#42
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深紅のバラを数本。綺麗に包装された花束を持つ姿は、ダリル・カークランド警部のふだんを知る者にとっては異様に映ったかも知れぬ。
しかし、白く光る病院の廊下ですれ違う若い看護師たちは、彼の端正な表情とバラとの対比にため息をついた。
カークランドは、ためらいもせずにある病室へと向かう。
一瞬己のこぶしを作ろうと荷物を置きかけたが、両手が塞がっているのはここの患者のせいかと思うと、やや乱暴に警部は右足でスライドドアを黙って開けた。
「ちょっとお、ノックくらいしなさいよ!行儀悪いったらありゃしない」
嬌声とも言える明るい声を無視して、カークランドは花束をそばの女性スタッフへと手渡した。
「あんたねえ!勘違いするんじゃないわよ!?そのバラはわざわざダルがアタシへ持ってきてくれたんですからね!?何で関係ないあんたが顔真っ赤にすんのよ!!」
一転しての罵声に、スタッフはすみませんと、あわててその花を生けるためにすぐに廊下へと出た。
彼女の背中を見送ってから、カークランドはベッドに向き直った。
「それだけ大声が出せるのなら、退院も間近だな。アーネスト」
にこりともせずに冷ややかに見下ろす。それにアニーはわざと顔をしかめて見せた。
「…アニーって呼んでよ。もう、照れ屋なんだから」
警部の眉がわずかにひそめられる。アニーが下からのぞき込むように艶っぽい視線を向けた。
「痛いに決まってるじゃないの!銃で撃たれたのよ?そんなにすぐ治るもんですか」
警部は少しばかり息を吐くと、すっと頭を下げた。
「すまなかった、アーネスト。完全に私の失態だ」
その言葉に、アニーは逆にどぎまぎした。
「な、何よ。珍しく素直じゃないの。なんか裏があるんじゃないかって勘ぐっちゃいそうだわ」
口とは裏腹に、目を泳がせてはにかむ。カークランドはそれをも必死に耐えた。彼が狙撃されたのは己のせいであることには違いない。
「それより、買ってきてくれたんでしょうね!?」
照れてぶっきらぼうに言うアニーに、警部は黙って白い箱を差し出した。小ぶりのそれには美しい色彩のリボンがあしらわれていた。
「注文通りの品だ」
「もちろん!ちゃんとダルが一人で、パティスリー・ヴァレリーまで行ったのよね!?」
アニーはしれっと、ロンドンにある高級洋菓子店の名を挙げた。警部の顔がさらに引きつる。
「大の男がケーキ屋になんぞ一人で行けるか。部下の女性職員に頼んだに決まっているだろうが」
聞くやいなや、ぶんむくれたのはもちろんアニーだ。
「何よ!!アンタがあの気取った店で、しおらしく『ガトー・ショコラと、ベリー・タルトを』って言ったかと思えばこそ、この辛い療養生活も耐えられるってもんなのに!!」
カークランドはつかつかと内線に手を掛けると、「ドクターをすぐ呼んでくれ。ここの患者は一刻も早く退院したいそうだ」と冷たく言い放った。
アニーがあわてて受話器を引ったくると、退院なんかできっこないでしょ!!と叫ぶ。
二人はしばらくにらみ合った。
ほうっとため息をついて、警部は下を向いた。
「右大腿部の銃創、そう簡単には治らないだろう。しばらく生活も不自由だな。痛むか?」
全く警戒していなかったのが悔やまれてならなかった。ケガで済んでよかった。もし本当にアニーを失うようなことがあれば…。
「外したのよ、わざとね」
その言葉に警部がわずかに顔を上げる。どういう意味だ?
「犯人はね、本当に無防備だったアタシをどこからか狙った。全然気配なんて見せなかったのよ。これが間近に殺気を感じていたのなら、いくらアタシだって撃たれるつもりなんかこれっぽっちもないわ。そんじょそこいらの悪ガキじゃあるまいし。でもね」
「おまえほどの人間ですら、気配も感じなかった…というわけか」
「好きなところを撃ち抜けたはずよ。頭でも心臓でも」
凄惨な笑み。よほど悔しかったに違いない。
「なのにヤツは、わざわざアタシの太腿を狙った。わかるでしょ?生命を取る気はない。腕なら不自由はしても調査に対して影響はない。でもダメージを与えつつケガで済むような場所なら、アタシの動き自体を封じ込めることができる。そして無言のメッセージをも。これは警告だ、とね」
「現場に残された痕跡からわかったことは、使われた銃はレミントン製のM700。世界中の軍や警察でよく使用されるスナイパーライフルだ」
M700…アニーの目が細くなる。それって。
「そうだ。クリスティアーナが襲われた際に、黒ずくめの男が使っていた銃もM700だったな」
「ライフルマークは調べたんでしょう?」
銃弾は銃器から発射されるとき、銃身の内側に刻まれた螺旋状の溝によってライフルマーク(旋条痕)と呼ばれる傷が付く。この傷は銃器ごとに個別の特長を残しており、この旋条痕を確認することで発射された銃器を特定できることが多い。
ただその精度は高いとは言えず、未だ議論の対象とはなっている。
しかし、今回の場合は非常に短期間に二度発射された銃弾の識別であり、特徴が重なれば同一銃器からの発射と見ていいだろう。
「ああ調べたさ。そううまく話は運ばない。旋条痕は一致しなかった。使われた銃は広く市場に出回っているものであり、特定は不可能だ」
「はん!ブロのスナイパーなら、予備くらいいくらでも持ってるでしょうよ!」
吐き捨てるように言い放つアニーに、カークランドは冷静な目を向けた。
「問題はそこだ。おまえも今、自然にこう言ったな?…プロのスナイパーなら…と」
何を言いたいのだとばかりに、アニーは警部を睨め付けた。あれだけ正確に己の身体を撃ち抜かれたのだ。疑うべき点などないだろうに。
「よく落ち着いて考えろ、アーネスト。クリスティアーナを助けたのはブラックだ。これはほぼ間違いない。ヤツは…世間的には美術品専門の窃盗犯ではなかったのか?」
「!?」
アニーの顔色が変わる。瞬時に悟ったのだろう、警部の思惑が。
「なぜ窃盗犯がプロのスナイパーである必要がある?たとえそれが、我々の考えるように美術品ではなく企業の重要機密が狙いであったとしても同じだろう」
カークランドは淡々と言葉をつなげた。冷静に、冷酷に。
ブラックは窃盗犯であると同時に、なぜか腕の立つ狙撃手でもある。
そして今回、警告のためにアニーを襲ったのも、同じライフルを巧みに操るブロのスナイパー。
だか、おまえがかぎ回っていたのはブラック本人ではない。
あくまでも、山下耀司…そしてハミルトン卿。
山下耀司が接触していたと思われる人物は、誰だ?
「…デリック・エマーソン。元レジィヨン・エトランジェール将校…フランス外人部隊!?」
「失われていたミッシング・リングが見つかったな」
私は明日にでもフランスに渡る。自分のこの手で今度こそはっきりとした証拠を探し出してみせるさ。
カークランドの言葉に、目を見開いたのはアニーだった。
「ちょっと待ちなさいよ。どうしてたかがAOKIのごたごたと、子爵様のお家騒動にアンタがそれだけ…」
「エマーソンが関わっているからだ。事はおまえが、いや我々が思っているほど単純でも小さいものでもない」
英仏の二重スパイ疑惑……。
足音を立てて去りゆくカークランドの背中を、アニーは複雑な表情で見送っていた。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009 keikitagawa All Rights Reserved