#35
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古めかしいが手入れの行き届いた学長室には、あの夜の少年たちが集められた。全員ではない。未だ酷い傷のせいで病院のベッドから起き上がれない者もいるからだ。
彼らをぶちのめしたのは、ここにいるケイ。彼もまた、右耳に小さなガーゼを当てている。素人が無理やりこじ開けたピアスホールは、醜く化膿してひきつれを起こしていた。些末な傷など気にする彼でもないが、続く鈍い痛みが己を現実に引き戻す。
あれは本当にあった出来事なのだ、と。
彼の座る堅いベンチチェアの向かいには、頬に絆創膏を貼ったウィリアム・パークス。比較的軽傷で済んだ残りの二人。あばら骨を三本折られたローデリック・レイヴィンリーは、気の毒にベッド送りの方だった。ここにはいない。そして、ケイの隣に間をおいて座る青白い顔のサイラス・ラングレー。彼は唇をかみしめて下を向き続けた。
「どういうことなのか、説明してもらおう。パークスくん」
びくっと身体を震わせたウィリーは、それでも痛々しげに見えるような表情を浮かべた。
か細いがよく通る声。ここまで徹底してりゃいっそ潔いね。ケイは黙って見つめるばかり。
「あの夜、いつものようにこのハミルトンくんがうなされていたんです。あまりに辛そうだったのと、大声を上げて叫ぶので、友人らと協力して礼拝堂へ」
共謀しての間違いだろうが。もちろんこれはケイの心の中でだけつぶやく。
あっけなくも短い学生生活だったな。未練などない。夫人にはどう言い訳したものか。
「おそらく彼は」
ウィリーは言葉を切ってケイに視線を送る。学長を含めた全員が彼を見つめる。ケイの表情は変わらない。
「あの、大変言いにくいのですが…何らかの精神的トラウマを持っているのだと思います。幼少期に事件に巻き込まれたと聞きました。早急な治療が必要なのではないでしょうか。どうか彼を責めないであげてください。しかるべき病院か施設で、ゆっくりと過ごせばきっと」
へえ、ここへ来てまで優等生を崩さないとはな。そしておれの犯した面倒な罪を不問にする代わりに、やっかい払いとばかりに病院送りか。学校は事件を公にはしたくないだろう。こっちだってそれなりの金銭的代償は払わされるだろうが、病気が理由なら被害を受けた親たちも渋々納得するしかない。よく考えたもんだ。
どうせなら、もっとまともな方向へとその思考力を使うんだな。
学長は頷きながら聞いていたが、つとケイの方へと身体を向けた。そして形ばかりに声を掛けた。
「ハミルトンくん。どうやら私の目から見ても君には治療が一番のようだ。こちらから手続きを進めてよいかね」
相変わらず無表情のケイに、同席した他の教師たちもなにやら囁き合っていた。重いトラウマを抱えた生徒の引き起こした他の生徒への暴行は、我々の力を持ってしても防ぎようがなかった。そう思いたいのだろう。
ふっ、とケイが息を吐く。どちらかと言えば苦笑い。そして学長をまっすぐに見ると、いいえ、とだけ告げた。
ウィリーらに動揺が走る。馬鹿な。この条件で納得しなければおまえは罪に問われるのだぞ、と言いたげに。これだけの人間に大怪我を負わせたのだ。それぞれのバックには社会的地位も高い親たちがついている。大ごとになって困るのはおまえの方ではないのか、ケイ・ハミルトン。
しかしケイは、その反応にさえ薄笑いで応えた。言葉をつなぐ。
「暴力をふるったのに大した理由なんてありません。ただこいつらがむかついたから。いけませんか?」
大人たちのため息が聞こえる。だからこそ君には治療が…。言いかけた学長を遮ってケイは彼らを見渡した。
「僕はここへ来て、かなり陰湿な嫌がらせを受けていました。仕返しの機会をうかがっていた。それがたまたまあの日だっただけです。訴えるのでしたらどうぞ。僕はそれで構いませんから」
