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#6

#6



シャワーの音が、ベッドサイドまで響いてくる。

ケイは灰皿を引き寄せると、バスローブをはだけたままでタバコをくわえた。

深く煙を吸い込んで、固く目をつぶる。今までの恍惚感など何もなかったかのように。


…眠りたい。何も考えずに。あの頃みたいに…


いらつく思いをかいま見せながら、何度も息を吸い込むと、またたく間にタバコは短くなってゆく。

ふっと、苦笑いでそれを灰皿にねじ込む。


ケイがその絹のように美しい髪へ指を差し込み、頭を抱えるのと同時に、シャワーブースの扉が開いた。

明るめのブロンドからお湯をしたたらせ、胸元はバスタオルを巻いただけの女が甘い声を出す。彼よりは幾分年上の、遊び好きと揶揄される原因となる何人もの彼女の一人。


「ケイも早くシャワー浴びたら?」


低く艶っぽい彼女の声と反して、その顔立ちはどこかあどけなさを残していた。


深く自分の思考にもぐっていたケイは、ハッとしたように顔を上げると、タクシーを呼ぶよ、とひとこと言った。

途端に彼女の形相が変わる。


「何よ!こんな夜中に女一人で帰すつもり!?」


「夜中って…まだそんなには」


響きに冷たさが加わるのが自分でもわかる。用が済んだのならもう帰ってくれ。ケイは二本目のタバコに火をつけた。


「せっかくお家に招待してくれたのに、その態度はないでしょう?私は本当にケイのことが…」


「だったらとなりのゲストルームを使うといいよ。あまり掃除が行き届いていなかったらゴメン」


彼の言葉に、女はケイに身体を預けるようにしなだれかかった。そんな寂しいこと言わないで。


はん、実業家の娘が子爵の箔をつけたいだけじゃねえか。そのためには商売女よろしく、男に媚びまで売ってみせるってのか。


ケイの気持ちはどんどん醒めてゆく。それでも温かな人のぬくもりが、もしかしたらという淡い期待を抱かせる。


「おれさ、歯ぎしりすごいんだよね」


気にしないわ、くすくす。女の笑顔。…信じてしまいたくなる。


「寝相も悪いし」


ケイってときどき子どもみたいね。…包み込むような愛がこの世にあるのなら。


「寝言がひどいってよく言われるんだ。うるさくてとなりじゃ寝れないと思うよ」


じゃあ一晩中起きて、抱きしめててあげる。…本当に?君のこと、信じていいの?


そばにあったスコッチをぐいと飲み干すと、ケイはシャワーを浴びるために立ち上がった。





…何度も見る同じ夢。今夜は違うはずだ、となりには人の寝息。彼女に包まれるように眠りについた。母がそうしてくれたように。おそらく誰からも守ってくれたように。


手を絡ませて、しっかり温かさを感じる。僕を守って!ママ!パパ!


いつものストーリーが始まる。悪夢とわかっていて見る夢ほど、イヤなものはない。ケイの眉間にしわが寄る。苦しげに唸り出す。


あまりの息の荒さに、彼女が目覚めてケイを揺さぶる。大丈夫?ねえ、ケイ。ケイ!!


僕を助けて…息苦しさにうっすらと目を開けた彼の目に映ったものは…。





空洞の目から赤い血の涙を流す母が、ケイを哀しげに見つめているその顔。

身体中から流れ出る血で、手も服も真っ赤に染められている。その手を伸ばしてケイの顔を触ろうとする。

おいで。抱きしめてあげるから。


ケイはあまりの恐ろしさに声も出せずに目を見開いた。身体がガタガタと震え出す。


「ケイったら!しっかりして!!」


もはやケイには彼女の姿など見えてはいない。いるのはただ、血の涙を流す…母。




「うわああああ!!」




いつもの絶叫が、屋敷中に響き渡った。





「おっはよー。って、あれ?俺もしかしてまずいとこに来ちゃったかなあ?」


今朝も今朝とて、平気でドアを開けて入ってくる耀司が目にしたのは、リビングのソファに着替えもせず深く沈み込むケイと、一目で高価であろうと思われるドット柄のワンピースを着込んで、無言で階段を下りてくる女性だった。


