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#50

#50



重厚な造りの屋敷の窓からは、未だ煌々と灯りがもれている。せわしなく出入りする人々と、鳴り続ける電話。そして、その片隅には場違いなほど古めかしいウィッグを手入れする、クイーンズ・カウンセルという名称の勅撰弁護士がいた。


書類を抱えた一人の若いジュニア・バリスター(普通弁護士)が通りかかる。


年配の上司は、そっと彼に声を掛けた。


「このたびは大変だったね」


その労りの含まれた声に、若者は微笑みつつ視線を向けた


「レドモンド先生。父の葬儀の際には、大変お世話になりました。きちんとしたお礼も申し上げることができず…」


いやいやいや。レドモンドは彼の肩に手を置いた。


「君は若いのに大変優秀な弁護士であるし、この事務所にはなくてはならない存在だ。しかしお父上が亡くなられたとなると、伯爵家の後継やら法廷弁護士として開業準備やら忙しくなるのではあるまいか?パークス君」


パークスと呼ばれた彼の肌は、陶器のように透きとおり…爬虫類を思わせた。冷ややかな瞳は、だが柔和な微笑みに隠されてしまっている。



そこにいたのは、あのウィリアム・パークスであった。



「私には二歳違いの弟もおりますし、義母もいます。まず後継問題が無事片付くまでは、だいぶかかりそうです」


ふとこぼれる愚痴めいた苦笑い。レドモンドも内情を知らぬ訳ではない。「跡継ぎでこじれたら、腕の立つ事務弁護士を紹介してやる」慣れたもので冗談めかして言い放つ。


パークスは笑顔で受け答えしつつも、内心は苦い思いで一杯であった。



放蕩な父親の急死は、ウィリアムにとっても誤算だった。そして何より頭を痛めているのは、あまたの愛人の中からまんまと正妻の座をせしめたアマンダ・パークスと…その連れ子であるケイ・H・パークス…。


