#4
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「君に言い寄る男がいないなんて、見る目がないな。まあそのおかげで、僕がこうやって話せるわけだけれど」
ケイはふだんの殺気など全く見せずに、彼女に微笑んで見せた。
今夜の目的はクリスティアナと顔をつないでおくこと。できるだけ情報を入手してどうにかして依頼人を突き止めること。
急いては事をし損じる。焦ることはないさ。突っ張ってはいるがただの小娘。おれの手にかかればこんな女の子なんて。
ケイはわざと言葉を切って、彼女を見つめ続けた。警備の人間どもがにらんでいることは先刻承知だ。だがこれは自由恋愛の部類、彼らが手を出す問題でもあるまい。
「私に関わるとろくなことがないわよ。いくら自動車業界に疎いと言っても、AOKIのうわさを知らないはずがないのでしょう?ロード・ハミルトン卿」
いささか頑なな態度で、彼女がそうつぶやく。視線は下に落としたまま、寂しげに。
「……ケイでいいよ。子爵など名ばかりのただのニートなんだから」
仕事をしてないの?じゃあ遺産がかなりあったことでしょうね。驚いて思わず振り返るクリスに、苦笑いを返す。
「ハミルトンの称号を継いだとき、相続税がいくらかかったか考えたことある?それにめぼしいものはみんな、どっかからわいて出てきた親戚という名の見知らぬ他人がかっさらっていった。僕に残されたのはほんのわずかな土地だけ。それで何とか食いつないでいるよ。働こうにもこの肩書きが邪魔をしてね」
「ご両親が、いらっしゃらないの?」
僕が十八のときに母が亡くなってね。もともと父は早くにいなかったから。
「気軽な一人暮らしなんだ。おかげで家事能力は向上したよ。青木家の執事にでも雇ってもらおうかな」
彼女に曇った表情をさせる間を与えず、ケイは陽気にそう言った。
ここは息苦しい、バルコニーでもいかがです?さりげないリード。できれば二人きりになりたい。距離が近づけばそれだけ、思わぬ胸中を話すことだってある。ケイにとってはすべて計算ずくの行動。疑わぬ彼女の姿にほんの少しばかりの良心の呵責。
クリスのドレスの裾がひるがえる。慣れた様子で彼がその華奢な手を取る。慣れないアルコールに足を取られたのか、バルコニーの入り口でわずかにクリスの身体が傾いだ。
はらりと落ちる一枚の紙。
「あっ!!それは!?」
あわてて取り返そうとするクリスからさっと奪い取ったケイは、わざと焦らすように手の届かぬ高いところでひらひらさせてやる。
「もう!返して!お願い、人に見せられないメモなの!」
「なら余計に気になるね。そういう刺激的な発言は控えた方が身のためだよ?」
くすくす笑いながらケイは、クリスの頭の上でわざわざそのメモを見やる。必死に手を伸ばす彼女に、ひょいと紙を持ち上げて。
「ふざけないで!!いじわる!!」
いいな、その声。ずっと君らしい。そうささやくのを忘れない。しかしクリスにとってはそれどころではないのだろう。見られたら一大事。でも、根が本気で意地悪な悪魔は平気でそれを読み上げようとする。
「レイモンド伯爵・二重丸、キャスリング男爵・一重丸、……ねえ、どうして僕のところには大きな×がついているの?」
すっかりおもしろがっている。
観念したクリスは、母親が勝手につけたメモだと白状した。他の人には言わないでよ、とくぎを刺す。
「へ…え」
勘のいいケイは、何を示すものかもう既によくわかっていた。にやにや笑いながらクリスの顔をのぞき込むと、いたずらっ子のようにささやく。
「じゃあ、一緒に言ってみようか。ケイ・ハミルトン卿に×がついているわけは…」
せーの、酔いに任せてクリスまで口を開く。
「将来性がないから!!」
声をそろえて言ったあとは、二人で大笑いだ。クリスの表情がようやく和らぐ。それまではかなり虚勢を張っていたに違いない。
「私もそうよ。誰も近づいてなんてくれない」
「飛ぶ鳥を落とす勢いの世界のAOKIが何を弱気なことを。あなたなら引く手あまたでしょうに」
クリスはほんの少しばかり、この不思議な子爵に心を許しかけたようだった。寂しげにつぶやく。
「うちの会社が、大勢の人から恨まれているのは知ってるでしょう?事故に遭われた遺族の方から、人殺し…と叫ばれたこともあるわ。何度も誘拐されかけたり、脅されたり。早く日本へ帰れ、とね。私は一度だって、そんな国に行ったこともないのに」
娘の君には関係のないことなのにね。ケイの声が優しく包む。
「母は私を守るために再婚したのよ。あなたと同じ、当主がいなくなった家はどこからともなくハイエナのような輩が集まり出す。財産と土地を残すために、早くパートナーが必要だった。そこに現れたのが今の父。みんな愛情などではつながってはいないのね。それが大人なのかしら」
どうしてAOKIはそこまで思い切ったコストダウンができるんだろうね。自然な流れに紛れ込ませた質問。もちろんケイたちだとて十分調べ続けている。それでもわからない大きな謎。
クリスはそっと首を横に振った。
「…会社のことは私には何もわからないわ。父と会話したことなんて、ほとんどないのだし」
