#63
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フランス空軍が所有する戦闘機へ搭載される新型レーダー。
ハイブリッド・ビーグル開発部長であるはずのクインシー・キャリック=アンダーソンは、細かに記載された設計図の修整案に目を通していた。
「フェーズドアレイレーダー」とはその名の通りレーダーの一種ではあるが、一般人の思い描くような、大きな網目状の部品が首振り運動をするわけではない。
平面上に多数の小型アンテナを配置し、電子制御と受信したデータを電気的に分析することで敵の位置を探る…乱暴に言ってしまえばそのような新しい技術だ。
もっとも、軍事用に取り入れられたのはそう最近というわけではない。
その多くはイージス艦等の艦載用として作られているのだが、アクティブ型と呼ばれる方式では小型化も可能である。
だからこそ、船のみならず戦闘機にすら搭載することができる。
従来のレーダーに比べ性能は遙かに良いものの、電気的なノイズを多量に発生させる為に高い制御技術が要求される。
もともとの開発こそアメリカで行われたが、さらに改良を加え精度を高めることができたのは…日本企業の協力なくしては到底無理というもの。
「AOKIが持つ、日本との太いパイプは魅力的だ」
辺りに誰もいないことを知りつつ、それでも囁くようにクインシーは呟いた。
イヴェールが深刻な経営危機に陥ってもなお、フランス政府が非公式に支援を続けたのは、何も「かの会社」が国を代表する企業だからではない。もちろん、従業員も傘下企業も桁外れなのだから簡単につぶすわけにはいかぬのだろう。しかし、裏には裏の事情というものがあるのだ。
軍需産業。
決して需要の途切れることのないその市場。先進国の技術開発を行う企業で、軍と無関係でいられるものは少ない。
イヴェールもまた、その一つであったというだけの話。
クインシーは修整案に素早くチェックを入れると、厳重に封をしてからおもむろに机へと放り投げた。
悪魔の技術。だがしかし、実の父親であるリチャードが関わっていたコンフィギュアの研究所とて、深い関わりがあったはず。
…だからこそ、父も母も殺されたのだ。
証拠はあげることもできぬ。しかしあの日のデリック・エマーソンの言葉が、クインシーには深く刻まれてしまっていた。
『君のお父さんの開発したリチウム蓄電池に関する技術は素晴らしかった。すべてを奪い、自分こそがフローラを完成させたとうそぶいているのは…青木善治郎だよ』
両親への思慕や愛情というものではない。冷たかった父との思い出も、常に何かへと怯えていた母の記憶も、クインシーにはさほど重要なものとはどうしても思えなかった。
しかし、その後の彼がたどった人生において、善治郎への憎しみは消えるどころか増すばかりであった。
奴からはすべてを奪い取ってやる。かの技術は父の…ひいては私のものであるはずだ。
ハイブリッド・カー及びエレクトリック・ビーグルに対する技術競争は、その裏の顔として軍事用にいくらでも流用できる要素を多く含んでいるからこそ激化している。
空軍からのレーダー技術への協力要請。
それはAOKIが持つであろう制御技術の情報提供をも含む。
かつて「不運な事故」により、AOKIは多大な損害を被った。小型化低価格を売り文句に開発されたフローラの引き起こした惨事は、表向きは未熟なドライバーがハイブリッド・カーの操作を誤ったがための事故と断定され、いったんは酷く評価を落とした。安全性への信頼の回復には時間を要したのだ。
しかし実際のところは、非常に精密すぎるほど精密な電子機器の塊であるフローラが、何らかの原因により誤作動を起こした為であろう、と囁かれていた。
…一部の軍関係者の間では、な。…
決して表には出ない、公表することのできぬ主原因。強力な電磁場の乱れによる誤作動を防ぐ技術を、「不運な事故」を乗り越えたAOKIは持っているはず。
しかし日系とはいえ、れっきとした英国企業であるAOKIがおいそれとフランス政府にその情報を渡すはずもない。
