#67
#67
ハミルトンの屋敷で、ケイは静かにウィッグを被った。必要ないと言えばない。この豊かな黒髪も、わざわざ右耳へとつけた大ぶりのピアスも。
身体にぴたりと吸い付くような戦闘服は、黒。レジィヨン・エトランジェールで通常支給されるのは、カーキ色か迷彩服と相場は決まっている。しかし、ケイの持つそれは違う。
彼らの戦場は…ジャングルではなく、都会の闇だから。
髪をばさりとはねのけると、手にはやはり黒のレザーグローブ。
黒ずくめの片眼だけが、青く輝いている。
近くの鏡におのが姿を映し出す。プラチナブロンドを隠しおおせれば、おれはブラックへと変わる。
どうせ記憶も曖昧ならば、全くの別人を装ってしまえばいい。
力のない気弱なガキは、もうそこにはいない。この手は人をも殺すことができる。
ケイは静かに息を整えると、愛用のスナイパーライフルを手にした。部品ごとにばらしてケースへとしまう。もちろん、細かなチェックは怠らない。
…サンプルがあるらしい…
あの日クリスが渡してくれた資料と、耀司が探り出した情報。それからボス=デリック・エマーソンのもたらした言葉に、ケイらは実行を決意した。
オペレーション・ネームは<フランス攻防>。
闘えるだけの力がないばかりに、大切な人を失い続けた。もうそんな想いはたくさんだ。ケイはブラックとなり、フランスの地で得た力を持って、すべてに決着をつけに行く。
彼はもう一度、作戦の内容を反芻していた。
「サンプルってどういうことだよ!?実物じゃなきゃ意味がないだろ?」
まあ落ち着けよ。耀司は、いきり立つ子爵に視線だけを向けてから図面を広げた。
「いいか。AOKIの研究所はいくつかある。その中でハイブリッド関係の研究開発をしている箇所は、少なくとも二つ。一つは大規模な実験施設を持つEV中央研究所。そしてもう一つが」
クリスの指し示したAOKIテクニカルEV研究所、か。
「中央研究所はちょっとした軍事基地並みの警備だ。おいそれと入れるものじゃない」
それだけ重要な研究をしているとでも?ケイの組み合わされた手に力が加わってゆく。
「扱う材料が特殊すぎるんでね。リチウムイオン一次電池はどの原料を使うかによって性能が全く変わってくる。どこも素材探しに躍起になってるんだ。やたらめったら情報がもれたら大変なことになる。しかしこっちのテクニカル研究所の方はな、意外だったよ」
どういうことだ、とケイは顔を上げた。耀司は図面を睨んだまま。
「平屋で築三十年は経とうかという老朽施設。これはAOKI…というよりもコンフィギュアの研究所をそのまま残して置いたんだ」
「コンフィギュアの?」
耀司は言葉を切ると、ケイを黙って見つめた。そういうことか。彼が何も言わずとも伝わる想い。ここはおそらく、リチャード・キャリック=アンダーソンが勤めた場所。
「一見、何もない平和な研究所にしか見えない。メインの開発はすべて中央で行われるからな。実際にテクニカルに勤める現在の研究者の数よりも、事務処理担当のオフィスワーカーの方がずっと多いくらいだ。しかし…」
カモフラージュかフェイクか、そんなところか。ケイの呟きに耀司は、はんと鼻を鳴らした。
「そうそう映画のようには行くかよ。まあご想像に違わず、手間を掛けて上物を一度移動させ、地下に別のフロアを増設してはある。だからといって、そこで極秘のプロジェクトが組まれているわけでも何でもない。ただ、この日だけは別だ」
「この日?」
耀司はそっと、図面脇の走り書きを指さした。そこに書かれた日付。
「あちらさんもそちらさんも商売だ。いくら軍事用に開発したからといって黙って言い値で買って貰えるはずもない。この日に軍関係者を招いての内々プレゼンが行われる。前日にはもちろん、研究所内でのリハーサル…」
