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#7

#7



窃盗事件担当のスタイナー警部は、こりゃ酷い、と現場を一目見るなり独りごちた。

向こうの豪華なウェストバリー夫人の自室からは、彼女の金切り声が鳴り響いていた。


「早く犯人を見つけてくださらないこと!?それはそれは、みなわたくしの大事なものばかりですのよ!!」


係官が何とかなだめすかしつつ、被害品リストを作り上げようと苦心していた。

大手会社の重役夫人とあって、普段着でさえきらびやかだ。相当な見栄っ張りだな、これは言葉には出さず、警部は心の中でつぶやいた。


「スタイナー警部、いちおうおおよその盗品をまとめてみたのですが、今回は特に被害が多いですね」

「どれ…。ピンクサファイアのルースにピジョンブラッドルビー。ほう、ずいぶんと宝石が多いことだな。これらはみな、本物かね?」


パーティー用の模造品はしっかり残っていますよ。やはりヤツの仕業ですかね。係官は苦笑いをした。





宝石は、ある程度の大きさがなくては財産価値はなしに等しい。


ましてや美しく加工を施されたものは、新品を買おうと思えばべらぼうに高いが、いざ売ろうとすれば二束三文だ。

だからこそ夫人は、資産価値のあるルースなどを所有しつつ、普段使いのイミテーションをも同時に作らせていたのだろう。良くあるパターンだ。


そして夫人だけでなく、被害は重役であるAOKIの常務、ウェストバリー氏本人にも及んでいた。


「私の大切な時計がないのだ。いくら探してもない。夜は必ずここに置く習慣があったんだ!」


落ち着いてください、他に盗られたものは?係官の言葉も耳に入らないほどのものだと言うのか、時計ごときに…。警部のため息は、一度ですみそうもなかった。





「他は、仕事用のパソコンだ。そうだ!ノートのパソコンがない!」


何!?その場の捜査官全員が振り向いた。この男は、AOKIの仕事用パソコンが盗まれた重要性がわかっているのか。


部下であるマクドネル巡査部長は、ブラックの手口としては今回は少々荒っぽいですねとささやいた。


「おいおい、ブラックが犯人と最初から決めつけるんじゃない」


警部ですら本心は、こんなことをやってのけるのはブラックしかないと確信していたが、若い彼のためにとりあえず訊いてみた。





「通称”ブラック”。窃盗の常習犯。一度も逮捕歴はなし。遺留品の毛髪をいくらDNA鑑定しても該当者がない。

どんなに厳しいセキュリティも難なくくぐり抜け、狙ったものは手当たり次第かっさらってゆく。

美術品にはそうとうの目利きであるらしく、価値のあるものしか持ち出さない。

盗品は裏取引の売買ルートには乗せず、おそらく依頼人との直接交渉と思われる。

この家はかなり防犯対策が取られています。

なのにこの手口と痕跡すら残さない鮮やかさは、彼しか考えられないでしょう」


マクドネルがすらすらと暗記してしまうほど、ここ数年のあまり、ブラックの被害は広がっていた。今度はどこの誰が狙われるか、上流階級の家々は戦々恐々としていた。

ほんのわずかの目撃者の証言に寄れば、黒ずくめの服に豊かな黒髪。それゆえ誰ともなくブラックと呼ばれるようになった犯人。





「その、美術品専門の窃盗犯が、なぜパソコンなどを持ち出したのですか?」


警部の背中から冷たく響く声。同じ階級のカークランドだった。

もっともスタイナー警部は現場からのたたき上げで、もうすぐ定年を迎えるという歳ではあったが。


ふう、と息を吐き出すとスタイナーは彼に向き直った。


「カークランドくん、ここは君の管轄外だと思うがね。いくら君が優秀でも、越権捜査は認められんよ」


穏やかな口調で、それでも言葉の端々に棘が含んでしまうのも仕方なかろう。


三十代半ばの若い警部、それもスコットランドヤード一の切れ者と呼ばれる彼と、ようやくここまでコツコツと勤め上げて手に入れた警部の地位。スタイナーには出世に興味などないが、どこかに彼に対する嫉妬めいた思いが込められていたのかも知れない。


しかし、カークランドの方はそんなことはお構いなしに、現場に足を踏み入れようとする。





「カークランドくん!」


「先日は青木の娘が狙撃されたのです。そして今度は常務のウェストバリーが狙われた。何らかの関連性があってもおかしくない」


考えすぎですよ、思わずマクドネルが口を挟む。


「これまでにブラックは、美術品でなくとも、会社の重要機密などを盗み出すこともたびたびありました。

今回もその延長ではないでしょうか。価値がありそうだから盗む。狙撃事件とはまったく性質が違うと思いますが」


こっちは現場で窃盗犯専門一筋なのだという自負が、彼にそう言わせたのかも知れない。


カークランドはそちらには視線を送ることもせずに、ウェストバリー氏へと向かっていった。


「おい、ちょっと待ってください!ここではアンタに捜査権はない!」


必死に食い下がるマクドネルを冷ややかな言葉でさえぎる。


「二、三、世間話をするだけだ。ウェストバリー氏とは懇意でね」


「カークランド警部!!」


叫ぶマクドネルを、スタイナーが手で抑える。逆らっても無駄だ。こいつは上層部とつながっている。悔しさに唇を噛む。





「ノートPCには、何のデータが入っていましたか?」


言葉こそ穏やかだが、視線の鋭さにここの主は震え上がった。


「な、何も入ってはおらん。部下にしつこく注意されているのでね。インターネット回線とやらにもつなげてはいないし、仕事が終わればすべてデータは削除している。しかし、あのパソコンは特注のだな!」


