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#68

#68



ロンドン郊外の広大な平野部に、その建物はあった。


周りをさえぎるもの一つなく、コンクリート剥き出しの壁と巡らされた低い有刺鉄線と小振りな付随施設。それらが寒々と晒されている様が目に入る。

監視カメラが数台機能しているのか、ときおり照明に反射して光っている。

車が二、三台通れるかという入り口の門には、警備員が四名ほど配置されていた。


大地には少しばかりの背が低い草。確かにこれでは迷彩服は悪目立ちするだろう。

道一つ離れた場所に車を止め、ケイは愛器を組み立てていた。


レミントンM700。手になじむその感触。予備を入れて四本所有してはいたが、ケイは何を思ったのか他を処分した。もとより無許可で隠し持っていたものは、闇に売られていった。



これだけあればいい。

おれはもう、この地でスナイパーライフルを使うこともないだろう、と。





…お願い、AOKIを救って…


クリスの声が耳に残る。


「私にできることがあれば何でも言って。その日は父に同行するから」


もう一度連絡してきた彼女に、危険すぎるから関わるなと必死に説得した。しかしクリスの決意は固く、どうしても前日の会議には出席するという。


「最近はね、経営に関しての勉強も始めているの。大学を卒業しても継ぐ気はさらさらないけれど、AOKIの社員として父を支えたい」


女友達との電話を装っているのか、痛々しいほどの明るい声。しかしそれが本心であることも…伝わる。

彼女は彼女なりに、AOKIを内部から変えようと考えたのだろう。それが己の立場でできる最良の方法と。


「…じゃあ、一つだけ頼む」


クリスを今回のミッションに巻き込むことはできるだけ避けたい。もとより誰をも身体的に傷つけるつもりもないが、作戦実行中は何があるかわからない。

それでも、彼女の意思を尊重したかった。簡単かつとても重要なこと。


「重役連中が全員地下に降りたら」


…人荷兼用エレベーターを、搬入口である地下二階に降ろして置いてくれ。


大型機器搬入のためだけに設けられた地下二階には通常、人の出入りはない。その階にとどまっているようボタンを操作しておいてくれと、ケイは静かに伝えた。


それだけ?クリスの不満げな声に、大事なことなんだと念を押す。実際、こればかりは内部にいる人間にしか頼めない。

どうクリアしようか、耀司とさんざん揉めた懸案事項の一つであったのだから。


本当はその場にいさせたくなかった。けれど、現実を見たいと願う彼女の強さを今は大切にしたかった。

ラザフォード夫妻との出会いがクリスを変えた。そう…信じたかった。





電波式腕時計だというのに、つい習性でお互いの時刻を確認し合う。耀司も思わず苦笑い。


「用意はいいか?コスプレ王子」


はん。止めてくれと言ったろ?その悪趣味なあだ名は。


二人は静かに、門の中へと吸い込まれてゆく高級車たちを見つめていた。









「クインシー・キャリック=アンダーソンがイギリスにいるだと!?」


電話口でカークランドが大声を上げる。周囲がめったに見せぬその姿に驚きを隠せずにいた。


…入国は確認できました。自家用車でロンドン市街に向かっています。


「そのまま追跡を続けてくれ。見失うなよ!」


厳しい声に緊迫した空気が流れる。


特別捜査本部として仮設置された会議室には、人の出入りが激しくなってきていた。その中心にいるのはダリル・カークランド警部。


その警部に向かって、幹部秘書が声を掛ける。


「悪いがその暇はない!用があるなら自分で来いと言え!」


ふだんのどちらかといえば物静かで冷徹な彼が、これだけ自ら動き出すとは…いったい何が。部下らのとまどいは隠せない。



「随分とまあ、不遜な態度だな。君らしくもないがカークランド君」


不意に後ろから肩を叩かれ、ダリルは不機嫌さを隠すこともなく振り返った。


「まだ事件らしい事件が起こっているわけでもない。犯罪予告があった訳でもなし、捜査許可も出てはおらん。-The mountains have brought forth a mouse.-(大山鳴動して鼠一匹出ず)ということにならねばよいがな」


