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#74

#74



なすすべもなく立ちつくす「彼」に、アンディはそっと照準を合わせた。ブラックはゆっくりとオッド・アイをそちらに向ける。


「…撃ちたきゃ、撃てよ…」


彼の手からS&Wが滑り落ちる。抵抗する気力も、もはやなかった。


クリスティアナの生命を奪おうとしていたのは、実兄であるクインシー。それもたかが特許権の相続を独占したいが為。誰もクインシーが兄であることも、父親のリチャードがリチウム蓄電池の開発に携わっていたことも知らなかったというのに。


ああそうか。兄は…この期に及んで兄と呼ぶのならば、おれたちの存在自体が許せなかったのだろう。生き延びる苦労も知らず、のうのうと暮らしている、と。


話し合うことは、理解し合うことはできなかったのだろうか。どれだけ言葉を尽くそうとも、しょせん無理だったのだな。


表面だけを見れば、クリスティアナはAOKIの社長令嬢であるし、おれは子爵だ。それがかりそめのペルソナであったとしても。苦学の末、その若さでイヴェールの重役にまで上り詰めた兄には、到底許せるものではないのだろう。


金でも名誉でもなく、あったかどうかもわからぬ親の愛情を奪い合う行為。彼にとってはこの技術こそが父の想い出なのだろう。誰にも渡せぬ…唯一のもの。



だったらくれてやる。それで兄の気が済むのなら。こんな形で出逢うとも思わなかった兄妹たち。







「頼みがあるんだ、アンディ」


「今さら命乞いか?随分とまあ未練がましいな」


皮肉げに嘲笑う彼に、そっと呟く。


「おまえが殺せと命じられたのは、クリスティアナ・キャリック=アンダーソンか。それともクリスティアナ・オルブライト=青木…か。彼女がキャリック=アンダーソンの相続権を放棄すれば、殺す意味もなくなる。死ぬのはおれ一人でたくさんだ。彼女だけは、解放してやってくれ」


ケイ!!思わず叫んだクリスの声が遠ざかる。ケイと呼ばれるのも、久しぶりだな。そんな気さえした。


アンディが口を開くより早く、クインシーは吐き捨てるように言った。


「なぜ私が、おまえを名指しで殺害依頼したと思っているのだ?キースにクリスを殺させる。できれば二人まとめて悲恋のsuicide pact(心中)でもしてくれればと思っていたのだがね。今からでもそう演出することは可能だ。犯罪者ブラックによる、社長令嬢との許されざる恋、とな」


ブラックは目をつぶった。兄の憎悪は深い。もともととても仲のいい兄妹ではなかった。家族もまた。冷ややかな家庭でそれぞれが怯えるように暮らしていた。兄にとっておれたちは心から憎むべき存在でしかないのだろう。


エマーソンに依頼を持ちかけたのもあんたか。最初から払う気がないのなら、べらぼうな報酬にも納得がいくさ。



そこまで必死に声を押し出すように呟いていたブラックは、ハッと顔を上げた。



「エマーソンは…知っていたのか?」



おれがキース・キャリック=アンダーソンであること、を。知っていてなお、大尉はこの命を下したというのか。


もうこれ以上の酷いダメージはないだろうと感じた。しかし、それさえも軽いものだと思い知らされた。おれは…おれは誰を信じれば良かったんだ…







遠くから僅かに光が届く。

追っ手と認識したクインシーは、一人して車に乗り込んだ。


「後は任せる。必ず始末しろ。二人とも、な」


音もなく高級車は去り、銃口はわずかのぶれもなくブラックを狙い続ける。


「さあて、どこからおみまいしてやろうか。望みを聞いてやるよ。一発で楽になどしてやりたくもないさ。あんたには散々な目に遭わされてきたからな」


うつろなブラックの瞳。クリスはとても近寄れそうもないといった表情で、痛ましげに見つめるばかり。


「好きにしろ。死なせてくれるのなら贅沢は言わない。のたうち回って息絶えるまで撃ち込めばいい」


おれが今までしてきたように。たくさんの生命を奪ってきたように。



すべては終わる。これで…終わる。



放心状態のブラックを見て、アンディはニヤリと笑った。





「わかった。あんたが一番辛い場所からにしてやる。そこでゆっくり見物してな!」


言うが早いか、アンディは銃の向きを僅かに逸らした。その延長線上には…クリスティアナ!!


意図を素早く見抜いたブラックが大声を上げる。


「彼女に手を出すな!!クリスは関係ない!!」


「俺が受けた依頼は二人の始末だ!!愛する妹が苦しみ死んでいく様をまざまざとそこで見ていろ!!」


手から離した銃を拾うのと、彼女を守るのとどちらが早いか!?ブラックは無意識に傭兵特有の計算をした。身体が勝手に反応する。


「クリス!!伏せろ!!」


飛び掛かるように彼女の身を伏せさせようとする。弾は逸れるはず!彼の計算は外れない!