渡さないのなら奪うまで。
本来なら私のものであるはずの技術。奪って悪いことなど何もあるまい。
クインシーは白き面をゆっくりと歪ませていった。まるでそれすらも笑顔に見えるかのように。
「クリスとは会わない方がいい」
「会う気なんぞ、はなっからない!!」
うつむいたままケイは叫んだ。逢えるはずがないのだ。もう二度と、彼女には近づかないと決めたのだから。
今度逢うときは、すべてが終わり、己が彼女に銃口を向けるとき。
耀司もまた、何も言葉を続けることができなかった。深い沈黙が屋敷を支配する。
「ケイ、あのな…。クリスティアナ・オルブライトは本当は」
「何も言うな。もうおれとは関わりのない人だ。そして…ただのターゲットだ」
まだ何か言いたげな耀司の声を乱暴に断ち切ると、ケイは天を仰いだ。
彼女を抱きしめた。深く愛した。そして…酷く傷つけた。
はん、ばかばかしい。おれは傷つけるどころか彼女の生命さえも奪おうとしているのに。
何の為に?契約か。エマーソンと交わしたコントラクトがケイを縛る。すべて捨ててしまえばいいのに。何度もそう思った。しかし、彼があのときクリスティアナ殺害を引き受けていなければ、無情な他の部下が彼女を何のためらいもなく殺していただろう。とうの前に、な。
元とは言え、軍人にとって契約は絶対だ。破ればその時点でエマーソンは敵となる。彼の実力と地下組織への影響力を知るだけに、何の見通しもなしに暴挙に出る気はなかった。
おれがどうなろうと構わない。しかし、たとえおれ一人が始末されたところでクリスが救われる確率は全くないのだ。
エマーソンが背負っているバックグラウンドのすべてを把握してるわけじゃない。けれど、ケイ一人でどうにかできるほど、ことは簡単ではないことくらいわかる。
…ならせめて、苦しまぬように逝かせてやることが彼女への-愛-か…
深く、絶望的な思いにとらわれていたケイに対し、耀司はそっと告げた。
「なあ、少しだけでいい。俺の話に耳を傾けてはくれないか?」
改まって、何だよ。自虐的な笑い。ケイにとってもどう動けばいいのか皆目見当もつかぬというのに。
「おかしかないか?何もかもがあまりにできすぎてる」
冷静すぎるほど醒めた耀司の声に、ケイはぴくりと反応した。
「まずクリスを探り出した。それからすべての歯車が狂い始めた。そもそもその依頼はエマーソン大尉からのものだ。なのに、それはおまえが抱える問題と密接に関わる。同じ時期に現れた本物のケイ・ハミルトンと名乗る人物は、選りに選ってあのウィリアムズ・パークスの弟だという。そして、おまえが捜し当てた過去にはAOKIの前身であるコンフィギュアが絡む。俺はな、むやみやたらに偶然という言葉を遣うなと師匠どもにさんざん仕込まれているんだ」
どう…い…う…こと…だ?ケイの声がかすれる。
「目には見えない、やっかいな糸が複雑に絡み合っている。丁寧にほぐせば、一つのストーリーが姿を現すんじゃないか。俺はそう言っているんだよ」
関係…ない…だろ?弱々しいケイの反論。
「少なくともクリス嬢は何かを伝えたいんだろ、おまえに。俺が会ってくる。おそらくはとても重要な情報のはずだ」
「だったらおれが行く!」
ケイはそう叫ぶと、思わず立ち上がった。
「ケイ…」
「耀司は大切なパートナーだ。一度はきちんと縁を切ったはずなんだがな。それでもおまえだけは信じられる。信頼していない訳じゃない。けれど、クリスが会うと言った相手は…おまえじゃない」
彼女とはもう会うな!!耀司の声にもどかしさが混じる。それを敏感に察しながらも、ケイは言い張った。
「おれが行く。必要なら…その場で彼女に手を掛ける。それがおれの最後の任務だから」
それだけは、止めてくれ。耀司の悲痛な呟きを聞き流すかのようにケイは哀しく微笑んだ。
美しき瞳にかげりのある光を浮かべながら…。
(つづく)
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