別のメモを取り出して耀司がさらりと言う。ケイの眼がぎらつく。
「おい。何でおまえが内々プレゼンのスケジュールまで把握してるんだよ?」
我慢できぬかのような失笑。忘れたのか、おまえは。耀司が悪態をつく。
「出どころは、どこぞの泥棒子爵様が盗み出してくだすった、ウェストバリー氏のノートPCだよ」
ウェストバリー?ケイの瞳が記憶をまさぐるように宙をかすめる。…ああ、AOKIの常務か。そう言えば、いつぞやぶんどってきた覚えがあるな。
そう昔ではないはずなのに、遠い遠い過去のような記憶。
「社内LANにアクセスするパスワードとか、その他諸々。重役連中の細かな動きはこれでチェックできる。ホントにさ、おまえがいると便利だよな。傭兵上がりの子爵様よっ!」
耀司の軽口に、睨みで返す。あごを軽くあげ、ケイは「それで?」と続きを促した。
「この地下会議室で行われるプレゼンのリハがスタートするのは、昼間では目立つことと全員を集めきれないという事情で…」
二十一時。耀司は、先ほど一日減らしておいた日付にそっと書き加える。
「重役全員が集まるのか」
「一斉粛清にはもってこいだぜ?当然…社長の青木善治郎も同席する」
ケイはぎりりと唇を噛んだ。オッド・アイが暗く燃える。
「相手の被害を最小限に。致命傷を与えぬこと。狙うのは物的証拠だけでいい」
ラジャ-Roger-。うっすらとした耀司の笑み。
「たかがサンプルで、取引の材料になるのか?」
当然のようなケイの問いに、耀司は自信ありげに応えた。
「ああ、もちろん。いいか?他の企業ならいざ知らず、AOKIはまだ公式には軍への関与を明らかにしていない。今回のサンプルは、民間技術が軍へも転用されるというレヴェルではなく、最初から軍目的に開発されたものの提示用だ」
ケイは目を細める。
「軍にしても政府にしても、EU諸国に対して知られたくないはずの機密。本当のところは見て見ぬふりしてるだけかも知らねえけど、これを俺たちが海外のマスメディアにでも流したとしたら…」
なるほど。
「それに、サンプルといえども今回の試作品で成分分析や小型化の手法まで伝えるつもりらしいからな。別の競合企業の手に渡れば、AOKI的にはかなりなダメージを喰らうことになる。第一、でっかい車載用電池を担いで逃げ出すおつもりですか?ブラックさんよ」
さすがのケイも苦笑いで天を仰ぐ。この情報屋ときたら、よくもまあこれだけ。
「侵入経路は?」
ケイに促され、耀司は新たに警備用設備の配線図を広げた。
同じように黒い服に身を包んだ耀司は、機材を肩に掛けるとケイを見やった。黙って立ちつくす彼に、怖じ気づいたんなら止めるか?と笑いかける。
「ばーか。やっと巡ってきたこのチャンスを、誰が逃すか」
ブラックと化した彼は、オッド・アイを妖しげに光らせた。
「ちょっとお!アンディの足取りは掴めたんでしょうね!?」
「うっるさいわねえ!!女は黙っててちょうだい!!」
都合のいいときだけ、全く。ぶつぶつぼやくミミを無視するかのように、アニーはカークランドへもたれかかった。
思わず身を引く彼の腕を、わざとぐいと引き寄せる。明らかにミミへの牽制といった仕草にダリルはため息をついた。
「…それで?奴の動きはどうだったんだ」
いそいそとファイルを取り出すと、アニーはそれを机の上にぽんと置いた。
スコットランド・ヤードの一角に集まるは、エリートコースの若き警部と、ゲイバー経営者の情報屋と、こちらは本職のフランス情報部員。
この奇妙な取り合わせの三人は、まるで特命を受けた特別捜査班のように人目を避けて行動していた。
「おまえの話が信憑性が高いと判断されれば、私は正式に応援部隊を要請する。ヤードの持ち駒くらいは動かせるから安心しろ」