犯罪捜査部長のザヴィアーが苦々しい顔つきでそう言い放った。普段からダリルの越権捜査とも言える振る舞いを快くは思ってはいない彼は、どうするつもりだと詰め寄る。


「悪いが、部長のお相手をしている暇が惜しいのです。ことは急を要します」


「カークランド君!」


部長の大声に、幾人かが振り向く。しかしダリルは動じなかった。


「ザヴィアー部長までお話が届いておられないということを、ここで宣伝して廻りたいのですか?それなら止めはしませんが」


部長は思わず頬を引きつらせる。容赦ない若き警部の言葉は続く。


「デリック・エマーソンと浅からぬ関係のイヴェール重役が動き出したのです。また、元外人部隊の狙撃兵までもが。何かが起こってからでは遅すぎる。起こる前に防がなければならないのです。今度こそ」


何に対しての<今度こそ>なのか。カークランドは思わずおのが言葉に苦笑いを浮かべる。俺もまあ、随分と甘いものだ。


その表情を侮蔑と捉えたのか、ザヴィアーが声を荒げる。


「君は、たかが元軍人と他国の自動車メーカー重役がイギリスに来たからと、大騒ぎをしているというのかね!?随分と妄想力が強いものだな!」


「…それが、我が国はおろかEU諸国を揺るがす事件に発展する危惧をはらんでいても…ですか?」


警部の態度は揺るがない。こいつは本当に何も知らぬのだ。

コンフィギュア時代から続けられたリチウム蓄電池の研究開発技術を狙う者たち、その糸をたぐればとてつもない闇が出てきかねないことを。


あとは部長などには目もくれず、カークランドは再び部下らに指示を飛ばし続けた。










二十一時二十分。会議は滞りなく進められているはずだ。


普段はしまい込まれているはずの、AOKI渾身のリチウムイオン一次電池。その試作品が社長の青木はじめ、重役どもの前に姿を現す。さぞがし担当チームのメンバーは冷や汗をかいていることだろう。


もっと涼しくしてやるよ。あんたらには何の恨みもないけどな。


スナイパー・ライフルにナイトスコープを取り付け、照準器をのぞき込む。


音も立てずに守衛の警備要員らの意識を失わせ、騒がれずに作戦を進められるよう準備を終えた耀司が、ブラックに合図を送る。


では、始めさせてもらうとするか。


彼は息を止めると、研究所脇にひっそりと建つ小さな変電施設へと銃口を向けた。








「いいか、ケイ。ここが無人自動制御の変電システムだ。滅多にこんなところを狙う奴などいないだろうから、無防備といってもいいほどのお粗末な警備だな」


屋敷での耀司の講義を思い起こす。カメラ機材にとどまらず、耀司の電子・電気機器への知識は深いものがある。当然だ。それくらいでないと到底、特殊工作部隊での後方支援など務まらない。


「おれはどれを狙えばいいんだ?」


警備解除、そして侵入経路確保については耀司に絶対的な信頼を置いている。だからこそこなせた多くのオペレーション。…人命を奪う為の、な。


「外部に通信する手段が、通常は二系統備えられている。当然、このちゃちな変電装置にもだ。まず、おまえは送電線のグランドワイヤー(架空地線)をライフルで切断しろ。一番上の細いヤツだけだからな。他の線までぶった切るなよ!?」


はん、おれがいつそんなヘマをしたって言うんだ。仰せの通り、細っこい送電線だけを綺麗に撃ち抜いてやるよ。


「次に、ブロッキングコイルを破壊…だ」


それで停電か?ケイの言葉に耀司は首を振る。


「まさか。ここまではあくまでも下準備だ。こうしておけば監視用の情報が途絶える」


眉をひそめたケイを見て、耀司は頭をかいた。


「まあ、細かい説明ははしょるがな。何万ボルトという高い電圧の電線には、電気的な制御信号が一緒に載せられている。わかるか。いくらここの警備がしょぼくても、有人の監視施設へは常時情報が伝わっているんだ」