首を振って学長がまぶたを押さえる。これだから自覚のない者は手に負えん。心のつぶやきが聞こえてきそうだ。
うまい手だな、ウィリアム・パークス。こうなってしまえば、おれが何を言おうと病気のせいにされる。言えば言うほど、彼らの主張の信憑性ばかりが高まる。これが…本物の貴族のやり方か。
今回はいい勉強をさせてもらったよ。苦い笑い。
ひさびさに感じる敗北感と無力感。結局は腕っぷしよりも権力を持つ者の方が強いという訳か。
最高権力者であるウィリアム・パークスは残り、おれは排除される。そしてまた、別の生け贄が差し出される。被害は広がっても誰も救えない。ケイはため息をついた。
…だからあのとき、ひと思いに…
八つ当たりだと知ってはいたが、止めたサイラスにさえいらだちを覚えた。
彼はおれを助けようと、自分自身の恐怖心と戦いつつ、わざわざ教師に連絡をしてくれたというのに。
とうとうケイまでもが黙り込んだ。勝負ありと確信したのだろう、傍目にはわからぬウィリーの冷酷な瞳が光る。
「それでは…」
進行役を務めていた教師の声に促されて、皆が席を立とうとしたそのとき、サイラスはようやく顔を上げた。
思い詰めた表情で、待ってください、と一言つぶやく。細かく震えて聞き取りづらいその声で。
意外なサイラスの言葉に、浮きかけた腰を下ろす学長ら。今さら何を言い出す気なのかと、いらつきを隠そうともしないウィリアムたち。
何より驚いたのは、ケイだった。この気弱な少年は、ここにいるのも辛そうなのに。こいつが人前で何か行動を起こそうだなど、見たこともないというのに。
「どうしたのだい?ラングレーくん。君の勇気ある行動で、大切な友人は治療を受けられるのだよ。何も心配することはない」
彼をよく知る教師が、なだめるように声を掛ける。サイラスが罪悪感を抱えてしまったのではと心配しているのだ。
「ケイは、いえあのハミルトンくんは病気なんかじゃありません。それは確かに、確かに毎晩、あの眠るのが怖いと…。でも意味もなく急に暴力なんてふるいません」
ラングレーくん、大人たちの間でなだめ役が増える。
無理するな、おれは大丈夫だから。ケイもそう言ってやりたかった。彼の目が穏やかに見つめる。
唯一、この学校でおれに優しくしてくれた。だから今までここに居られた。感謝していると伝えたかった。この部屋を出て、果たして会える機会があるのだろうか。それを心配していたくらいなのに。
しかしサイラスは、何かを決意したのか、大きく息を吸い込むと奥歯をかみしめた。
「そうじゃないんです。見たんです。いえ、ちゃんと言います。ボクは最初からずっと知ってたんです!!」
ケイの視線が変わる。鋭く、感覚を研ぎ澄ますかのように。
反対にウィリアム・パークスは、バカな、と吐き捨てるように言った。
サイラスはその彼に向かって、今度はしっかりとした声で言い続けた。
「全部をここでしゃべります。寮長たちがケイにしたことを。それからボクは今までずっとローディがやったことだと信じていたけれど、それもみんな、寮長が命令していたんですよね!?」
「どちらを信じると思う?口でなら何とでも言えるんだよ?」
いつもの爬虫類めいた粘着質の声色。ウィリアム自体が少しずつ正体をあらわにしていることに、おそらく大人は気づかない。
サイラスはごくりと喉を鳴らすと、おもむろに足下へと置いてあったカバンを取り出した。
中身を次々と並べてゆく。磨き抜かれたテーブルの上へ。伝統を感じさせるパブリック・スクールの学長室とは、おおよそそぐわない品物を次々と。
それは、大麻吸引用の器具類。そして…本物の麻薬が入ったビニール袋。中世の拷問にでも使えそうな、軟禁用の手錠に革紐、拘束具。
