないのか。つい顔に出る。


「ダルは、救いたいと思っている。本人にその自覚があるかどうかは、あの通り見せやしないけれどね」


ほう、と一つアニーが息を吐く。珍しい彼の逡巡。何が正義なのか正しいのか。見るべき方向から見れば、幾通りでも答えは見つかる。けれどアーネストは一人。己が信じる真実を探すしかあるまい。


「アタシの持っている情報は、あんたに差し出すわ。だから…そっちの内情ってヤツも教えてちょうだい?」


今度は耀司がとまどう番だった。捕まることも生命を投げ出すことも、これっぽっちも怖くはない。ただ、ただハミルトン夫人の事故の真相だけを俺たちは知りたいのだ。



「いい?ことは単純じゃないって言ったでしょう?これはAOKIのfloraに欠陥があったとかそんな問題じゃないの。だからこそ、きちんとすべてのパーツを集めて、きちんとした絵を描ききらなければ解決しない。少なくともアタシは…ダリル・カークランドはそう考えているわ」


それでも、耀司の口は簡単には開かなかった。イヤ、開けなかった。どうしたらいい?どうすればいい?こんな大事なことを、ああそうだ、いつも部外者の俺が決めさせられてきたのだ。




アニーは、つと視線を外すと高い天窓から差し込む太陽光を見つめた。frosted glass-曇りガラスのせいで、いったん強い陽射しが和らげられている。それでも目を細める彼に、つられたように耀司は視線をあげた。


「ケイは…ケイの黒い瞳はもう二度と…この光さえも通さない…感じない」


「オッド・アイが、ケイ・ハミルトンの人生を大きく狂わせた。そうじゃない?」


耀司は何も言い返せなかった。あの日、下町で出逢った神秘の瞳。誰もが取り憑かれたあの美しき珠玉の宝石。その一つはすでに…失われてしまったのに。


「では少しばかりヒントをあげようかしら。本当にまあ、手の掛かること。あんたたちはあまりに問題に近すぎて、気づけなかったようね」


のろのろと顔をアニーに向ける。どこから手をつけていいのか、耀司でさえ図りかねた。


「いいこと?先代の子爵とともにいったん姿を消したケイ・パークスの当時の年齢は?」


ハッとしたように耀司は目を見開いた。考えたこともない。第一あのとき、俺たちはただの野良猫のガキでしかない。



「じゃあ質問を変えるわね。パークス家に現在アマンダ夫人の連れ子として入っている彼は、ウィリアムズとはいくつ離れているんでしたっけ?」


確か、二つ…年下だ…と。ゆっくりないらえ。


「では、あなたのご友人のケイは?」


パブリック・スクールでは二年に編入した。当時のウィリーは三年。そう、一年違いだ。



「!?」


「ようやく気づいた?なぜ、失踪したケイ・パークスが戻ってきたはずだのに、年齢が違うの?」




ケイは…あのとき確か十歳だ、と。




「よく考えてよ。サラ・ハミルトン夫人はブラックという名のコックニーの孤児を引き取った。ケイが戻ってきたと信じて。彼の素性も何もかもわからないはずなのに、どうして彼のことを十歳としたの?いなくなったケイと同じ九歳にすればよかったのに。そして、いくら落ちぶれていようとも子爵は子爵だわ。なぜ…随分と強欲そうな子爵の親類どもはそれを認めたの?」


確かに欧州諸国にアジアのような戸籍はない。しかし出生届は出されているはずだ。法的な記録が残るはずのケイ・パークスはアマンダの元へすんなりと戻り、ケイは…彼より一つ年上としてハミルトン家に入った。


…なぜこんなことが?


「先代の子爵と息子の失踪、そして溺死した父親。些細なことと片付けられているこの問題でさえ、これだけの齟齬が含まれている。落ち着かないのよ、きっちりすっきり説明がつかないのって」


口調こそおどけていたが、アニーの目は笑ってなどいなかった。


「協力、してくれるわよね?」


耀司は力なく頷くしかなかった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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