#46
#46
リゼに位置する洒落たパブで、カークランドとミミは男と落ち合った。歴史は古いが数年前にリニューアルしたというその店は、落ち着いたジャズが流れる中、着飾った男女が思い思いに談笑していた。
その片隅で額をぶつけ合わんばかりにと、顔を寄せ合う。
男はアンディと名乗った。
細身の体躯ではあるが柔和な顔立ちの青年と言ったところか。意外にもどこからもきな臭さは感じ取れなかった。
「今は個人で会社を興しまして」
不動産業を営むという彼は、営業をも一人でこなすのだろう、流暢な言葉を続けた。
「異国で事業をとなると、さぞご苦労されたのではないですか」
静かにカークランドが問う。この国だけとは限らぬ話だが、最近は移民に対しての締め付けさえも厳しくなっているのがご時世だ。風当たりも強かろう。
「ええまあ、その辺りは」
はぐらかし方さえ如才ない。カークランドは知らぬうちに目を細めた。
「時間があまりない。せかして申し訳ないがエマーソンの話を…」
警部がその名を口にした途端、アンディは声をさらに落とした。
「今では私が部隊にいたことを知る者は殆どいません。くれぐれもこちらから大尉の情報が伝わったことが漏れることのないように」
「もちろん。この英国一の警部殿が保証してくださいますわ。ねえ、ミスター?」
こんな場面でなければ、ウィスパーボイスのミミはさぞかし艶っぽいことだろうな。
柄にもなくカークランドは、視線をわずかに彼女へと移した。
「実は私も特殊工作部隊に所属しておりました」
さらりと口にするアンディの言葉に、思わず彼は目を見開いた。最初にアタリをつけたときには、直接は知らないと言っていたはずだが。
「嘘を言った訳じゃありません。エマーソン大尉の元で作戦に従事していたのではないのですから」
どういう、ことだ。うめくように警部が呟く。ただでさえ実態の掴め得ぬレジィヨン・エトランジェール(フランス外人部隊)。
そこにいたのは英国人であるデリック=エマーソン。
こんなまどろっこしい捜査などやっていられるか。とっとと締め上げてしまいたい。あくまでも私は刑事事件を扱う職務のはずだ。EUも軍も情報部も、すべて私の管轄外だと切り捨ててしまえばいい。
…SISには、この案件は持って行かぬよ…
上層部の一言で私までこんな茶番につきあわされるとはな。よくアーネストが私を疫病神と罵る気持ちが、少しは理解できる。
そうだ、ハミルトン卿こそが私にとっての疫病神、か。
ばかばかしい。警部らしからぬ弱気な思い。カークランドは苦笑した。彼の足跡を追ってここまで来た。ただの窃盗犯だったはずだ。疑問は疑惑へ変わり、今では確信へと移りつつある。しかし、絡み合った糸は幾重にももつれ合い、混沌の中へと彼を落とし込んでゆく。
苦く変わったワインで唇を湿らせると、彼は再びアンディに向き合った。
「特殊工作部隊は、私が従軍していた当時は一班と二班に分かれていました。再編統合を繰り返していますから、今はどうなっているか知りません」
たった三、四年前のことなのに?ミミが問う。しらふで言っているとしたらこの女も相当なタマだな。
「おわかりかと思いますが、存在を知られてしまえば特殊工作部隊の意味がありませんからね。私がいたのは一班、そしてエマーソン大尉が率いていたのは二班。同じ特工でさえ、二班の行動は謎でした」
表向きの作戦は一班とやらを動かしておき、本来の目的である極秘任務を二班に命じていたわけか。特工の存在はすぐに知られることは承知の上で、さらにその奥で何が行われているかはわからぬよう。
言い様のしれぬ不快感がカークランドを包んでいた。
ある意味、警察は絶対的な正義を名乗ることが可能だ。法の名の下に。
しかし軍の行動原理はそうではない。国家の安全保障および国益。
だだっ広いこの理念の傘の下では、すべての行動は正当化される。
たとえそれが、どれほど非人道的であっても。
警察だけがクリーンであると言い張るつもりは毛頭ない。それでも、カークランドはヤードを選んだ。そういう男だったということだ。
そして、ここにいるアンディも…ミミでさえも、別世界の人間だということだけは確かだ。
私にはわからんな。理解したいとも思わん。だが、子爵は別だ。彼を追えば何かが出てくる。
カークランドにとっては、謎を謎のままにしておきたくはなかった。あの気弱で温厚な仮面を剥ぐことで、闇に葬られかけているドロドロとした膿をすべて絞り出してしまいたかった。
誰がために?
