#45
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艶やかと言えば聞こえが良い。
実際はあの甲高い声からやっと解放されたカークランドは、宿泊先のホテルで頭を抱え込んだ。目頭を押さえ、首筋を揉む。これでは上層部の年寄りどもと大して変わらない。
…私はいつから経済学部の学生になったというのだ…
あの後DGSE本部へと連れてゆかれ、生意気な口調のミミから、ひたすらEU諸国を取り巻く昨今の経済情勢について講義を聞かされ続けた。
彼女曰く、ハイブリッド・カーの開発は急務であり、世界的な技術競争に出遅れるわけには行かないと。それらはEUとしてのプライドを賭けたというよりも、この逼迫した経済状態で唯一将来への展望が開ける分野と考えられるからだというのだ。
大がかりな市場と、雇用の場の確保。
「それを邪魔しているのは、はっきり言わせていただくとミスターのお国ではないの?」
私は別に英国大使でも貿易産業省の大臣でもない!危うく怒鳴りつけるところだった。
一介の警察官僚であり、デリック・エマーソンが犯罪に荷担しているのではないかという調査のために動いている。ましてや今回の訪仏の目的は、ハミルトン卿とエマーソンとの線を結ぶこと。
最初から何度もミミには告げてある。
しかし彼女は、変わらずに経済に関するご講義を止めようとはしなかった。
「フランスでは、Automobile Haut de Gamme、LUTB、Mov'eo、MTA、Vehicule du Futurらが、日本での共同ミッションを行って積極的に技術交流を図ろうとしている。しかし、老舗の大手自動車メーカーの開発が順調に進んでいるとは決して言えないわ。それと全く別の動きで、意外な自動車メーカーがこの分野で台頭しようとしている」
「意外な自動車メーカー?」
実際には、会社としては歴史もあるが開発に資金をつぎ込めるとは思えぬ企業に、新しい経営陣が乗り込んでいったというもの。
ふん、どこかで聞いたような話だな。お家事情はどこの国でも同じということか。
カークランドの思いを見透かすかのように、ミミは言葉をつないだ。
「そう、まるで英国企業のAOKIのように…ね」
「含みのある言い方だな。文句があるのならはっきり言え」
乱暴とも取れるいつもの警部の口調に、ミミは眉をひそめた。
「ではお訊きしますわ。AOKI創業の経緯は?あまり褒められたものではないのではなくて?」
そんなもの…改めて調査を行わずとも新聞はおろか、ゴシップ誌にまで懇切丁寧に説明してある。
英国でそれこそ老舗と呼ばれた自動車メーカーの「configure」。斜陽と言われ、いつ倒産してもおかしくないだろうとささやかれ始めた矢先、コンフィギュアは新型エンジンの開発に乗り出すと大々的に発表した。
それが次世代リチウム蓄電池を使用したハイブリッド・カーに搭載されるとあって、誰もがそのニュースに飛びついた。
会社の株価は上がり続け、コンフィギュアは通常では考えられぬほどのテンポでコンセプト・カーをモーターショーに出展し、経営陣は早急にも生産ラインに乗せるとまで言い切った。
けれどその直後、株は知らぬ間に外国資本によって買い占められ、それはコンフィギュアで平の取締役に甘んじていた青木善治郎の指示によるものとすっぱ抜かれた。
対応は後手後手に回り、コンフィギュアのすべての権限は青木へと譲渡された。世界にも通用するブランド名である「configure」の名だけは残して欲しいとの願いも虚しく、新社長の座に納まった青木善治郎は社名を「AOKI」へと変更した。
大々的なCIが行われ、コンフィギュア色が一掃されてしまったのだ。
「英国人のAOKIへの反発も大きかったと聞きます。それでも受け入れざるを得なかったのはなぜ?」
今度は口頭試問か。いささかウンザリ気味にカークランドは口を開く。
「それほど『flora』の低価格と燃費の良さに魅力があったからだ。大衆車としての需要は大きかった。ハイブリッド・カーと言えばどうしても価格設定が高めになる。しかしAOKIはそれをぎりぎりまでコストダウンすることで、低・中所得者層にも手の届くものとした。安全性はともかく、な」
「安全性…ねえ」
いちいち癇に障るヤツだ。今さらなぜ私が、わざわざフランスにまで来てAOKIの社史を語らねばならん。
「それと同じことが、ここフランスでも起きようとしている。イヴェールのトップが総入れ替えになったことはご存じ?」
「!?あの大手企業がか!?」
それは警部にとっても初耳だった。イヴェールはそれこそフランスを代表とする自動車メーカーではないか。
「社長こそ、それまでの元会長派であるバルドー氏ではあるけれど」
そこでいったん言葉を切ると、ミミは複雑そうな視線を向けた。
