#71
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「おれとサシでやり合って、おまえが勝てるとでも?」
あくまでも落ち着き払った声でブラックは言った。動じない。たとえ銃を突き付けられていても。
「そこまで己惚れちゃいないさ。入隊前の訓練で既に頭角を現し、少数精鋭の作戦チームに抜擢された少年…と言っていい歳だったよな?確かにあんたには天性のセンスがある。人殺しのセンスが、な」
ぎり…。ブラックがその言葉に奥歯を食いしばる。このタイミングで現れたかつてのチームメイト。情報はもれていたのだろう。どのルートからなのか。
「ずっとつけ回していたのか。ご苦労なことだな。だったら手伝ってくれても良かったのにさ。おれ一人で運動会よろしくバタバタ駆けずり回させやがって。ブツを渡す気はないぜ」
「こちらとて、あんたの生命と引き替えになんざ考えてもいないね」
アンディのこの余裕はどこから来るのか。エマーソンの元で作戦に従事していた頃は、もっと冴えない男だった。もっとも及第点は十分に貰える腕前ではあったのだろう。おれが居なければ。
「では、ただの脅しか。旧友からのご忠告は有り難く受け取っておくよ」
朗らかと言っていいほど明るく言い放つブラックに、アンディは銃口をさらに押しつけた。
「あんたを生かしておく気は全くないと言っているんだ。始末してからゆっくりいただくことにするさ。AOKIの最新リチウムイオン一次電池をな」
撃てるものなら撃てよ。ブラックの身体全体がセンサーと化し、手順を瞬時にシミュレートする。
…身を沈め、銃口を逃れてから相手をのす…。
悪いが、アンディごときにやられるようなおれじゃない。未だ正体の見えぬ乗用車に対し、こいつを盾に使わせてもらう。あとは耀司のでき次第だな。どこまで時間を稼げばいいのか。
ブラックが姿勢を低くしようとしたまさにそのとき。
乗用車のドアが静かに開けられた。中から引きずり出されたのは…。
「クリス!!」
思いがけない人の姿に、ブラックは抑えきれずに声を上げた。なぜ?なぜ!?あの場にいた地下の住人らは、搬出入口からたやすく逃げおおせることができたはずだ!!
彼女の腕を取る細身の男は、黙ってブラックの方へと顔を向けた。見知らぬ顔…みしら…ぬはずの。
「あんたが依頼人か。おれ相手に別のスナイパーをも雇うとは、穏やかじゃないね」
無言のまま睨め付ける、ブラウンの髪に冷ややかな瞳を持つ長身の男。こいつがクリスティアナの生命を執拗につけ狙う依頼人。
彼はぐいとクリスの背を押し、自らの手を離した。力任せに放たれた彼女の細い身体が、ふわりと揺れる。
と、不意に銃口を逸らされたブラックが思わず彼女に駆け寄る。抱えるように身を隠させ、銃を持つアンディへとおのが武器を向ける。
アンディは薄笑いを浮かべたまま、二人にFN5-7を突き付けた。防弾用具をいとも簡単に貫通する威力を持つ、一般には出回ることのない特殊部隊用オートマチック。
ブラックの腕の中で震える、柔らかな温もり。彼女を守り抜く為ならば、おれはためらいなく引き金を引く。S&Wに掛けた指先に力を込める。
「…ケイ」
敵には聞こえぬように囁くクリスティアナの声。彼女を守る。荒れ狂う心を知らずに穏やかにさせる、このブラウンアイズ。そう、それはおそらく前世からの縁。彼らしからぬ想いまでもが、ブラックを満たす。
「残念だな、ブラック。あんたに俺は撃てないぜ。今回ばかりはな」
アンディがうそぶく。どれほど粋がっていても、ブラックの腕にかなうはずもない。
「試してみようか。いくらでも」
冷たく返す彼に向かい、初めて「依頼人」は声を発した。
「やはり薄情さは変わっていないな。初めまして、と言うべきか」
聴く者を凍らせるようなぞっとする響き。ブラックに僅かに入る動揺という名の亀裂。
…変わっていない?こいつは何を言い出すのか…
「私は、イヴェールのハイブリッド・ビーグル開発部長を拝命している」
ブラックの目が細められる。はん、AOKIのライバル会社か。フランスの斜陽企業と言われ、ハイブリッド競争では完全に出遅れたとされていたはずだ。それでこの技術に目をつけたという訳か。くだらない。そんなものとクリスの生命とに関連性など一つもない。
金の為に彼女を傷つけるというのなら、こちらとて遠慮などしない。
「このうるさい万年補欠を片付けてから、依頼人様のお相手をしてやるよ。ゆっくりとな」
抑えていたアンディの感情が、さすがに乱れる。しかし、撃とうにもその隙さえ見せないブラックに、せっかくのFN5-7を生かせずにいる。
「That's like casting parls before swine(豚に真珠)!おまえには随分と惜しい銃だな。下取りに出す前に言ってくれ。おれが買ってやるよ!」
あからさまなブラックの挑発に、アンディの肩が上下する。そう…気が乱れればいくらでもチャンスは生まれる。畳みかけるように次の言葉を。口を開き掛けた彼に、依頼人と名乗る男が嘲笑を浴びせる。
「随分とまあ、気弱な<ぼく>も成長したものだ」
なんだ…と…?ブラックの動きが止まる。
「名乗るのが遅くなってしまったな。クインシー・キャリック=アンダーソン。それが私だ」
銃を構えた腕が思わず下ろされ、傍目にもわかるほどブラックの身体は小刻みに震えだした。
まさか、まさか。…その名前は!!
