#72
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「レスキュー部隊の派遣はまだか!?SO19(公安警察)に連絡を入れたのだな?主要道路の封鎖と検問は!!」
カークランドの指揮の下、次々とテクニカル研究所附近へ警察各部署の人員が配備されてゆく。大がかりな捜査網。今回だけは、悲劇を防がねばならない。
何としてでも。
「カークランド君!いかな君でも、これはやり過ぎではないのか!?」
面目をつぶされたザヴィアー犯罪捜査部長が、たまりかねて大声を上げる。普段とは違い、感情をあらわにしたダリルは、負けじと声を張り上げた。
「いい加減にしてくれ!こちらは一刻を争う。こんな狭い警察内の主導権争いにこだわっている暇はないと言ったはずだ!!」
警部…。部下らまでもが言葉を失う。そんなものには頓着せず、彼は内線の受話器をザヴィアーに差し向けた。
「そんなに沽券に関わるとおっしゃるのならば、副総監室に連絡を取ってください。私はこの件に関して、全権を副総監から委ねられている。疑うのでしたらご自分でお確かめになったらいかがですか!!」
副総監…だと?この男は。いくら上流階級出身とは言え、身分はただの警部。なぜここまで上層部に食い込んでいるのだ。
ザヴィアーがなおも何か言いかけるのを、ダリルは必死に抑えた声で牽制した。
「すべての責任は私が取ります。それでよろしいですか」
電源車が現場に到着したとの報告を受け、彼はもはや部長には目もくれず踵を返した。
「私もそちらへと向かう。以降の命は無線にて行う。コードの確認を各自・各部署で確実にチェックすること。以上!」
残されたザヴィアーは、青ざめた表情でその後ろ姿を見据えるばかりだった。
既に煌々と灯りはつけられ、大型の電動カッターはその刃を地下二階の出入り口シャッターに向けられるばかりとなっていた。
電気供給が復旧したわけではない。自家発電システムは壊滅的なダメージを受け、作動しなくなっている。ここまで徹底して壊さねばならなかったのか。
カークランドは現場の状況が一望できる建物脇に立ち、掌であごを覆った。
一階部分にいた研究所員らの話では、侵入者は正面玄関を突破後、何らかの方法で地下へと向かったらしい。ここに階下へ降りる階段も非常経路もない。とすればエレベーターか。
…電源を止め、ただの空洞と化した昇降路を難なく移動できるとすれば…
どちらにしても特殊部隊出身、決め手とはなるまい。侵入者はアンディなのか、それとも。
「人的被害状況は?」
全くありません。一階を統括して調べている部下の報告を受け、警部は小さく息を吐く。傾斜部分に作られた地下二階部分の搬出入口は、見るも無惨な姿で手動脱出用扉が破壊されていた。
用意周到に少ないダメージを与えたのみで侵入経路を確保し、誰をも傷つけず階下へと潜り込む。そして車で立ち去ったという不審人物。なぜ、この搬出入口をも壊す必要があったのか。
微かに覚える違和感に、ダリルの目が細められる。
「地下の青木社長と連絡がつきました!」
差し出された携帯電話に耳を押しつける。建物内にも光は取り戻されているはずだ。電動カッターで救助用の脱出口を形成する音が、こちらまで響いてきている。
被害者であるにもかかわらず、彼らは何かを隠すのに必死だ。できれば早い内に現場に乗り込み、証拠をそのままの状態で保全しておきたい。警部は社長に向かって鋭く言葉を投げつけた。
「正直にお話し願いたい。今回の会議の目的は何か。何か盗み出されたものがあるはずです。それは…」
隠そうとしても無駄だと先手を打つつもりで厳しく問い詰める警部に、善治郎は叫び声を上げた。
「娘が!娘のクリスが!!」
娘さんがどうしたというのです!?尋常でない相手の慌てぶりに、彼も大声を出す。
「娘がおらんのです!?警部さん!!はよ見つけてください!!」
「何!?」
カークランドは携帯を握りしめた。
地下の現場に足を踏み入れたカークランドは、担当者が係官の目を逃れてしまい込もうとしたノートPCに手を掛けた。
「こちらには何を?」
いえあの…。しどろもどろの彼に鋭い視線を向ける。観念したかように口を開き掛けるのを、横にいた重役の一人が制する。
「新型floraの塗装色を選んでいたのです。若い女性がターゲットですからね」
たかが色ごときで、こんな辺鄙な研究所に人目を忍んで大集会ですか。カークランドの追求は止まらない。
「社運を賭けていますからね、floraには。我が社にとっては最重要機密です」
うそぶく重役を睨め付ける。こいつらは…。
データを押さえた係官と担当捜査官が、カークランドに目で合図を送る。潮時か。あとは手慣れたスタッフに任せることにしよう。彼は重役から離れると、未だ興奮気味の善治郎へと向かっていった。
「娘であるクリスティアナは、今回の会議に同行していて、出席者のうち唯一人姿を消したとのことです」
事情を聞きまとめていた担当官から報告を受ける。会議に同行?あの世間知らずのご令嬢が、か?