ケイは黙ってタバコを弄んでいる。

耀司が声をかけるその前に、彼女のとがった声が耳に飛び込んできた。

かなり怒っているらしい。


「いいこと?あなたに必要なのは恋人などではなくて、腕のいい精神科医かセラピストか、カウンセラーよ!!さようなら!!もうここには来なくてよ!!」


バタンと力任せに重い扉を閉めて、彼女は出ていった。


ケイは小さく…さよならとだけつぶやいた。





「今回はまた、ずいぶんと早かったな。今年に入って四人目か?」


ニヤニヤしながら耀司が彼に話しかけた。勝手知ったる子爵の屋敷で、食料をあさっては口に放り込んでゆく。


「四人じゃない。三人だ」


「どっちも同じだろ?ちっとも長続きしねえのな。だから遊び人だとか女には興味がないのかだとか言われちまうんだよ」


ジャムとバターを塗りつけたパンを頬張りながら、耀司はもごもごと彼にそう言った。


「彼女は朝までいてくれると言った。信じたおれがバカだった。ただそれだけだ」


耀司はパンのかけらを無理やり飲み込むと、少しばかり真剣な顔つきになった。


「あの子の言うことにも一理あると思うぜ?本気でカウンセリングなりセラピーなりを受けた方がいんじゃね?」


「それでおれの記憶が戻りでもしたら…どうなる?」


顔を上げたケイの暗い表情に、一瞬、耀司は言葉を失った。

しかしすぐにひょうひょうとした顔を作ると、わざと陽気に言い放った。


「楽でいいじゃん。こんな遠回りをして敵を探し出す手間も省けるし、おまえだって自分の名前が…うわっ!」


耀司はあわてて頭を下げると、飛んできた灰皿をよけた。

中身は入ってなく幸いだったとしても、鉄製のそれは、派手な音を立てて壁にぶつかった。


「おれは、ケイ・ハミルトンだ!」


「知りたくはないのか!?おまえの本当の名前やら素性やら、本物の両親のことをさ!!そのためにこんなバカげたゲームをくり返してるんじゃねえの?あちこち忍び込んじゃ、こそ泥の真似なんかして!!」


ケイは無言のまま立ち上がると、耀司に向かって行った。彼は静かにかじりかけのパンを皿に戻すと、身体をひねって攻撃をかわす。


たんっ、と床を蹴ると、耀司はソファをまたいでリビングの脇に寄った。ケイはしつこく彼を追い回す。


「いいかげんにしろ!おまえと鬼ごっこしにここに来てるんじゃないよ、俺は!」


「うるさい!情報を集めているのはハミルトン夫人のためだ!!おまえだってそうだろう!?」


ケイの細い指が、思いがけないほど強い力で耀司の腕を取る。しかし耀司はそれを逆手に、彼をねじ伏せた。


首筋に、ディナー用のナイフを突きつけ、ニヤリと笑う。


「おまえにはまだ負けたくないね」


「はん!それじゃ致命傷どころか、かすり傷一つつけられないぜ?何せうちはカトラリーを磨き抜いてくれる執事なんぞいないからね!!」


腕をねじり上げられ、苦痛に顔をしかめながらもケイは悪態をつく。


腕をそっと離すと、耀司は今までのふざけた表情から哀しげな視線を彼に向けた。


「毎晩、悪夢にうなされて苦しくはないのかよ。見る夢はいつも同じ。おまえの両親が殺されて血にまみれる。おまえは辛さに耐えかねて大声で叫ぶ。いいかげん神経がまいっちまうぜ?なあ、悪いことは言わない。治療を受けろ」


「……いや…だ」


歯を食いしばり、ケイは呻いた。


「あの幼い頃から、一日たりともぐっすり眠れたことがあったか!?」


「あったさ!!」


ケイの瞳が暗く光る。乾ききったカラーコンタクトが痛みを訴える。昨夜取るわけにもいかなかった。はずしてしまいたい。何もかもすべて。


「傭兵時代の三年間、おれは何も考えずに眠れたよ。身も心もくたくたで麻痺しきっていた。人を殺したその夜でさえ、飯も食えば笑いもする。そのあげくに熟睡だ。あの頃に…」


「戻りたいのか?外人部隊なんかによ」


ケイは何も言わなかった。戻りたいとも、そうでないとも。


「…力が欲しかった。おれ自身の力が。無力でなすすべもなく、夫人を助けることさえできなかった」


おまえのせいじゃないだろうが。耀司がつぶやく。


「何をどう調べても、すべてはAOKIにつながる。だからおれは」


わかってるさ、だから協力は惜しまない。そうだろう?耀司はケイを正視することさえ辛そうに言った。





「おまえの夢の中に出てくるのが、もし本当に青木善治郎だとしたら」


「は…ん。東洋人の顔なんてどれも同じに見える。幼い子どもが覚えているはずもない。後付けされた記憶の可能性が高い。父や母を殺した犯人の一人だと断定できるわけが…ないんだ」


自分に言い聞かせるように、ケイは言葉を吐き出した。




英国で着実に売り上げを伸ばしている後進の自動車会社AOKI、その創立者である青木善治郎。




おれの、おれたちの敵は本当にヤツなのか。


二人は静まりかえったリビングで、ただ黙って立ちつくしていた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009  keikitagawa All Rights Reserved

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