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#51

#51



「兄さん?」


テラスから涼やかな声が聞こえる。ウィリーはほうっとため息をつくと、ゆっくりと笑顔の仮面を被った。


白いインテリアに陽射しが反射し、目を細めるほどの明るさの中に「彼」はいた。ウィリーはテーブルを避けるように近づくと、彼の頬に己のそれを近寄せた。


「今日の気分はどうだい?麗しの弟君」


その大仰な言い回しに、彼はくすくすと笑い出した。


プラチナブロンドの髪がサラサラとウィリーの顔をくすぐる。深い青い双眸がまっすぐに兄を見つめる。彼は立ち上がろうと、すぐそばに置いてあったクラッチを手に取った。


「ああ、いいよ。そのまま座っていなさい…ケイ」


今、お茶を持ってこさせるから。


しかしケイはクラッチに体重を掛けると、少しずつ立ち上がった。右脚をかばうように杖にしがみつき、それでも屈託のない笑顔を見せている。


「最近は調子が良いんだ。勉強もまた始めたし、僕も何か家で兄さんを手伝えることはないだろうかって」


「ケイは何も心配しなくて良いんだよ。僕の大切な弟なんだから。決して悪いようにはしないからさ」


本当の兄弟でもなく、僕はただここに置いてもらっているだけなのに。柔らかい声でケイが呟く。


「僕はおまえのことを、ずっと本当の弟だと思っているよ。後のことは全部僕に任せて」


「母さんもお父様を亡くして伏せってしまっているし…。兄さん、本当にありがとう」



邪気のない微笑みの下でウィリーは毒づいた。



おまえの母親が喪に服して伏せるようなたまか。それまでの正妻を追い出し、実子である僕までもを寄宿舎のあるパブリック・スクールへと追いやったくせに。

ゆくゆくはこの家の爵位だとて、脚の悪い自分の息子に継がせようと奔走していることくらい僕が知らないとでも思っているのか。


血などこれっぽっちもつながっていないケイ・H・パークス。彼は何も知らない。無垢な心と透明な肌。

手放すには惜しいが、こちらとしてはこの上ない上等な手駒だ。ペテン師の偽物を、身ぐるみ剥いで放り出してやるためにはな。


コックニー訛りの薄汚いガキが子爵だと?笑わせるな。あの屈辱は忘れないさ、ケイ・ハミルトン。僕がケイ・H・パークスの兄であることに気づかなかったのは、おまえの最大のミスだな。



ウィリアム・パークスは、抑えても抑えきれぬ残虐な愉悦に、その端正な顔を歪めて笑った。








「おい!ケイ!!何をおっ始める気だよ!?」


不愉快きわまりない電話をもらってからというもの、ケイは黙って屋敷の金庫から書類を引き出し始めた。山のようなそれを、一つ一つ分類してはまとめ上げてゆく。


面も厳しく、唇を噛みしめながら。


「ケイ!!いい加減にしろ!!」


あまりの異様さに耀司が必死に引き留める。それを振りほどくようにケイは作業をし続けた。


「家の権利書…財産管理の、これは銀行の。おい、ケイ!!」


「おれにはもう要らないだろう!?」


耀司が目を見開く。何を言い出すのだ、この期に及んで。


叫んだケイは肩を上下させている。息も荒く、細めた目が痛々しい。


「本物のケイ・ハミルトンが見つかったんだ!!今すぐそっくり返してやる!!」


「今!?今がどれだけ大事な時期か、わかってるんだろうな!?」


耀司も負けじと言い返す。どれだけ待ったというのか。AOKIが不正をしていた証拠として、当時の設計書も何もかも探し出したというのに。これで証言者を見つけ出せば訴訟まで持って行ける。あと一歩で、もう少しでハミルトン夫人のかたきを合法的に討てるというのに!!