長子であるウィリアムを差し置くことはないとはいえ、生母を追い出し、長年居座り続ける彼女らに一銭たりとも財産分与をするつもりなどなかった。


…そろそろ僕も、動かねばならないな…


ウィリアムは胸の内で、そう独りごちた。








「ほい!これが善治郎の金庫に後生大事にしまい込まれてた設計書。こっちが企画書。だいぶ古いもんらしいが、本当にこれで良かったのか?」


ケイはハミルトンの屋敷で、いささか乱暴にプリントアウトしたデータを放り投げた。


大事に扱えよ!耀司が悲鳴を上げる。


むすっとした顔つきのケイは、もうすでに口をとがらせていた。輝くオッド・アイは耀司を恨めしげに睨んでいる。


「よくできました~。破壊工作員のくせに、後方支援の情報収集もお得意とは。便利だねえ」


「ふざけんな!!元はと言えば、てめえが変な疑いを掛けられて動きが取れねえのが悪いんだろうが!?」


子爵様は口が悪いんだから…。耀司がぼやく。


「ったく、後味が悪くて仕方ねえ」


何の疑いもなく眠り続けるクリスの寝顔。その穏やかな表情が目について離れない。ケイは頭を振って、必死にその残像を消しにかかった。


その様子を眺めていた耀司が、真剣なまなざしでケイに近寄る。


「おまえさ、まさかと思うけど確認させろや。クリス嬢に本気で…」


彼が言い終わらぬうちに、ケイは近くのフォークを握りしめた。もちろんその尖った先は耀司の頸元へ…だ。


「冗談でも言っていいことと悪いことがある。謝れ」


低くうなるような声。しかし耀司は動じない。


「おまえだから心配してんだろ?彼女を殺るにしても殺らないにしても、情が移れば下手すりゃ命取りだ。わかってんだろうな!?」


その言葉に、ケイは何も言い返さなかった。言い返せなかったのかも知れぬ。唇を噛みしめる。


「弱みを作るな。そこにつけ入れられたら終わりだ。まだ敵が見えない。いざとなればクリスは捨て駒として…」


耀司は思わず口をつぐんだ。ケイの瞳は辛さを通り越して、表情をなくしていた。




どこまで行けばいいのだろう、俺たちは。




耀司はやりきれなさに、椅子へと脚を投げ出して座り、缶ビールのプルトップを開けた。







不意に鳴り響く、レトロな電話呼び出し音にケイは弾かれたように立ち上がった。


今の時代、個人の携帯ではなく屋敷の固定電話に誰が…?耀司と思わず目を合わせてから、おずおずと受話器を上げる。耀司は手早く録音ボタンを押していた。


「ハロー」


快活にすら聞こえる声。聞き覚えがある、確かにどこかで。しかしさすがのケイであっても、この時点で電話の主を当てることはできなかった。


「おや、もうお忘れかな。そうだね、あれから十年近く経っているもの」


十年…。十五、六と言えばパブリック・スクールでの同級生か。いや。ケイの頭がフル回転する。一見さわやかげに見えて、この粘着質な物言いは。


受話器の向こうでくすくすと笑い声を上げるのは、間違いなくあの男だ。ケイはぎゅっと右手に力を入れる。なぜ今頃…今更こいつが。



「ウィリアム・パークス…」



忘れたくとも忘れ得ぬ名。敗北感と無力さをこれでもかと食らった相手。そしてまた、心友サイラスの勇気ある告発により、退学こそ免れたものの平凡な一学生として、追われるようにパブリック・スクールを後にしたはずの…男。


「覚えていてくれて光栄です、ロード・ハミルトン卿。君に連絡したのは他でもない。今日は弁護士のパークスとしてではなく、伯爵位を賜るパークス家の当主として是が非でも子爵殿とご相談せねばならないお話がありましてね」


そう言うと、ウィリーは再び笑った。まるであの悲惨な過去はなかったかのような朗らかさで。パークスの父親は最近亡くなったらしいぞ、耀司が聞こえぬように唇を動かす。ケイは目を見開いた。


では、あれだけの事件を起こしておきながらもウィリーは何の咎めも受けず、伯爵家を継ぐというのか。弁護士と言っていたな。職にも就けたということは上級学校もそのまま受け入れたのだな。


ウィリアム・パークスがどれほど異常性格者であっても、黙って飲み込んでしまうのが貴族階級なのか。


ケイは何と言い返して良いかわからず、身体を震わせるばかりだった。それでも気丈に息を大きく吸い込むと、ご用件は、とだけ呟いた。




「非常にデリケートで大きな問題なのでね。このような電話で話せることじゃない。勝手で申し訳ないが、こちらで話し合いの場を設けさせていただいてもよろしいでしょうか、子爵殿」


ことさら爵位を強調して笑いをこぼす。いちいち癪に障るヤツだぜ。とても落ち着いてウィリーに会えるとは思えない。


「…会う…必要が…あるので…すか…」


精一杯、言葉をつなぐ。怒りは昨日のことのように蘇ってくるというのに。


「会っていただかないと。というよりも、君の明日からの生活に直結する大事な問題だからね」


「どういう、意味だ?」


ペルソナが外れかかる。こいつは知っている。ケイ・ハミルトン卿が、気弱で人畜無害な大人しい貴族でなどないことを。


「君からすべてを奪い返し、身ぐるみ剥いで元の世界に戻して差し上げようかと言っているんだ」


ケイの動揺は収まらない。こいつが掴んでいるものは、どれだ?どのカードだ?この大事なときに…邪魔をされるわけにはいかないんだ!




耀司を睨む。彼とて何の情報も掴んでいるわけではなかった。そもそもウィリアム・パークスとは面識がない。パブリ時代にあれだけの事件を起こしているのだ。確かにケイを恨んでいてもおかしくはない。


奴らをすべて抑えておくべきだったか。後悔をしても今さら遅い。


電話の向こうでは、ウィリーの耳障りな笑い声が大きくなってゆく。さもおかしそうに。生殺与奪の権は、こちらが握っているのだぞという脅しなのか。


ウィリアムの声は続く。


「いつも偉そうにすましていた君の動揺ぶりが伝わってきて楽しいよ。では一つだけヒントをやろう。君が何としても僕に会わなくてはならないことがわかると思うよ」


何から来る気だ…。もし計画の邪魔をするなら、ただじゃ置かない。


おまえは貴族社会では力を持っているのだろう。しかしそれも、銃弾の前では無力だということを、教えてやろう。


おれもあの頃のおれじゃない。もうためらわない。振り下ろすべきナイフは、必ずとどめを刺してやる。



ケイの瞳がゆっくり歪められる。浮かぶ色は、限りなく暗い陰。



口元に笑みすら戻りつつあったケイに、ウィリーが放った言葉は…。






「僕に異母弟がいることは伝えてなかったかな。僕とは二つ違い、そう…君の一歳年下になるのだね」


「異母弟…?」


意外な台詞にケイがとまどう。ウィリアム・パークスは舌なめずりが見えるかのような、ねっとりした声でこう囁いた。


「彼の名前は、ケイ・H・パークス。母親は後妻でね。Hが何を意味するか、わかるかい?それはもちろん…彼の旧姓である『ハミルトン』…」





ケイ・H・パークス…ケイ・ハミルトン・パークス!?





ケイの手から、受話器が滑り落ちた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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