「これは…これはボク一人で見つけたんじゃありません。副学長先生と一緒にプリフェクト・ルームで」
バカな!!だいたいあそこには鍵が掛けてあったはずだ。思わず叫んでしまったウィリアムは、ハッとしたように自らの口元を押さえた。
サイラスは毅然と立ち続けた。ケイの知る、いつもの気弱ないじめられっ子ではない。精一杯言い返す。
「ごめんなさい。ケイが、ハミルトンくんが何かを隠しているかも知れないから、全部探してくださいと嘘をつきました。鍵はこじ開けてもらいました。そのときに副学長先生にみんな話したんです。変なクスリのことも、礼拝堂で顔を隠した人たちにボクもされたことも、それから…それから」
もう止めろ!思わずケイの方が叫んだ。言わなくていい。見ているこっちが辛くなる。おれは大丈夫だから、ここにいなくても何とかなるから。頼むから止めてくれ。
「言えば良かったんです。ボクが最初から。そうすればケイまでこんな怪我をしなくてすんだし、ケンカだってしなくても良かった。ボクはずっとローディたちに辱めを受けてて、ばらされたくなければ黙っていろと」
そこまで一気に話すと、サイラスは大きな息を吐いた。
学長たちは蒼白な顔でその品物を見つめている。大麻が学内から発見されたことが公になれば、いったいどれだけのダメージを受けるものか。ここに通う生徒は皆、家柄もよく、非常に身分の高い者ばかり。
「おれが持ち込んだと、そういうことにでもしようって言うんじゃないでしょうね」
ケイは、先手を打って学長に言葉を投げつけた。勝手に疑似犯人にされてはたまらない。
しかしこの件は事があまりに大きすぎる。警察に顔の利く親も多いが、まさか本当のことを言うわけにもいくまい。
歴代のプリフェクトの中でも、一番優秀であるとされたウィリアム・パークスが犯人などとは。
「ぼ、僕を疑うのですか!?先生方までこんな田舎者と下層階級の言うことを信じると!?僕に対する、いえ、パークス家に対する最大の侮辱です!!僕は…」
激昂するウィリアムの叫びを聞きながら、サイラスはそっとテーブルの上に幾枚かの写真を並べた。
彼が脅されるたびに大金を払いながら買い続けた、自らの…。
ケイは目を背けた。止めろ、おまえがすることじゃない。こんなことをさせたいがために、おれはこいつらを殴ったのでもない!
一番新しい日付の写真は、薄暗い礼拝堂を隠し取ったもの。横たわるケイを押さえつけるウィリーの横顔。
誰もが息を飲んだ。
「ボクは臆病で卑怯者なんです。こんな写真を撮りながら、これからケイが何をされるのかわかっていながら、それでも助けてあげようともしなかった。怖かったから。ケイが居なくなってまたボクが生け贄になるのかと思うと、ぞっとしたから。ボクは大事な友人を売ったんです。守り続けてくれてたのに、自分が怖いからって何も言えずに!!」
緊張の糸がとぎれたのか、サイラスは力なく座り込むとテーブルに突っ伏して泣き出してしまった。
ウィリアム・パークスでさえも、振り上げたこぶしの行き場をなくし黙りこくる。
「バカだ、おまえ。言わなくたっていいんだよ、おれは…何ともないのに。ここを追い出されるくらい、おれが今まで生きてきた環境を思えば辛いことでもなんでもないんだ。何で、おまえってヤツは…」
ケイがこみ上げる何かを必死にこらえながらつぶやく。
サイラスは顔を伏せたまま、しゃくり上げつつも言い張った。
「ケイは…強い。す…ごく強…い。でも、もろ…くて…繊細で…とても優しい。そんな…人を…そんな人を…傷つけちゃダメだ。ダメなんだよ…」
伝統と歴史の重みに耐えかねて潰されそうなスクールの学長室に、いつまでもサイラスのすすり泣く声が響いていた。
(つづく)
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