#57
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無機質に光る外装のオフィスビルは、歴史あるパリの建造物をはねのけるような趣で四方を威嚇していた。整ってはいるが、無駄な装飾を一切省いた会議室に通されたカークランドは、隣に座るミミへそっと視線を向けた。
平然とした表情を浮かべてはいるが、握りしめた手が微かに震えている。
…こいつだとて、しょせん女なのだな…
彼女を同席させたのは、ただキャリック=アンダーソンに揺さぶりを掛け、優位に持って行こうとする冷徹な計算上のものであった。ダリルの深層心理に何があったのかまでは、彼自身さえわからぬこと。
機能性だけを重視したデジタルの時計に目をやる。アポイントメントを取った時刻は午前十時。残り三十秒というところで、足音が近づいてきた。
「お待たせして申し訳ありません。遠路はるばるお越しいただいたお客様だというのに」
ジャスト。そういう男か。
カークランドは立ち上がると、儀礼的に握手を交わした。
改めて、目の前のクインシー・キャリック=アンダーソンを見やる。三十半ばになるかならぬか、青白い肌に切れ長の瞳が光る。整ったというよりあまりにも揃いすぎている人形のような顔立ち。浮かべる笑顔さえ、どこか芝居じみていた。
「さぞかしお忙しいことでしょう。名目上はハイブリッド・ビーグル開発部長とはいえ、実質的なイヴェールのトップと呼ばれる方ですからね。そのお若さで」
心にもない世辞に、クインシーは顔色一つ変えなかった。ご用件は…笑顔を崩さずカークランドを見据える。
「お会いしたばかりで失礼は承知の上です。しかし正直なところをお聞かせ願えれば」
儀礼的な言葉など要らぬ。そう言いたげなクインシーの目が尖り始める。
「なぜ英国人であるあなたが、フランスでハイブリッド・カーの開発をされているのですか」
お聞きになったのでしょう?私がなぜフランスにいるのかは。若き開発部長はそばのミミには目も向けずに言い放った。
「しかし、エマーソン氏もまた英国人だ。いくらフランス軍に従事していたとは言え」
彼の名を出して反応を見る。顔色一つも変えぬ。大したタマだな…カークランドは胸の内で苦笑した。
「確かにエマーソン氏に援助を受けていたことは事実です。そちらのマダムと同じように。彼がなぜフランスで活動されていたのかは知りません。ただ、父の知人だとは聞いています」
「ご両親を不慮の事件で亡くされたそうで。心中お察しします。コンフィギュアの研究員だったそうですね。それで敢えてライバル企業であるイヴェールへと、ですか。英国内の他企業を選ばずに」
射るような警部の視線をものともせず、平然とクインシーは彼を見つめ返した。ミミから殆どの情報は伝わっているのだろうと、あらかじめ予測していたかのように。
「フランスに渡ったのは私の意志ではありませんよ。何の力もないただの子どもに選択権などあろうはずがない。エマーソン氏の活動の場がこちらだった。それだけのことです」
「エマーソン氏は、こう申し上げては悪いが一介の警察官あがりだ。事業を興して成功したとも聞かない。なぜ何人もの子どもたちを援助するだけの資金があったのか、そして…なぜそんなことをしたのか」
さあ。クインシーのいらえはあっさりとしたものだった。下手な言い訳で腹を探られたくないと言うことか。
「それほどまでにあなたのご両親とエマーソン氏が懇意であったということですか。それとも何らかの贖罪の意が込められていたとでも」
あの頃はまだ子どもでしたから、何もわかりませんよ。クインシーの苦笑混じりの言葉。どこかで聞いた台詞だな。ああそうか…あれはラザフォードの娘の墓参りでハミルトン卿が呟いていた言葉。
申し訳ありませんが時間がないもので。彼の言葉に、思いついたかのようにカークランドは付け加えた。
「これは失礼しました。くだらないお話に付き合わせてしまって。最後に一つ、よろしいですか。青と黒の鮮やかなオッド・アイにお心当たりは?」
ほんの僅か、クインシー・キャリック=アンダーソンの眉がぴくりと動いた。たたみかけるように警部が言葉を投げかける。
「すみませんがもう一つだけ。クリスティアナという名前には」
「生き別れた妹の名ですが、それが何か」
警部の質問に、両親が死んでからというもの一度も会ったことはないと答える。表情に変化はない。
「現在の居場所はご存じですか」
「知りません」
実の妹だというのに捜そうとは思われなかったのですか。カークランドの視線から一瞬目をそらした彼は、ふっと笑みをもらした。
「自分一人が生きていくのに必死でしたから。両親もなく、後ろ盾と言えば懇意でもない善意の第三者のみ。私がどんなふうにここまで生き延びてきたか、あなたのような特権階級の方には一生おわかりにならないでしょうね。ダリル・アンドリュー・カークランド警部殿」
カークランドもまた、冷たい表情で彼を見返した。