…社会正義のために…
はん、とうとう俺も焼きが回ったか。何を今更、青臭いことを。
カークランド警部の葛藤を知ってか知らずか、アンディはうまそうにグラスを空けた。
「エマーソンが関わっていたとされる作戦は?かけらでもいいわ、何か聞いていないの?」
くだけた口調でミミが声をかける。それも計算のうちなのだろう。
この協力員は我々が見つけておいたパイプだというのに。いい度胸をしているな。
カークランドほどの男が後手に回る。フィールドが違えば動きも制限される。苛立ちは募った。
これはあくまでも噂ですが、アンディは慎重に前置きすると話し出した。
「軍事衛星の設計に関わる研究所から情報を奪取する作戦があった、と聞いたことがあります。我々一班は、中東情勢や対某国の情報収集が主だった任務でしたが、彼らはかなり手荒な方法で直接ターゲットの暗殺や主要施設の爆破等を行っていました」
暗殺、そして爆破。カークランドは眉をひそめた。
「軍事衛星の設計と言ったわね。それがどこの研究所を指しているかとか…」
「マダム、悪いな。私の質問の方が先だ」
放っておけばこのまま、ミミのペースで終わってしまう。強引に割り込んだ警部は、彼女の肩をぐいと引き寄せると「いい加減にしろ」とドスを利かせた。冷ややかな彼女の視線。それでもさすがに口をつぐむ。
「私が知りたいのは作戦の内容ではない。彼-エマーソンの部下にどんな人物がいたか。知っている限りのことは話してもらおうか」
アンディの目が泳ぐ。どちらについた方が得をするのか、おそらく頭の中では素早い計算をはじいている。黙って彼の言葉を待つ。エマーソン元大尉の情報は上層部が喜ぶことだろう。
だが、私が知りたいのはそんなことではない。
「彼の元にいた外国人の中で、英国人以外は?」
できるだけ先入観や誘導尋問にならぬよう問いかける。情報屋は得てして、報酬が欲しいがために平気でこちらに迎合するからだ。
アンディはしばし考え込み、唇を噛んだ。悪いようにはしない、警部はさりげなく付け加える。
「…東洋人、らしき人間がいたと聞いています。おそらくは日本人ではないかと」
なぜ特定できる?コリアもチャイニーズも見た目はそう変わらない。
鋭い追求にアンディは小さくため息をついた。
「手先が器用な、爆破物やコンピュータ関係の作戦に欠かせぬ男がいたようです。浅黒く、はしっこい。しかし二年いたかどうか」
「会ったことがある。そう思っていいのだな?」
情報を小出しにするつもりか。私相手にいい根性だ。
カークランドが睨め付けると相手も然る者、ふっと笑みを浮かべた。
「顔は覚えています。それでどうでしょうか」
警部は、わざと画質の悪い写真数枚を一つのカードにまとめたものを、素早く彼に渡した。暗がりでさっと目を通したアンディが、それをすっと戻す。人前でじっくりと眺めるような真似はしない。
温和そうな一般人と見せかけてやはりな。
「右から二番目、一番下の男が似ていました」
「名前は?」
そこまでは…。言いよどんだ彼にそっと封筒を差し出す。顔色一つ変えずにアンディは受け取った。
「確か…ワイと呼ばれていました」
ワイ、Yか。短絡過ぎるな。フェイクかトラップか。顔写真は一致した。むろん、山下耀司と。
「他には?」
写真にはいませんとだけ答え、アンディはさらに声をひそめて見せた。
「凄腕のスナイパーの噂はちょくちょく耳にはしていました」
無関心を装う。決して悟られまいと。物的証拠は何もない。こいつらは心理戦の名手だ。カークランドが欲しい情報を、こちらの顔色一つでねつ造することなど造作ない。
「ほう、初耳だな。それがどう関係あるというのだ」
ことさら冷たくあしらう。それよりも先ほどのYの話を…。
言いかけた警部にアンディは囁く。
「本当に聞きたくはないのですか?オッド・アイの悪魔の噂を」
「オッド・アイ!?瞳の色が違うというの?」
口を挟もうとするミミをぎろりとにらみつけて黙らせる。こちらにはこちらのやり方も、欲しい情報もあるのだ。情報部ばかりに主導権を取られてたまるものか。
視線をわずかにアンディから離した次の瞬間、彼は何気なくそっと呟いた。
「片方は蒼く澄み切り、もう一方は…漆黒の闇」
…ほう。耐えきれず、カークランドは目を閉じた。
(つづく)
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