耀司が調べ上げてくれた名。いや、何よりもそのブラウンの髪と、ぞっとするまでの冷酷な響きの声は。
「…にい…さ…ま」
ようやく絞り出した言葉に自ら怯えるかのように、ブラックはおずおずと「依頼人」へと顔を向けた。
なぜ、おれは忘れていたんだろう。この顔を、この視線を、この…自分へと向けられる憎悪の感情を!
フッと片方の口角を上げ、クインシーはブラックを睨め付けた。
「どうして?どう…し…て…」
「おまえのことは、何と呼べばいいのだ?犯罪者のブラック、もしくは似非子爵としてのケイ・ハミルトン。それとも…昔ながらに<泣き虫キース>とでも?」
立っていることさえ不可能ではないかというほどの震え。クリスは彼のあまりの変貌に、ケイ…と小声で呟くばかり。
「苦学してフランスの学校を卒業し、おのが能力のみを信じ、どんな生活にでも耐えて生き抜いてきてみれば、無能な弟は<御立派な子爵様>を騙り、のうのうと貴族として暮らしている。それもまあ、たいそう物騒な過去をすっかり覆い隠してな」
イヴェールの開発部長、だと?兄の存在など、遠い記憶の欠片としか認識していなかったというのに。
「AOKIが開発したと威張り散らすその技術は、元はと言えば我が父であるリチャード・キャリック=アンダーソンのものだ。当然、長子である私が権利を相続すべきもの。不当な犯罪によって奪われた技術は、本来の持ち主である私に帰属するのが当然であろう」
小難しい単語が上っ滑りしてゆく。ブラックの心に浮かぶのは、幼い頃の感情のみ。
怖い、怖い!助けて!!兄様!!どうか、もう撲たないで!!
頭を抱え、その場にうずくまりたい衝動を必死に抑える。逃げ出すこともできない。足がすくむあの感覚。
棒を持ち、拘束する為の紐を持ち、舌なめずりをするように幼いぼくに近づくのは、兄様。
とても恐ろしい、父様によく似た…兄様。
うわ、あ。声さえ出ない。叫ぶことができたならどれだけ救われるか!
「私が殺害を依頼したのは…二人だ」
ぼんやりと、紗の掛かった布越しに聞こえる、人の声。すがる柔らかな手の感触だけが、彼を現世につなぎ止めている。
「一人は、やっかいな相続権を主張しかねないケイ・ハミルトン子爵こと、キース・キャリック=アンダーソン。そしてもう一人は…」
アンディの構える銃が、かちりと音を立てる。ブラックが反応する気配は全く感じられない。それほどの衝撃。もう、何も考えることができない。
「オフィリアおばさまに引き取られ、何不自由ない令嬢として育てられた…クリスティアナ・キャリック=アンダーソン」
「!?」
反射的にブラックは、すがる手を振りほどいた。
怯える瞳が、彼を見つめる。
…クリスティアナ・キャリック=アンダーソン…だ…と…?
現世と彼をつなぐ糸は切れ、ブラックの周りからすべての光景が消え失せた。
(つづく)
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