国へ帰って、この事件を徹底的に洗い直すことが先決だな。もちろんそんな思惑はおくびにも出さずに、丁重に礼を言ってその場をあとにしようとした。
そんな彼らを、クインシーが呼び止める。一言も発することなく立ちすくんでいたミミに向かう。
「マダム・ラファージュ」
名を呼ばれたミミが、息を止める。そんな彼女に向かって、嘲りの色を含んだささやき声でクインシーは言葉を掛けた。
「相変わらずだね、君は男の趣味が悪すぎる」
彼女の右手がぎゅっと握りしめられる。クインシーは後を振り返ることなく先に、失礼、と部屋を出て行った。
「イヤな男!」
わざとはすっぱな物言いでミミが吐き捨てる。僅かな声の震えには気づかないふりをした。ポケットからタバコを取り出そうとして、オフィスで吸えるはずもないとカークランドはため息をついた。そのうち麻薬並みに規制が厳しくなることだろう。やってられんな。
どこまでも白い壁で覆われたこの部屋は、今までいた若きリーダーの冷酷さを映し出しているような圧迫感を覚えさせた。
無言のまま、階下へ降りる。それなりのざわめきに安堵する。
…俺とて、ヤツに会うのにそれなりには緊張していたというのか…
苦い笑い。ミミもまた、無言を貫き通した。
ほんの少しばかり裏通りに入る。ここにはまだ、雑多な雰囲気のカフェもある。できるだけ奥まった席に座り、カークランドはわずかにネクタイをゆるめた。
「あんなことでよかったの?」
彼より先にメンソールのタバコに火を付け、ミミは横を向いたまま問うた。
「初対面でいきなり、ずけずけと訊けるものか」
「なぜあたくしを…連れて行ったのかしら」
彼女の瞳が冷たく光る。警部はじっと見返した。
「くどくど説明するより、手っ取り早いと思ったんでな」
ふと浮かぶ疑惑の影。彼は何を言いたいのか。ミミの表情がそれを物語る。
「ロンドン界隈を賑わせている窃盗犯がいる。ブラックと呼ばれる美術品専門のな」
それで?彼女の脳内で、今頃は必死に過去のデータを探っていることだろう。あいにくフランスではそれほど有名ではないらしい。警部の口元が歪む。
「そのブラックが、AOKIのデータを狙っている。理由はわからない。そして窃盗犯であるにもかかわらずスナイパーライフルを操り、多数の敵に囲まれようとも冷静に相手の動きを封じ込めるだけの腕を持っている」
だから外人部隊だと?ずいぶん短絡的ね。挑発的なミミの台詞に、カークランドは目を細めた。
「AOKIに近づく男がもう一人いる。青木の娘に言い寄り、ブラックの姿が現れるたび、その場に居合わせる。ふだんは気の弱い優男だが、実際には非常に攻撃的で冷酷な面も持ち合わせる。彼は学生時代の三年間をフランスで過ごしたことになっている」
…ことになっている?持って回った言い方ね。ミミの吐く紫煙が揺れる。
「彼は青木の娘の婚約者として屋敷に出入りしている。しかし、数年前に母親をAOKIのハイブリッド・カー絡みの事故で亡くしている。フランスへ渡ったのはその直後だ。また、おそらくコンタクトか何かで隠しているのだろうが、青と黒の瞳を持つオッド・アイであることも…確認済みだ」
ミミの目が見開かれる。
「それが、英国の子爵位を持つケイ・ハミルトン。あんたが見せてくれたレジィヨン・エトランジェールの入隊記録に、しっかりと名を残していたよ。エマーソンの元でな」
オッド・アイの悪魔と呼ばれた名スナイパー。
ミミは信じられぬという顔で首を振る。
「なぜ?どうしてイギリスの貴族様なんかがレジィヨンなどにいたのよ!!」
「俺が訊きたいさ。その答えを探しにわざわざフランスくんだりまでやってきたのだ。あんたは言っていたな。エマーソンこそがキーパーソンであると。ここまでくれば俺もその意見には異を唱えられなくなってきた。すべての線は、エマーソンにつながる」
ケイ・ハミルトンを名乗る男は誰なのか。俺はそれを探る。ヒントはあんたがくれた。コンフィギュア研究員夫妻殺害事件だ。
「待って!その子爵とやらの出自まで疑っているの?」
「疑っているのはそれだけじゃない。俺がクインシーに投げかけた質問を思い出してみろ」
ミミの視線が宙をたゆたう。クリス…ティ…アナ…と、たしか。
「青木の義理の娘の名は、クリスティアナ・オルブライト=青木。後妻の連れ子だ」
「ただの偶然だわ!!クリスという名は珍しくもない。あなたまさか、クリスティアナ・キャリック=アンダーソンと結びつけている訳じゃ…!?」
思わずミミはテーブルに手をついて立ち上がった。叫び出したい声を必死に抑えている。
今度はカークランドが、ゆっくりと煙を吐き出した。短くなったタバコをもみ消し、節ばった長い指を組む。
「偶然も、それだけ重なれば必然だ。彼らには何かある。見えない意図が…な」
雄弁な沈黙が二人の間を流れ、どちらも身動きすることさえできなかった。
(つづく)
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