そう…。もとより期待はしていなかった。急ぐことはない。ケイは頭の中でめまぐるしく計算する。
「ただ…」
えっ?顔をクリスに向けた。ケイにしかわからぬ複雑な思いで。
「会社の一番売れ筋のハイブリットカーには、ブラックボックス状態の蓄電池が使われていて、普通の技術者クラスでは触らせてももらえないらしいの。そのことは社内では触れてはならない話題として……」
言いかけたクリスに、ケイは大声で叫んだ。
「危ない!!伏せろ!!」
ナイトスコープの部品らしきものへわずかに反射した光と、ほんの微かな発射音を彼は捉え、クリスを庇うようにバルコニーの床に倒れ込んだ。
銃弾は壁の一部と、部屋内部の照明器具へと当たり、激しい音を立てた。
きゃあ!!という悲鳴と、警護要員がクリスに駆けつける足音。それに他の男たちもみなバルコニーへと集まる。
「ここは危ない!!外に出るな!!全員、伏せろ!!」
よく通るケイの声が、みなの姿勢を低くさせる。庭だ!!庭の捜索と警察へ連絡を!!もはやこの現状を仕切っているのは、ケイ・ハミルトンただ一人。
その声にハッとしたように、それぞれ要人の警護担当員たちが動き出す。それほど、この攻撃はあまりにも不意すぎた。
「クリス!!」
母親のオフィリアが駆けよる。クリスはあまりの出来事に身体を震わせることしかできなかった。彼女を母親に引き渡して、ケイはようやくほうと息を吐いた。
しばらく誰もが無言だった。
部屋にはガラスの破片が飛び散り、逃げまどう際にぶつかったのだろう、テーブルがいくつか倒れていた。
「大丈夫か、ハミルトンくん!?」
パーティーの主催者である自動車協議会の会長が声をかけるのに、ケイはできるだけ素人らしく見えるようにと恐怖感いっぱいの表情を浮かべてみた。言葉もたどたどしく、いかにも息たえだえのように。
「ど、動物か何かが飛んできたのだと……、違うのですか?」
壁にのめり込んだ銃弾を見た、狩猟好きな会長は、「ライフルだな」とぽつりとつぶやいた。
…本気か、敵は。完全にクリスとおれを狙っていた。ちっきしょう…
その肝心の敵が見えない。今回の依頼人がしびれを切らせて他を雇ったのか、それとも。白いスーツを泥だらけにしたまま、ケイの思考は深く沈み込んでいった。
「てめえじゃねえだろうなあ!!このド高い報酬に目がくらんで、長年の友人を裏切ったんだったら、ただじゃおかねえぞ!!」
「いててて、放せよ。んな訳ねえだろ!?」
神経質なのか、ただの節約ドケチなのか。クリーニング代を浮かすために白いスーツを手洗いし、タオルを巻いたハンガーに陰干ししてから、おもむろにケイは耀司を締め上げた。
身長は二人ともそう変わりなく、むしろ筋肉質な耀司の方が大柄だというのに、彼の身体はわずかに床から浮いていた。ケイがそれだけすごい力で耀司の首っ玉をふんづかまえて、持ち上げていたからだ。よほど怒っていたのだろう、どちらかと言えばただの八つ当たりにしか見えないのだけれど。
「このおれが!!よりによってこのおれ様が狙われるなんざ、間抜けで情けないね!!他人に言えるか?こんなみっともねえことをよ!!」
「いえ、あの、お言葉を返すようで申し訳ないのですが…誰にも言えないと思いますよ、その前の時点で…」
耀司の声が弱々しい。ケイを怒らせたら怖いということをよく知っているからだ。
しかしその言葉で我に返ったのか、ケイは耀司を放すと、ソファにどさっと座った。耀司はわざとらしく咳き込むと、ったくよ、長年の友人なら疑うなってんだよ、と小さな声でつぶやいた。
「なんか言ったか?」
「なんも言ってない・で・す!落ち着けよケイ。何ともなかったんだろ?」
思い出しても腹立たしい。
あのあと、なぜ襲撃にいち早く気づいたのかとか、どうして助けられたのかだとか、おまえがわざとクリスをバルコニーに連れ出したのではないかだの、それはそれは警察にさんざんつつかれたのだから。
「彼にそんな大それたことができるはずありません」
最後には多くの出席者らの証言でしぶしぶ解放された。ある意味、いや大いに助かったはずだが、それはそれでもっと腹立たしい。
「耀司。……依頼人に会わせろ」
「俺だって知らないよ」
「いいからとっとと会わせろ!!」
「知らないって言ってんだろ!?こっちにだってな、いろんなルートと接触方法があるんだよ!!自分の身を守るためにな!!」
言われてみればその通りだ。ようやくおとなしくなったケイは、頭を抱えた。
「敵が見えない。いったい何が狙いなんだ?おれたちとは別のヤツらが、あのタヌキ親父じゃなくて娘の方を殺そうとしているっていうのか?」
ケイ…。その声があまりに痛々しくて、耀司は言葉をつまらせた。
「命を奪うだけじゃ、何の解決にもならない。違うか?耀司……」
白く輝くその髪をかきむしり、ケイは呻いた。
「それじゃ誰も救われない。…救われないんだ…」
自らに言い聞かせるように彼はつぶやき、オッドアイの瞳は苦しげに歪められたまま、どこか遠くを見つめていた。
(つづく)
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