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#66

#66



「へえ、ロンドンにしては洒落てるじゃない?」


もうもうと怪しげな煙が立ちこめる店内で、その女性は薄笑いを浮かべながら辺りを見廻した。連れの男に親しげに回した手をめざとく見とがめると、アニーが金切り声を上げる。


「ちょっとあんた!誰にくっついてんのよ!?女は離れなさいよ!!だいたいここは、あんたみたいな小娘が来るとこじゃないのよ!?」


クラッチの音を響かせて大股で彼女らに近づくと、二人を引きはがしに掛かる。そのごつい腕をひょいとねじ上げて、彼女は言い放った。


「あらごめんなさあい。あなたね、ダリルの『パートナー』って。一度お逢いしたかったわ」


「あくまでも職務上だ!変なニュアンスをつけるのは止めろ!」


仏頂面で吐き捨てたのは、もちろんダリル・カークランド警部だった。


仕立ての良いスーツの腕にしなだれかかるのは、原色の派手なミニ丈ワンピースを妖艶に着こなしたミュリエル・ラファージュ…DGSE(フランス対外治安総局)の情報部員。

彼女は、あれからマークし続けていたアンディの足取りを追って英国へと来たのだ。



「なあんだ、仕事絡みじゃないの。心配して損しちゃったわ」


口とは裏腹に、アニーの表情は明らかに怒りをこらえているふうであった。


「あら、あなたも仕事絡みでしかおつきあいがないんでしょう?『ミスター』アーネスト・シャーウッド?」


わざとミスターの部分を強調して挑発するミミに、案の定アニーは噛みついた。


「ダルが嫌がってるじゃないの!いつまでくっついてんのよ!?」


嫉妬心もあらわに二人を引きはがそうとするアニーに、ミミはにやりと笑った。


「あらん。パリじゃこんなことじゃ済まなかったんだけど。ねえ、ミスター?」


「いい加減にしてくれ、ミミ。ここにはあんたも仕事で来ているんだろうが」


やりきれぬふうのダリルのため息に、今度はアニーが矛先を変える。


「ちょっとお!!何でアタシには他人行儀にアーネストで、こんな小娘をミミだなんて!!ダルったらまさか、心変わりでもしたんじゃないでしょうねえ!?」


その言葉に、警部の目が見開かれる。拳を握りしめ、自分を律しているのが外からでも伺える。相手は大事な情報屋だ。機嫌を損ねてはいけない。だが…。


「…私がいつ、誰から誰に心変わりをしたというのだ、アーネスト…」


ダリルの台詞に頬を赤らめるアニー。そんなこと、自分からじゃ言えないわ、恥ずかしくて。


警部の拳が震え出す。


店の客も従業員も、今夜は全員とっくに逃げ出している。危険を察するのは早い連中だ。こんな場面に居合わせたいとは誰も思いもしないだろう。


「…アーネスト、いいか?確認して置くが、私はゲイではない」


「そりゃあ、こんな変な女の前では言えないでしょうけど」


しなを作ってもじもじするアニーに、ミミが冷たげな視線を向ける。


「まあ残念ねえ。ミスター・シャーウッドの想いはどうやらワンウェイのようね」


高笑いでもしかねないミミをアニーは睨みつけた。


「仕方ないじゃない。優秀な男性ほど自らの遺伝子を後世に残したいと思うのではなくて?ダリルの願いを叶えてあげるには、あなたでは無理だと思うけど?」


ミミの言葉に逆上したアニーが、彼女の胸ぐらをぐいと掴む。ミミは平気な顔で視線を真っ直ぐアニーへと向ける。


「聞き捨てならないわねえ!!子孫を残すようなことをしたって言うんじゃないでしょうねええ!?」


「ス・ク・レ-secret-」


「秘密」とフランス語で囁くと、ミミは意味ありげに警部を振り返った。

きいい!と叫ぶと、アニーは彼女の頬をはたこうとした。むろん素直にやられるミミではない。僅かな動きでそれを逃すと、彼女は構えを決めた。


「やろっての?おもしろいじゃない!!」


アニーはクラッチを放り出すと、痛めた足を引きずりながらも彼女に向かって突っ込んでいった。

たまりかねた怒声が響き渡る。


「いい加減にしろと言っているのがわからんのか!?そんな呑気な状況か?」


怒鳴った当のカークランドは思わずたじろいだ。二人の女性(?)が同時に彼を見据えたからだ。


「そもそも!あんたが態度をはっきりしないのが悪いんでしょうが!?」


「そうよ!誰にでもいい顔をして遊び人を気取るのも大概にしなさいよ!」


…なぜ俺が怒鳴られるのだ?それもミミにまで…ダリルの頭には疑問符が渦を巻く。

深く深くため息をつくと、彼は頭を抱えてスツールに座り込んだ。





「わかった。私が身を固めればいいのだな?この事件が終わったら、兄に見合いでもセッティングしてもらうことにしよう。年相応の女であれば文句は言わん。そうすればもう、こんな不毛な言い合いに巻き込まれることもあるまい」