警部の顔に浮かぶ疑惑の表情。まさか、内部から手引きをする為ではないだろうな。
「早く捜してください!大事な、大事な娘なんです!!警部さん!!」
善治郎の必死の声に、落ち着いてくださいと肩に手を置く。ここまで可愛がっていたとは思えぬが。
「娘さんがなぜここに?」
「このところは、経営に興味を持ったと言って私にくっついて勉強しておったのです。あの娘が跡を継いでくれたら何も言うことあらしまへん。私も跡継ぎができたと喜んでどこへでも連れて行っておったのが…」
それは、最近のことですか?警部の冷静な言葉にうなずきを返す善治郎。肩を落とし、心なしかさらに小柄に見える。
すでに附近の捜索と検問配備は手配済みだ。しかし未だ有力な情報はない。
「心当たりはおありですか?侵入者は何かを盗み出したとしか思えない。またそれが、貴社の最重要機密とやらの新色ともとても考えられぬ。娘さんを捜し出す為には不可欠な情報です。何を…盗られたのです?」
それは…。さすがの善治郎も言葉を失う。娘が大切なことも本心、しかしそれにもまさる本物の「最重要機密」があったというわけか。
「娘が、それを盗んだヤツに連れ去られたのでしょう…か」
これは私の推測にしか過ぎませんが。警部の言葉が鋭さを増す。
「連れ去られたのか、もしくは…娘さんの意志でついて行ったのか。どちらも可能性があるのです。ですから、本当のことをお知らせいただきたい」
善治郎がハッとしたように顔を上げる。こいつは何を、言い出すのか。
「わかりますか?先ほどの重役殿がおっしゃったように、新車の色程度なら警察で対応できる。しかし、それ以上の情報が盗難にあったとすれば、出動要請を情報部あるいは軍にまで拡げなければならない」
青木社長の顔がみるみる青ざめる。どうやら掛けたカマは、うまくヒットしたらしいな。
「この件に関しては、報道管制も情報規制もすでに行っております。ことはAOKI社内のことだけに留まらない。そう考えても差し支えないのでしょう?」
どこにも情報をもらすことはありません。そっと付け加えたカークランドに、善治郎は声をひそめた。
「どうか、本当にどうかこれだけは。他の会社というよりも、別の国の政府機関などに嗅ぎつけられたら大ごとです」
黙って頷く警部に、善治郎はあきらめたように口を開いた。
「次世代リチウムイオン一次電池。その試作品を明日、軍関係者にプレゼンすることになっておったのですわ」
なん…だ…と…!?カークランドは面を引き締めた。
「主要幹線道路から離れた郊外に、不審車両らしき目撃情報がありました!」
丹念に侵入者の逃走経路を追っていたチームからの報告に、警部は無線を手にした。関係部署をそれぞれの配置につかせる。こちらの現場の細かな捜査は部下に任せ、彼もまたそちらの追跡に加わろうとした。
建物外へと出たカークランドに、悲鳴じみた女性の声が飛び込んでくる。母親のオフィリアだった。
「娘が!!クリスが居ないというのは本当ですの!?」
鋭意捜査中です。こちらは危ないので、仮本部としてある車両でお待ちください。静かに諭す警部に向かい、彼女はさらに声を上げた。
「ブラック…、彼なのですね!?ブラックがあの娘を!!そうなんでしょう!?あの人がクリスティアナを攫っていったのでしょう!?」
泣き叫んばかりに警部へと食ってかかる。カークランドの目が見開かれる。
確かに現場も私も、どちらかもしくは双方である可能性を一番疑ってはいる。アンディがエマーソン、そしてクインシーと関わりがあることは間違いない。ここへ来ての動きを見れば、彼らがAOKIの情報を強硬奪取することも十分考えられる。そして、もう一方の動きは…もちろんブラック。
しかしなぜそれを、この青木夫人が口にするのだ?
「彼を疑うだけの根拠がある。そう思っていいのですね」
逆にオフィリアが唇を噛みしめる。浮かぶ葛藤の表情。伝えるかどうするか、それは逡巡か計算か。
「娘さんを助けたいのであれば、正直にお話し願えますか。我々ももちろんブラックの動向を追ってはいます。しかし、内緒事が多すぎてね。AOKIの皆さんには」
そうそう話せる事柄ではないのだろう。カークランドがどれほど捜査の指揮権を持っていようと、所詮は一警察官僚に過ぎないのだ。
「青木には、話さずにいてくれますのでしょうか」
思い詰めたオフィリアに、内容に寄りますがと応える。遠くからカークランドを呼ぶ部下の声。
「お願いです!あの娘を捜すお手伝いをさせてください!!私が言えば、もしかしたらブラックは!!」
「あなたが言えば?それはなぜですか?」
再三の部下の催促に、時間がないので戻り次第詳しいお話を…と立ち去りかけた警部へ、オフィリアはすがりついた。
「あの娘を助けたいのです!!私でなければダメなんです!!どうか、どうか私もブラックの元へ連れて行ってはくださいませんか!?」
危険すぎます。一応言葉には出したが、ただならぬオフィリアの様子にカークランドも腹をくくる。
「わかりました。では追跡の車内でお話を伺いましょう。お約束ください、車外にはお出にならないように。防弾処理の施された専用車ですので、中にいる分には安全だ」
「私はどうなっても構わない!!あの二人は、一緒にいてはいけないのです!!」
叫ぶオフィリアに、念のため女性捜査官を一人つけて車に乗り込ませる。
カークランドらは、目撃情報の寄せられた郊外へ向かって走り出した。
(つづく)
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