「セキュリティ抹消などの手続きは踏んでいるのですね?」


カークランドの問いにぽかんとした顔。その場の捜査員全員がため息とともに首を振る。


「その様子では、あなたの秘書はさぞかし大変な思いをされていることでしょう。お気をつけて。では、私はこれで」


言い放つ彼の表情のない冷たい瞳。ウェストバリーにそれ以上の興味を失ったのか、カークランドは踵を返すと部屋を出て行った。





「何を考えてやがるんだ、あいつ」


マクドネルの吐き出す言葉に、スタイナーは彼の肩をぽんと叩いた。


「私らは私らのやり方でやるしかない。それが現場の意地…だな」


地道にやっていけば必ず犯人にたどり着く。

それが彼らの信条だった。それがたとえどんな手強い相手、ブラックであってもだ。

彼らは慣れた方法で、いつものように黙々と捜査を進め始めた。





カークランドはその夜、いつものようにあのけばけばしい店に入っていった。


しかし今夜の彼の様相はかなり変わっていた。薄手のコートを袖も通さず肩に掛けるのは同じだとしても、顔には大きなマスクをして、ドアを開けてからこれ見よがしに咳をしてみせる。


「あ、すいません。こ、これはあの、中東辺りのタバコで匂いがきつくて……」


必死に取り繕う店員には目もくれず、奥へと足音も高く入ってゆく。

ノックなどするはずもなく部屋を開けたカークランドに、中にいたアニーはハッとしたように顔を上げた。一瞬のするどい視線は、すぐさま優しげなというよりも妖しげなしどけなさに変わる。


「遅かったじゃない?大変ねえ、おまわりさんってのも」


「そ、そばへ寄るな。私は風邪を引いているんだ。おまえにうつしても困るだろう」


なぜかしどろもどろにそう言うカークランドは、これもまたわざとらしく咳き込んだ。


「あら、熱があるんじゃないの?顔が赤いもの。どれ?」


アニーが額に伸ばす手を払いのけると、カークランドは後ろに一メートルほど飛び退いた。


「うつしたらいかんと言っているだろう!!」


「優しいのねえ。大丈夫よ、アタシには耐性ができてるから」


なおも近寄ろうとするアニーから、じりじりと逃げ出そうとするカークランドのスーツを、彼はしっかと握りしめた。


「こ、今年の風邪、いやインフルエンザはたちが悪いんだ!命が惜しければ近寄るな!」


その言葉にアニーは、アタシの方こそ何の病原菌を持っていることかしらね、とニヤリと笑った。

途端に、カークランドの顔色がさあっと蒼くなった。冷や汗までかき始めている。





日頃ニヒルな彼のその態度に、アニーはけらけらと大笑いした。


「ホントにアンタときたら素直じゃないんだから。いつもそんな顔してりゃいいのよ。

鉄仮面みたいな顔しちゃってさ。だから世の中の人が誤解すんの!!」


まだ笑い声を立てながら、アニーは一束のファイルを取り出した。


とりあえず今夜は無理やり酒を飲まされずにすみそうだ。安心したのか、カークランドはようやくマスクを取ると、習慣のようにアニーから一番遠い椅子に座った。





ファイルから紙を一枚ずつ取り出すと、真剣に見入る。しばらく無言のときが流れる。

ようやく顔を上げたカークランドは、本当だろうな、と言葉を発した。


「あら、失礼しちゃう。アタシの調査能力を疑う気?」


ちっとも怒ってはいないくせに、アニーは拗ねてみせた。鍛え上げた大胸筋とスキンヘッドで拗ねるのは止めてくれ。


「文句のつけようのない経歴…でもないか。この二箇所が気になる」


彼は指で紙を弾くと、その部分をアニーに見せつけた。


「そりゃそうだけど、時間をちょうだい。一ヶ月の行方不明はともかく、留学には何の問題もないでしょう?」


「いくら没落貴族とはいえ、子爵様がフランスの片田舎の名もない大学へ、三年間もご遊学か?」


カークランドは鼻で笑うと、ファイルをテーブルに放り出した。


「アンタはだから偏屈って言われるのよ!!普通はね、なぜこんな幼いころに一ヶ月も行方不明になって、父親は溺死、子どもだけが無事に帰ってきたのか、そっちを気にするんじゃないの!?」


アニーがふくれて調査ファイルを振り回す。それを冷静に見ていたカークランドが薄笑いを浮かべる。


「そんなものは、いくらでも調べ上げられるさ。おまえだったらな、アーネスト」


それって褒めてんの?けなしてんの?アニーの声が少しばかり甘く変わってゆく。


カークランドは寒気を感じたかのように身体を震わせると、これはもらっていく、と言い捨てて部屋を足早に出て行った。





「…もう、バカ。照れちゃって」


アニーのほんの小さなつぶやきさえ聞きもらさなかったのか、カークランドは廊下から大声で叫んだ。


「絶対に違うぞ!!照れてなどいないからな!!変に誤解するんじゃない!!」


はいはいはい。客あしらいをするように、アニーはふふっと笑った。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010  keikitagawa All Rights Reserved


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