カウンター奥の壁に向かい、ダリルがそう吐き捨てる。静まりかえる店内。

あまりの静けさに彼が視線だけを二人に向けると、アニーは大粒の涙を流していた。


「おい、アーネスト…」


「わかってるわよ。どうせかなわぬ想いだってことくらい。でも、他の女と結婚するのに深く愛し合った相手ならば諦めもつくけれど、誰でもいいだなんて。そこまで嫌われていたのね」


アニーが大きな掌で顔を覆う。それ以上言葉を続けることもできずに嗚咽が聞こえるばかり。

ふだん見せないアニーの変貌ぶりに、警部は思いがけず動揺した。


ミミの視線が刺さる。


「わ、私は別に間違ったことは言ってはいないはずだがな」


「女心ってもんがわかってないのよ、あなたは!だから嫌いよ、冷血なイギリスの男なんて!」


「ミミィ」


ミミの肩に顔を寄せて、アニーはさらに泣き声を上げた。


…さっきまでケンカしていたのではないのか?…警部はくらくらする頭を二、三度振る。


理解など不可能だ、だから女というものは。


呼吸を整えて気持ちを鎮めると、ダリルは静かに言った。


「アーネスト。傷つけて悪かった。だが、これだけははっきり言っておこう」


しゃくり上げながら、僅かにアニーが顔を上げる。


「おまえは長年の親友であり、職務上の大切なパートナーだ。それは揺るぐことはない。わかるな?」


そっとアニーが頷く。ほんの少しだけスキンヘッドが揺れる。


「そして俺は知っている。おまえが本当に振り向いて欲しいのは…俺じゃない。そうだろう?」


びくっとアニーの身体が震える。瞳には怯えた陰。ダル…と呟く力なき声。


「どれだけおまえのそばにいると思っているのだ。俺が気づかないとでも?」


誰にも言わぬさ。それにその想いは大切におまえの中にしまっておけ。


それだけ言うと、警部はようやくタバコに火をつけた。

ポケットからライターを出すついでに、ダックスロンドンのハンカチを取り出してアニーへと手渡す。英国でも有数の老舗ブランドロゴ、Dのマークを気に入って、いつだかアニーがダリルへとプレゼントしたもの。


「…使って…くれ…て…るのね…」


涙をそっとぬぐいながら、アニーはけなげに微笑んだ。警部はうつむきながら煙の行方をじっと目で追っているばかり。


空気を察したミミは、その場を離れるとカウンターに入り、黙って三人分のスコッチを入れ始めた。









「アンディ・パーカー。イギリスの6thフォーム(公立の高校に当たる)を卒業後、大学へは進まずフランスへ渡ったらしいわ。どんないきさつがあったかまでは掴めていないけれど、レジィヨン・エトランジェール(外人部隊)でエマーソン大尉の元、特殊工作部隊で活動」


ちょっと待ってくれ。カークランドがミミの説明をさえぎる。


「アンディは、エマーソンと属する班が違ったということだったが」


「彼の保身から出たウソね。しっかりと記録には残っているわ。彼もまた、実行班の一員だった。データが情報部で監視されているなんて、一般のソルジャーレベルでは知り得ないことですもの」


なるほど、関わりはもっと深かったという訳か。警部が腕を組む。


「情報提供者って言ったわよね。ふだんも情報屋なの?それともどこかの組織で子飼いされたエージェント?」


「ノン」


短いミミのいらえ。アニーの瞳が、裏社会に通じる情報屋としてのそれに変わっていく。


「実際、どこの情報部ともつながりはない。裏は取れてる。でもね、このところ急速にイヴェールへと接近していることは確実だわ」


「イヴェール?あんたの元ダンナの?」


アニーのあっさりとした物言いに、ミミは乾いた声で低く笑った。


「まあね。法的には結婚の手続きすらしなかったけれど」


とにかく、アンディが接触を図った事実は確認できた。そして彼は、先週からイギリスへと舞い戻っている…。


「本業があるのよね?」


鋭く質問を挟んでゆくアニー。カークランドは彼に任せて成り行きを見守る。


「経営も順調な不動産業が、ね。いくら小さな会社とは言え、仕事を放り出されては社員はたまったものじゃないでしょうね。まあ事務員が一人のオフィスだけど、かわいそうに会社はごたごたしていたわ。社長とは連絡がつきませんと」


そこまで急いで、そいつは何をしたいのかしらねえ。アタシに探れと言うの?


「DGSEでさえ、ことの重大さにはまだ気づいていないの。フランス側で割ける人員は限られているわ。ロンドンの裏事情は悔しいけれどあたくしでは掴みきれない。だから協力をお願いしたい」


どこまでわかってるのよ。静かなアニーの声。


「アンディが…エマーソンのオフィスに入ったという情報はあったのだけれど、これは残念ながらまだ裏が取れていない。本当に彼が今でもエマーソンとつながっているかどうか。確かめていただけなくて?ミスター・シャーウッド」


「ウィ、マドモワゼル」


マダムでけっこう。ミミは下から睨め付けるようにアニーへと微笑んだ。


「わかったわ。マダム・ラファージュ-La Belle Personne-」


美しき人、とフランス語で付け加えたアーネストに、ミミは少しばかり声を立てて笑った。




すべての鍵は、デリック=エマーソン。




何かが始まる。…必ず。


ダリル・カークランド警部は胸中で静かに、これからの闘いへと思いを馳せた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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