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#54

#54



まだ夜は始まったばかり。それでもロンドン郊外の乾いた道路は人の気配がほとんどなかった。


ブラックは黙ってアクセルを踏み続けた。スピードメーターが上がっていくのを視界の隅で捉える。

後部座席に一人残されたクリスもまた、無言だった。


あの様子では、屋敷からも多くの助けが駆けつけたであろう。耀司だとていやがおうにも場慣れだけはしているさ。安心して任せればいい。


むしろ、危険なのは…。


瞳だけをちらりとミラーに向ける。やはり…な。




無事だったと思われる敵の主要部隊が、この車をぴたりと追っていた。

どうしてもクリスを始末しなければ気が済まないらしい。AOKIを揺さぶるにはオフィリアでも良いはずだのに。


うっそうとした木々に囲まれた屋敷と違い、ここは明るい。後続車がゆっくりと窓を開け、ライフルがこちらに向けられている様までもが見て取れる。



…ふざけんな、おれを誰だと思ってやがる…



ブラックはいったん左に大きくハンドルを回すと、クラッチをわずかに切りながらそのままもう一度アクセルを床まで踏み込んだ。


右方向に急旋回。横道に突っ込んでゆく。


擦れたタイヤが激しい悲鳴を上げる。


一瞬、標的を失った銃弾が、何もない空間を飛び抜けてゆく。


しかしワンテンポ遅れて、敵の車はブラックらのあとをしっかりと付いてきた。



「前回で懲りたらしいな。ちっとはマシな連中を用意したようだ」


皮肉げなブラックの苦笑い。後ろから撃ち込まれるライフルの弾道上に乗らぬよう、何度もハンドルを切り続ける。


「顔を上げるなよ!いくら何でも防弾ガラスって訳じゃないんだろ!?」


初めて、クリスに向かって声を投げかける。いらえはなかった。


高級車のメーター類をざっと読み取る。ガソリンは約半分。振り切れるか。いくらベタ踏みしようとも、いかんせん車体が重すぎた。もとよりこんなに速く走るようには作られてはいない。