へえ。ケイは視線を外しつつも耳をそばだてる。


「いきなり停電なんか起こしてみろ。すぐに何ごとかと電力供給会社がすっ飛んでくるさ」


だから、まずは情報を遮断だ。ケイは軽く頷いて次を促す。


「じゃあ、それから狙う場所だけどな…」




耀司の言葉を反芻しながら、ケイは言われたとおりにグランドワイヤーを撃ち抜いた。僅かな風にも揺れるその細い線を、正確に。


ブロッキングコイルはあっけなく壊れた。しばらくはその有人監視所も混乱することだろう。微かに生まれる隙間を縫って、おれは一人…研究所へと入らなければならない。


確か次は、変電システムの中にある「ガイシ」を破壊、だったな。


実際には脳で考えるより早く、腕が指先が身体中が反応していた。ほんの少しばかりライフルを構える姿勢を変える。


外側からは区別がつかない、数多くの白いガイシ。これらは乱暴に言ってしまえば家庭用のブレーカーと同じ役目を果たす。

どこの箇所に異常が起きたのか。その為にはどこの回路を遮断しなければならないのか。機械は律儀にも瞬時に判断して、その部分だけのガイシを検知してリレーが働き、それを切り離す。一つのブレーカーが落ちても、部分的にしか停電は起こらない。



しかし、ただ一つの盲点が…その名の通り「盲点保護」と呼ばれるもの。



このガイシが壊れてしまうと、変電システムのセンサーはどこに異常が起きたのかを検出することが不可能となる。安全を第一義とする電気供給においては、その場合…すべてのブレーカーに当たる物を開いてしまう。

おれたちの望む、警備用設備をも含む全停電が引き起こされる。





「さっき言っていた意味がここでわかるだろ?いくらボロ研究所とはいえ、大企業のそれが全停を起こしてみろ」


確かに多くの人間が駆けつけることになる。研究所内部の混乱はすぐ知れることになり、おれは侵入のチャンスを失う。


「情報経路を絶っておけば、よもや全停が起きているとはすぐには気づかれない。僅かの差であっても、この猶予は欲しいだろ?」


ああ欲しいさ。一秒でも多くの余裕がなければ、やってられるか。こんな無茶な作戦など。


全停電が起きれば、内部に人のいる施設では一般的にすべての解除ロックが開かれる。逃げ出せなくなるからだ。軍事用や医療用などの特別な場合を除いて。


だからこそ、こっちの研究所を狙う意味がある。



「もちろん、研究所自体も自家発電システムを持っている。停電を察知して自家発に切り替わるまでの時間は最大四十秒。その間に…」


無防備に開け放たれた正面ドアから侵入し、自家発電システムの送電ブレーカーを切ること。研究所員は停電が一時的であることを知っている。下手に動いて危険を増すよりも、自家発が作動するのを待つだろう。


そこに気の緩みが生ずる。おまえが侵入できるとすればその隙でしかない。


四十秒経っても灯りがつかないとき、相手は最大警戒態勢に入るだろう。もちろん、その前にブレーカーを切れなければ、試作品のある地下会議室にはたどり着くことも不可能だ。






門から正面玄関まで、約八十メートル。一階の隅に置かれた自家発電システムを見つけ出してブレーカーを切るまでに…どれだけ掛かるか。


もはやブラックは、何も考えずに反射的に身体を動かし続けた。


息を整えてから、照準を一点に固定。多くのガイシの中に混じった、たった一つの小さな部品に向けて引き金を引く。



パシュッ。



軽い発射音とともに、辺り一面が闇に包まれる。


さあてと、過酷なタイムレースの始まりだ。


ブラックはスナイパー・ライフルを耀司に向けて放り投げると、門を軽々飛び越えて建物へと駆け出していった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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