「実質的な権限を持つのは、まだ三十代半ばの英国人よ」
…どういうことだ?イギリスでのハイブリッド・カー競争でトップの座を守っているのが日本人である青木善治郎率いるAOKIであり、フランスのそれが英国国籍を持つ人物だというのか。
カークランドは知らぬうちに、顎に手をやり考え込んだ。
「クインシー・キャリック=アンダーソン。グランゼコール(フランス独自の高等専門教育機関)の理工系難関有名校として名高い『エコール・サントラル・パリ』を卒業後、イヴェールへ入った超エリート」
「閉鎖的で知られるフランス企業やグランデが、よく英国人を受け入れたな」
多分に仕返すつもりで皮肉を言うカークランドに、優秀な人材はうまく活用するべきよ、とミミは澄まして言い切った。
「しかし、そのエリートもイヴェールを内部から食い荒らす狼だったという訳か。あいにくだな」
「そうね、イギリスのコンフィギュアが日本人に取って喰われたようにね」
顎を上げ、つんとすました表情でカークランドを見下す。私の部下なら女だとて容赦はしないのだが。冷ややかな視線でにらみ返す。
「いい加減、私の仕事をさせてはもらえまいか」
しびれを切らして口を挟む。ミミは声をひそめた。
「確かにキャリック=アンダーソンが優秀なのは認めるわ。けれど、彼一人で開発が進められるはずもない。どの企業もしのぎを削って莫大な研究費を投じているのに、なぜイヴェールだけが今までの実績もないハイブリッド・カー競争に参入し、先んずることができたのかしらね」
俺に聞いてわかるわけがないだろうが!とうとう小声でカークランドはぶち切れた。
これ以上この女には付き合ってはいられない。私は私のルートで、エマーソンとハミルトンの調査を行う。
席を立たんばかりの勢いの警部に、ミミは微笑みかけた。本当のところは、片方だけ口元をゆがめ。
「もし…エマーソンがAOKIの技術を何らかの方法で入手しているとしたら?」
「な…んだ…と…!?」
カークランドの動きが止まった。何を言い出すつもりだ。エマーソンはフランス外人部隊に属した元フランス将校であり、産業スパイとはずいぶん畑違いではないか。
大きく息を吐き、ミミは目を細めた。何もわかってないのね、と。
「なぜこの問題に、あたくしのようなDGSEが専属で調査を行っていると思うのよ!」
続く言葉は、ダリル・カークランドほどの者をも凍り付かせるものだった。
「ハイブリッド・カーに搭載される高品質次世代リチウム電池技術は、そのまま軍用にいくらでも応用が利く。だからこそ、彼の問題はデリケートだと言われている。エマーソンの真意がどこにあるか、あたくしたちには掴みきれない。あなたはSISではなくヤードの人間でしかない。DGSEがここまで手の内を明かしたのよ?クインシー・キャリック=アンダーソンでも、そのエマーソン近くをうろつく英国人でもいい。あたくしたちにも有益な情報をいただけるはずよね」
この瞳は…。ミミは、ミュリエル・ラファージュは、やはりただの小娘ではないということか。
「あいにくだな。私は祖国を売るつもりはないのでね。貴重な情報をありがとうございました。捜査にご協力いただき深く感謝いたします」
ふざけないで!とっさに手を掴もうとしたミミの腕を、逆にカークランドは引き寄せた。
ぐいと腰に手を当て、顔を近づける。ミミが目を見開く。
「安心しろ。今聞いた言葉はSISには黙っておいてやる」
「この先、あたくしの協力なしに在仏時代のエマーソンなど探れやしないわ!!あなたの追っている容疑者だけでいい。ヒントを頂戴!!」
意志の強い光を持つ瞳。蒼く聡明そうなその目に、思いがこめられる。カークランドの冷静で冷酷な灰色とは対照的な。
「それだけ…あんたたちも手詰まりという訳か」
ほんの少し浮かぶ、悔しげな陰。そういうこと…か。
「では交換条件だ。私がフランスにいる間、調査したことは共有しよう。だが、帰国した時点であんたとの連絡は絶つ。それで、どうだ?」
わずかな逡巡。頭の中では全方向へと計算が巡らされていることだろう。
「ウィ、ムッシュウ。商談成立ね」
「あまり嬉しくはない商談だがな」
不意に手を離すと、カークランドは踵を返した。一度もミミを振り返ることなく。
経済問題も軍関係も、はっきりと私の管轄をはるかに逸脱している。
…デリック・エマーソンの周辺を探るように…
新たに極秘裡に出されたカークランドへの特別命令は、このことを指していたのか。そしておそらく、SISは表だって動くことができないのだろう。
有能で知られる彼も、思った以上の事の大きさに微かに怯えが芽生える。
…バカな。この私が?
ホテルのソファに沈み込み、カークランドはグレーの髪をかき上げた。
(つづく)
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