何かに取り憑かれたようにケイは手を動かし続ける。耀司は思わず、その細い手首を無理やり握りしめた。ぐいと力を込めてこちらを向かせる。


「おまえが言ったんだ。すべて終わったら爵位は正当な後継者に返すと。今はまだ何も終わっちゃいない!!」


うつろなオッド・アイが耀司を捉える。


「落ち着いてよく考えろ、ケイ。電話の相手は誰だ?よりによって、あのウィリアム・パークスなんだろう!?」


裏を取って、情報を集めよう。まともな状況判断もできなくなっちまったのかよ!?


耀司の声に、ケイは嗚咽を漏らした。彼の身体から力が抜けてゆく。耀司はとっさに腕を持ち、彼を支える。…こいつがこれだけ、取り乱すなんて…




「…教えて…くれ…耀司…。お…れは…誰…なん…だ?…」


「ケイ、おまえ」


ケイ・ハミルトンはおれの名じゃない。おれは子爵なんぞではなく、もちろんハミルトン夫人の息子でもないんだろう?

じゃあ、レジィヨン・エトランジェールで恐れられたオッド・アイの悪魔がおれか?

それとも貧民窟で客を取らされていたのが本物のおれなのか?

その前の記憶は?セラピストの元で思い出した家族とやらは、ねつ造された記憶か!?殺された母も、おれの目をのぞき込んだ父も、おれの頭が勝手に作り出した願望か?


おれの敵は、青木善治郎なんかじゃなかったのか!?




「ケイ!落ち着け!!」


「おれは誰だ?何を信じれば良いんだ!?わかっているのは、ここにいることが間違いってことだけだ!!」


悲痛な叫び。ケイはそのまま崩れ落ちた。




耀司は思わず己の記憶を遡っていた。


耀司自身、親の記憶などない。在英日本人の両親は若く、育てきれないと施設に送られたらしい。しかし彼は覚えている。施設での差別に満ちた扱いとガキどもの小競り合い。さっさとそこを逃げ出して、あとはその日暮らしを続けていた。絵を描くことが好きでも画材は買えない。

たまたまかっぱらった観光客のカメラに夢中になった。商業写真なら何でも撮るという街の写真屋に潜り込み、下働きをさせられた。

それでも好きなことをして食っていけるのなら良い。耀司にとっては貧しくとも自由な日々。


あの日…オッド・アイの少年に会った。運命はそこからゆっくりと変わっていった。


記憶は連綿と続いている。当然すべての日々を覚えている訳じゃない。それでもなお、俺はいつでも「山下耀司」だ。着せされた服に残っていたyojiの書き込みと、両親が施設の書類に残した氏名。


それを疑うことなどしたことがなかった。疑ったら立ってなどいられないじゃないか。



…ケイは常に、名を失った状態でいたのか…



ブラックもケイも、彼固有の名前じゃない。ただの記号、利便上つけられた符号。



な…まえ…。



耀司もまた、底のない空間に放り出された感覚にぞくっとした。


それでも気丈に彼は息を整えると、ケイに向かって言った。


「おまえは、ケイ・ハミルトンだ。今は自分を信じろ。おまえを痛めつけ恨んでいるヤツの持ち込んだ情報に踊らされるな」


ケイのまぶたは堅くつむられ、今は青い光も漆黒の闇も見えぬ。それでも荒い息は少しずつ落ち着いてきたかのように思えた。


「何か持ってくるよ、飲んでなきゃやってられねえもんな。ちょっと待ってろよ!」




キッチンへ向かおうとした耀司の携帯が不意に震えた。


小声で電話の相手と話し込んでいた彼が、呆然と呟く。…嘘だろう?よりによって今?…と。


その異変に気配を感じ、ようやく目を開けたケイが顔を上げる。


「耀…司?」


顔をこわばらせた耀司がケイを見下ろす。


「ゴシップ誌にすっぱ抜かれたそうだ。おまえと…クリスティアーナ・オルブライト=青木嬢の婚約のことが…」


内々で、作戦遂行のためだけにと交わした嘘偽りの口約束のはずだ。誰がいったい…。




AOKIの引き起こした事故の被害者たち。彼らの顔が脳裏をかすめ、ケイは頭を抱えて床にうずくまった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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