最初の言葉が気にくわないけど、まあいいでしょ。アニーは自信ありげに話し出す。
「まず、アンディが今回の渡英でエマーソンと接触したのは一度きり。ミミちゃんが言っていた情報の裏は取れたって訳」
三十二の女をつかまえてミミちゃん呼ばわりか。いい度胸だ。代わりにカークランドの方が表情を引きつらせる。当のミミは平然と微笑んでいた。
「ただし、仕事と称してアンディはちょくちょくイギリスへと帰ってきてたことは確かよ。そして…そのたびにエマーソンのオフィスへと立ち寄っていた」
何ですって?ミミの鋭い声。
「フランス側は完全にノーマークだったようね、アンディのことは」
「なんであんたが、そこまで彼を追跡できるのよ!?」
低く怒りを含んだ言葉に、小柄でキュートなマダムのイメージなど微塵も感じられなかった。もっとも、動じるアニーではない。
「ダルに、フランスでの情報収集先を紹介したのはアタシよ?そもそも。エマーソンにつながる元エトランジェール隊員はいないか、とね。当然紹介してくれた業者は、アンディと深く関わりがあるのだもの」
まさか、そのアンディを追ってあんたみたいな小娘が取っついて来るとは思わなかったけど?アニーは煙をわざとミミに向けて吐こうとした。もちろんあっさりかわされはしたが。
「何が言いたいんだ。さっさと話を進めろ。私の気が短いのは、おまえが一番知っているだろうが」
いらつく声で警部が叱責する。アニーはひょいと肩をすくめた。
「じゃあ、これはホントにとっておきの情報よ?彼はね…」
意味ありげに言葉を切ると、ダリルとミミの顔を交互に見やる。思わず身を乗り出す二人に満足したアニーは、声をひそめた。
「アンディは裏のルートで、新たなアーミーライフルと実弾を手に入れたわ。今回の渡英でよ」
「実弾?何をやらかす気だ!?」
ミミ、アンディの外人部隊所属時における担当は?警部の問いにさらりと彼女は答えた。
「狙撃兵よ。ブラックと同じで」
…狙撃… いったいやつは誰を狙うつもりなのか。
「わかった。正式な特別捜査チームを組んでもらうよう上に掛け合う。早急にな。SISにも要請を出そう。縄張りにこだわっている場合ではなさそうだ」
「待って!」
ミミの必死の声に、二人は視線を向ける。
「SISに話を持って行くのは、もうしばらく待っていて欲しいの。ここはイギリス国内よ。彼らに任せたら、内々で処理されてしまうおそれがある。イギリスの厳しい銃規制で何とかうまく彼を引っ張れないかしら」
確かにアメリカ合衆国等に比べ、英国での規制は厳しいと言える。しかし貴族が狩猟を楽しむ文化が定着しているお国柄である。実際には多くの銃が流通していることもまた事実には違いない。
ミミの言葉に、それではまずヤードを動かそう、とだけ答えると、カークランドは踵を返した。
「ちょ、ちょっと!どこ行く気よ、あんた!?」
「今言ったとおりだ。さっそく人を増員してもらう」
ダル?ミスター…。
アニーとミミのとまどい顔に、カークランドは表情を引き締めてこう告げた。
「どうやらことは急を要するようだ。地下でごそごそ探っているような状況ではない。事件を察知したのなら未然に防ぐよう最大限の努力を払う。それが…警察の考える正義だ。違うか?」
警察も法も、救うことのできなかった二つの事件。翻弄され続ける一人の少年。
見たわけでもない凄惨なハイブリッド・カーの事故現場。そして、両親を目の前で殺された息子の…立ちつくし言葉もない姿。
ただの妄想だな。
軽く頭を振ると、ダリルは苦笑を浮かべつつ、靴音を立てて歩き出した。
(つづく)
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