しかし、その瞬間…追っ手のライトが突き刺すように彼らを照らした。





零コンマ何秒か。ブラックの蹴り出すダッシュが遅れた。


クリスに覆い被さった彼は…何度か地面を転げ回った。両手を顔につけたまま唸り続ける。


「ケイ!!」


走り寄るクリスと、立ち上がろうとしないブラックと。どちらを狙うか、アンディが一瞬見せた迷い。


構え直した彼の銃は、しかし次の瞬間、はじき飛ばされた。





「あうっ!!」


利き手を撃ち抜かれ、アンディが苦痛の声を上げる。その視線の先には…フランス対外治安総局情報部員ミュリエル・ラファージュ。


「アンディ・パーカー。貴方からは随分といろいろ訊き出せそうね」


とっさに逃げだそうとした彼を、同行していた情報部の部下らが取り押さえる。自害されぬようにはめ込むマウス・ピース。手錠ではなく拘束具。



「ケイ!!ケイ、しっかりして!!」


地面に顔を伏せたまま、ブラックは立ち上がろうともがく。夜のとばりにもはっきりと映る、広がりゆく血溜まり。


「どこを負傷したの?意識レベルは?」


冷静なミミの声。


「来るな!!」


苦しい息の元、ブラックは叫んだ。もっとも声はかすれ、顔を上げることさえできない。


「ケイ!!」



悲痛なクリスティアナの声だけが響く。ブラック!!走り寄る影は彼の相方か。すぐさまブラックを抱え上げ、上半身を起こさせるのは耀司だった。


肩を抱き顔をのぞき込む。ブラックは右側を押さえたまま息を荒げている。


「どこだ?どこを撃たれた!?」


肩が激しく上下する。それでも気丈に彼は言葉を返した。


「か…すり…傷…だ…。なん…と…もな…」


頬も額も、ウィッグも血糊でべっとりと濡れている。これだけの出血だ、どこを損傷したのか。耀司に焦りが浮かぶ。


彼はキッと傍らの女性を睨みつけた。手には小型のおそらくベレッタ。まさかこの女が…。





ミミは、誤解しないでよ、と銃を向けたまま声を掛けた。


「彼を撃ったアンディ・パーカーは、我々が身柄を確保したわ」


「我々?」


不審気な耀司の視線に、フッと笑う。


「DGSEよ」


「フランス情報部、か。あんたみたいな女がエージェントはね」


忌々しげに吐き捨てる彼に、病院へ搬送するなら急いだ方がいいわと口を添え近づこうとする。


「来るなと言っただろうが!!」


耀司に持たれながらも、ブラックは何とか立ち上がる。夥しい血は彼の半身を染めてゆく。




「ケイ!私のせいで!お願い早く手当を!!」


ブラックの身体が僅かにかしぐ。黒い瞳は彼の両手と、彼自身が流す血に覆われて見えない。


残った蒼き光が苦痛に歪む。


「…おれは…ケイ…じゃ…な…い」









「では、キース・キャリック=アンダーソンとでも呼べばいいのか?」


いつの間にかその場にたどり着いていた追っ手ども。カークランド警部率いる警察の部隊は、彼らを取り囲むようにそれぞれの位置に付いた。


「そんな名など…知らない…」


「では、ブラックと呼ばせてもらおう。出血が酷い。すぐに手当を」


さすがの警部も、ブラックの様子に痛ましげに声を掛ける。


「おれに構うな!!ブラックなんかじゃない!!」


出した声の大きさに、彼はふらりと倒れそうになる。それを気力だけで持ちこたえる。そっと耀司が離れたことに、気づく者はいただろうか。


「ならば、何と呼んだらいいんだ。私たちは君を死なせるつもりはない。法の名の元、守られるべきものを守る為に」


「法が…なんだ…。警察が…何をしてくれるんだ」


「我々を信じてくれ!君を何と呼べばいい!!」


思わず叫ぶカークランドに、周囲は息を飲んだ。これ以上の悲劇は繰り返したくない。そのダリルの想いは届くのか。




「おれは…何者でもない。わかるか?自分が…どこか…ら来た…ものなのかを知らぬ…この…想い…を」


もはや、カークランドでさえも何も言うことができなかった。


「アンノーン(unknown…未詳)で、十分だ」





膝から崩れ落ちそうな彼に向かい、クリスティアナが泣き叫ぶ。


「あなたはケイよ!!私の大事な、大切な!!唯一人愛したケイ・ハミルトン卿よ!!」


…クリスティアナ・キャリック=アンダーソン…


声にならない呟き。クリスが唇を噛みしめる。兄などではない。そうでしょう!?



「キース…」


いつの間にかクリスティアナの肩を抱くように引き寄せていたのは、オフィリアだった。堅く堅く、彼女を抱きしめる。


「お願い、キース。クリスを、私の大切な娘を奪わない…で」


オッド・アイを見たときから、わかっていたこと。痛みと哀しみで意識が混濁しつつあるブラックに、伝わる母親というものの想い。








今まさに倒れこみそうな彼をめがけ、ジープ・ラングラーが飛び込んできた。修理が済んだ、というより何とか動くようになったのだろう。これ以上ないほどのスピードを上げて突っ込んでくる。


腕を伸ばして彼を無理やりピックアップすると、耀司は窓から顔を出して叫んだ。


「そこから離れろ!!巻き込まれるぞ!!」


言うなり、彼はガソリンのたっぷり入ったタンクを放り投げた。そばの警察関係者らは思わず怯む。ミミでさえ、部下に待避を命じる。


「早く逃げろ!!責任持てねえからな!!」


十分離れたと見るやいなや、耀司は持っていた銃でタンクをぶち抜いた。



どうっと火柱が上がる。



「全員退却!!煙に近寄るな!!車両は爆発の危険がある!!すぐさま後退せよ!!」


カークランドの指示も叫び声だ。彼はオルブライト親娘を抱きかかえるようにして車に乗せ、すぐさまその場を離れた。


風向きのせいで、ミミたちを乗せた四駆が隣を走る。



「アンディはイギリスの犯罪者だ!!ちゃんと引き渡してもらうからな!!」


窓から大声で怒鳴るのは、もちろんダリル。


「今はそれどころじゃないでしょうが!!」


ミミが負けじと叫び返した瞬間、もう一度、爆音が上がった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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