乗り心地優先のゆったりした車内。のんびりと優雅に走るには安全には違いない。AOKIのコンセプトとは真逆な…な。

それをモータースポーツ並の荒さで無理やり走らせているのだ。どこまでいけるか。どこで、あきらめてくれるか。



…どうして…


ふっと、爆音の中で拾った言葉。ブラックは振り返ることもできぬまま、何か言ったか!?と怒鳴り返す。


「どうして!?私にはわからない!!なぜ狙われるの?なぜ私なの!?私が…青木の娘だから…?」


--------クリス。


「一番わからないのは、あなたよ。どうして…私を助けるの?」


絞り出すような切ない声。ブラックの意識に一瞬の空白。



その隙を逃すような敵ではないらしい。がつんと一発ぶち込まれた。当たったのは、いやかすめたのは右のテールランプ。おそらく、な。


しかし、その衝撃で車体が大きく傾く。ずさっと横滑りするのをブラックが必死のハンドル操作で修正してゆく。


もう一発。今度は後ろのドア付近。ガラスに飛び込まれたらクリスが危険だ。


腹を決めてブラックは、車を大きく方向転換させた。追っ手の正面を向き、急停車させる。相手も凄まじい音を立ててブレーキを掛ける。





「しゃがんでろ!!座席の陰に潜って出てくるな!!」


クリスに向かい大声で叫ぶと、彼はスナイパーライフルを手に車を降りた。


身を低くして敵の車をまずはつぶす。前輪に一斉射撃を加える。


予備の弾倉を素早く装備し、今度は降りてきた敵どもの動きを封じる。


どう見ても、相手の弾数の方が多すぎる。いくら高級車だと言って軍用車でもあるまいに、撃ち込まれたらここでアウトだ。


相手の攻撃をそらせるようにブラックは車を離れた。


敵も、彼がいる限りクリスを殺るのは不可能と踏んだのだろう。案の定、ブラックを狙ってくる。


多少の犠牲は仕方あるまい。彼は武器をはじき飛ばすなどという甘さを捨て、敵の肩と腿、そして腰辺りを正確に狙い始めた。


一人、また一人と敵が声も上げずに倒れ、動きが止まる。手当てが早ければ助かるだろう。神にでも祈っておけ。


…ここが戦場でなかったことを、な…


場所を変え、地を蹴って瞬時に物陰に飛び込む。そこからまた銃を撃ち続ける。生身の人間へと。


己へと銃を向けられるたびに、逆にブラックはどんどん冷静さを取り戻していった。




これは…ゲームだ。


いつもの台詞が胸にせり上がってくる。


殺らなければ殺られる。生きるための究極の選択。そんな言葉が絵空事に聞こえる。


おれはただ、敵がいるから撃つ。理由などない。


むせかえるような血のにおい。抑えても抑えきれぬうめき声。実戦に従事していた期間など、ほんの僅かなはずだのに。ブラックにとってはなじみのある光景。


…すべてが終わり、万が一にでもおれが戻るとするならば…


そこはおそらく、戦場がふさわしい。


思いとは裏腹に、臓器としての脳はどんどん醒めてゆく。





動くものはもういない。ゆらりと立ち上がったブラックの息もさすがに切れていた。


荒い呼吸を鎮めようと持っていたライフルを下に向けた途端、悲鳴が上がる。



ガシャアン!!



派手な音を立てて窓ガラスが破られ、ドアが蹴り上げられ、中にいたクリスは引きずり出された。


油断した。ラスボスは、きっちり最後に登場か。


ブラックはギリリと歯を噛みしめた。


彼はゆっくりと持っていた銃を下に捨て、胸元からコルトを出した。この距離ではライフルは無理だ。


まっすぐと敵に向ける。


「悪いが、ここはあんた一人だ。援軍が来るには時間が掛かるだろう」


ブラックは冷ややかにそう告げた。ふっ。相手の男が失笑する。


「それはおまえだとて同じではないのか」


唇を噛みしめ、相手を睨む。依頼人は誰だ…まずは答えぬであろう問い。


「もちろん承知の上だろうが、我々に答える義務はない。それにおまえがなぜ令嬢を助けようとするかまでは知らぬが、彼女の命さえ絶つことができれば任務は終了だ。これで終わりだ。ブラック…とでも呼べばいいのか?」


多分に嘲笑を含んだ低い声。以前とは違う。こいつらは職業軍人だ。


そいつの腕がゆっくりと持ち上げられ、腕に抱えられたクリスの頭へと銃口が向けられる。


怯えて下を向いていた彼女が、すがるような瞳でブラックを捉え、そして…。



「……!?」



大きく目が見開かれる。その表情の変化に、ブラックの意識が揺らぐ。


傍目にもはっきりとわかるほど、クリスの身体は小刻みに震え始めた。張り付く唇が何も言えずにいるかのようにわななく。


…クリス?


「-----------ケイ?ケ…イ…なの…?」


その言葉にはっとして、ブラックは自らの髪に手をやった。


先ほどの激しい戦闘で、とうの昔に黒い帽子など取れてしまっている。彼女の目の前にいるのは、黒ずくめにオッド・アイ…そしてプラチナブロンドの髪を持つ…男。


「どう、し、て…?どうしてなの!ケイ!!」


叫ぶクリスに駆け寄ろうと、ブラックが一歩を踏み出す。すかさず敵は彼めがけて発砲する。


それを瞬時に避ける。弾は彼の頬をかすめ、じりっと熱さを感じさせた。


敵がためらいもせずクリスに銃を向け直すと、かちりと音を立てた。




その瞬間、「伏せろ!!」と叫んだブラックが、それよりも早くコルトの引き金を引く。


相手の撃った弾は空を切り、そのまま横倒しにどうっと倒れ込む。


ブラックは急いでクリスに駆け寄り、見るな!と彼女を抱え込んだ。




しっかりと頭を抑えてかき抱く。



全くの静寂。



うめき声すら、聞こえなかった。





「殺…した…の?」


震えるクリスの声。


「急所を外すだけの余裕がなかった」


声にならぬ呟き。


「どうして。どうしてあなたが…ケイ…」


おれはケイじゃない。



かろうじてそれだけを言葉にすると、彼はクリスを抱きしめ続けた。






遠くから聞こえてくるサイレンの音。


ここを離れなければ。わかっているさ、そんなことは。


それでもあと少し、まだ…少し。


頭のどこかがしびれたまま。ブラックはただ黙って立ちすくみ、クリスを抱く手をゆるめることはなかった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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