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#59

#59



アニーの慣れ親しんだ世界。それは退廃的で刹那ではあったが、本音と虚像が錯綜する、退屈とは無縁な日々であることには違いなかった。

この場で、誰に逢うか。どの道をゆけば欲しい獲物にたどり着けるのか。己の嗅覚のみを頼りに歩く。

もちろん、おのが武器はその幅広いダークコミュニティで得た情報。


ケイ、或いはブラック。あれだけの希少なオッド・アイだ。こんなすすけたモノトーンの裏街であっても、いやそれだからこそいやが上にも目立っていたことだろう。


アニーは目指す店へとまっすぐに向かい、ためらうことなくカウンターに気さくに声を掛けた。






「ねえ、ちょっと…」


「ああ?あんたみたいなぎらついた男は嫌われるよ。ここは子ども専門だ。よそ行って活きのいい兄ちゃんでも見繕ってきな!」


タバコを吹かせながらけんもほろろに門前払いを喰らわせようとしたのは…杖を離そうとはしない年の行った女だった。


「何よう。人を見た目で判断しないでちょうだい!何百年そこでやり手婆をしてるんだか知らないけどさ!」


アニーがわざとつんけんに言葉を吐き、女を挑発する。


案の定、忌々しげにカウンターから首だけを突き出した女は、泡を飛ばしながら文句を言い始めた。


「アタシはねえ、そりゃこの仕事も長いから?あんたみたいな精力有り余ってるタイプは、なよっとした子どもよりかはガタイのいい軍人あたりがお似合いだくらい、一目見りゃわかるんだよ!でもねえ、やり手婆呼ばわりはないじゃないのさ!」


あら、ババアにババアと言って何が悪いのよ!アニーはさらに悪態をついた。


女は杖にしがみつくように身体を少しばかり浮かせた。


「そんな歳でもないのに、全く疫病神に遭っちまったせいでこの有様だよ。むかむかするったらありゃしない」


昨今の不況のせいか、時間帯が悪すぎたのか。同性専門の売春宿は人の気もなくがらんとしていた。女も客が来たというより話し相手でも欲しかったのだろうか。聞くとはなしに愚痴をこぼしはじめる。


へえ、若いとでも言いたそうじゃない?そんなに腰が曲がってるっていうのにさ。


アニーは相手の警戒心の隙をするりとついて、カウンター脇に腰掛けた。不摂生がたたったのねえ。女は四十過ぎるとガタが来るっていうじゃない?二度目のガタでも来たっての?けらけらと笑い声を上げる。


「ふざけるのも大概におしよ!病気でなんかあるものかい!」


自分の出した大声が響いたのか、女は大仰に腰を押さえてみせた。アニーがそっと手を貸す。


「うちで使ってたガキが、とんでもない悪魔だったのさ。道ばたで死にそうになってたのを拾ってやったってのに、その恩も忘れて人を刺しやがってね」


九死に一生を得るとはこのことだと、女は当時の様子を事細かに話し出した。へえ、それで?情報を相手から引き出すことに掛けてはプロ中のプロであるアニーにかかっては、ひとたまりもない。




「つまり、店一番の稼ぎ頭の子どもは、カメラ小僧と一緒になって足抜けをしたと。こんな人の良さそうなおばあちゃんを刺し殺そうとしてまでもねえ」


あたしゃあんたにおばあちゃん呼ばわりなんぞ!叫ぶ声に再び顔をしかめる。


「…で、どんな子だったの?その小綺麗な少年とやらは」


さりげなく投げかけた問いに、しかし女は警戒心をあらわにした。アニーの眉がほんの少しひそめられる。ここまでヘマはしていないつもり。


「まさか、その子どもが出世でもしたっていうんじゃないだろうねえ。そうしたら今すぐにでも居場所を突き止めて強請に行ってやるってのに」


どういうこと?相手との心理的距離を縮める為に、アニーは女へと顔をさらに近づけた。


「あんた以外にも、あの子のことを訊く人間がいたのさ。一人じゃないねえ。まあ、もともときれいな顔立ちだからやんごとなきお生まれなのだろうけどさ。コックニーに堕ちてた時点で、先は見えてるのにねえ」


おばあちゃんを見てると、郷里の母を思い出すわよ。心にもないことを言いつつ、アニーは前払い金だと札を差し出した。

素早く手にしていたかごの奥深くにその金をしまい込むと、女は「がっつかなくても、あとで紹介してやるから」と歯のない口元をゆるめた。



自分以外にも、このことを嗅ぎ廻るヤツがいる。何より、この場所と己が追う情報と少年を結びつける人間がいることに、アニーは少なからず焦りを感じた。


逆に言えば、これこそが近道なのか。


タバコを彼女に差し出しながら、自分もくわえようとしたアニーの手が止まった。


何気につなげた女の言葉が、彼を動けなくさせたのだ。



「忘れようったって忘れられるもんかい!青く輝く瞳と黒々としたもう片方の目。オッド・アイの悪魔と呼ばれていたよ。当の本人は名前なんかも覚えちゃいないようだったから、アタシたちはその子をこう名付けたけどね…『ブラック』と…」



アニーは、堅く目をつぶった。







なりゆきで客として部屋に案内されたアーネストは、その場にこもるアヘンの匂いとうつろな行きずりの少年の姿に、柄にもなく目眩を感じていた。


ダルをこんなところに連れてきたら、怒りでぶっ倒れてしまうかも…ね。


すぐさましなだれかかろうとする、年端もゆかぬ子どもにまっすぐ視線を向ける。彼はとまどったように長い睫毛を伏せた。


「こっちを見なさいよ。あんたはホントに男が好きなの?」


静かな声。少年が驚いたように顔を跳ね上げる。


「あたしのはね、きっと神様が身体に心を入れ間違えたんだわ。ちっちゃい頃は、ずっと自分を女だと信じて疑ってはいなかった。そりゃ自分でもおかしいと思ったわよ。何度も何度も治そうとした。身体を鍛えて男らしくなって、女を好きになろうと必死だった。でもどうしても無理だった。スクールの制服を着させられたときは、憧れのあの人の服を借りているのだと思いこんだ。あの人のむせるくらいの男の匂いをかぐみたいに。そう自分に言い聞かせた。あの人ってのはね、…あたしの年の離れた兄よ」


少年は黙ってアニーを見つめるばかり。


あたしは見知らぬ男の子に、何を話しているのだろうか。おおよそアーネストらしくもない述懐。


言葉を続けながら、脳の一部はどんどんと醒めてゆく。



つい最近も、オッド・アイの少年を見た者はいないかと嗅ぎ廻るヤツがいたという事実。これはアニーもよく知る情報屋が絡んでいるに違いない。あとで締め上げてやる。


そして、もっと十年以上前にも…いかにも上流階級の夫人とおぼしきふくよかな女性が、やはり左右違う色の瞳を持つ男の子を必死で捜していたという…。



このイギリスに上品そうに見える女がいったい何人いると思うのか。頭を冷やしなさいよ、アーネスト。ダルに知れたらどやされているところだわ。


でももしそれが、…ハミルトン夫人であったとしたのなら。

彼女は現行のケイ・ハミルトンが、最初からオッド・アイであると知っていたことになる。その上で敢えて捜し出し、自分の家に迎え入れたというのだろうか。そんなバカな。


屋敷の近所に住む下町の連中をしらみつぶしにあたった。口々に否定する中、跳ねっ返りが漏らした言葉…。



ケイ坊ちゃまが行方不明になってしばらくしてふらりと現れたのが、目鼻立ちのよく似た浮浪児だったんです、と。



夫人はその子を本物のケイと思いこんで家に招き入れたのではなかったのか。


そしてその、本物のケイとは…なぜか銃創の古傷を持つ一人の少年。


いったい夫人は、なぜこれだけあからさまに違う瞳のブラックを、ケイとして受け入れられたのか。




「アムノンとタマルの罪ね。旧約聖書に出てくるお話よ。兄は美しき妹を愛した。しかし願いが叶えられるとそれは本人をも含めた憎悪に変わった。あたしはタマルにさえなれない。美しき妹でもないのだから。一族にそのままいれば、あの人の姿を見ることだけはできる。声をかわすこともできる。耐えきれずあたしは、家を出た。どんなに罵られようと蔑まれようと、あたしはあたしでいられる場所を見つけた。あんたが本当に、ここがそうなら何も言わない。もし、違うのなら…」


ああそうか。若きカメラマンはこう言って、力のない少年へナイフを手渡したのだろう。



自分で戒めを、呪縛を、足枷を断ち切れと。



その勇気と力のある者だけが、本当の自分として生きてゆけるのだ。

それが幸せであるかどうかは、何一つ保証されてはいないけれど。



アニーはそっと目の前の少年を一度だけ抱き寄せると、頭を抱え込むように頬に触れてぬくもりを味わった。

そして服を着けさせ、いくばくかの札を握らせると、黙って部屋を出た。





複雑に絡み合うケイ・ハミルトン…ブラックの過去。すべてを解き明かせば、彼は救われるのだろうか。


救う?ダリルは彼を糾弾し、罪を償わせる為に走り回っているというのに。


はん、あんな朴念仁なんかどうだっていいわよ。


仕事は仕事と自らに言い聞かせながら、アニーは眩く健全な光を放つ表通りへと歩を進めていった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved


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