#18
#18
それは最初、音もなく近づいてきた。
ケイが車のドアに手を掛けたそのとき、一台の見覚えのある高級車。
黒のメルセデス・ベンツS。自動車メーカー社長のくせに、乗り回すのは別会社の高級車種ばかり。よほど自社の安全性を信用していないのかと、週刊誌ではたびたび揶揄されていた。
…ちきしょう、青木が帰宅したのか…
予想外の展開に、ケイは動きを止めた。作戦を強行することは可能だが、どうせ今夜一晩でカタがつくものとは思えない。
深くため息をつくと、耀司に中止の合図を送る。
「ついてねえな」
思わず口に出る愚痴。まあ、ここまで待ち続けたのだ。今度の新月まで待つのも悪くない。
そう思考を切り替えようとした彼らは、前方から来る別の乗用車にハッとした。
その車は、ベンツと距離を置くように急ブレーキを立てて止まった。危険を察知したのか、青木の車も止まる。
ちょうどケイらの乗ったワンボックスの真横。
車内を見て、彼の息が止まった。
「おい!見ろ耀司!!中にいるのは夫人とクリスだ!!」
何!?彼女たちは今夜、泊まりがけで居ないはずだぜ!?
叫ぶ耀司の声を背中に受けながら、ケイはそのままの格好で外へと飛び出した。
ベンツから警備の男達が降りかけようとするのを引き留める。
スーツ姿の彼らの拳銃がケイ=ブラックへと向けられる。そいつらを引きずり倒すように姿勢を沈めさせた。
「ばかやろう!!中の女どもから離れるな!!」
正体不明の車から、バラバラと何人もの迷彩服が出てきたのを目の端で追う。
それぞれ手にはサブマシンガン。おそらくはMP5SDだろう。
その中の一人が、しゃがみ込んだブラックと警備要員たちの身体すれすれに銃弾を浴びせてくる。転がり込むようにベンツに戻った一人が、慌てて応援のためか屋敷に連絡を入れているようだ。
「それより警察を!早く!!」
ブラックはそう叫ぶと、ワンボックスから愛用の品を取り出した。
レミントン社製のM700モデル。高性能の…スナイパーライフル。
彼はほんの少し息を吸い込むと、落ち着いてくだんの車のフロントガラスをぶち抜いた。
ガツッと鈍い音がして、細かいひびが入る。砕かれ飛び散らないのは、防弾処理されているためか。
こいつらは、本気だ。
ブラックは半身をワンボックスに寄りかからせ、自身の姿勢を固定すると、銃を持っている敵一人ひとりを正確に狙っていった。
目に見える敵は五人。まずは一人の銃をはじき飛ばす。もう一人。向きを変えて、また一人。
ヤツらは銃を替えると、今度はまっすぐにブラックへと照準を合わせた。
そういうことなら、容赦はしない。
薄い形のよい唇をそっと噛むと、口元を歪め、冷ややかな笑いを浮かべる。
走り寄ってくる敵に向かい、手の甲を撃ち抜いた。衝撃と痛みにのたうち回る男。
仲間は助けることもせず、それでもブラックへと近寄ってくる。
こんな近距離でライフルはかえって不便だ。彼は弾薬が空なのを確認してから乱暴に車へとそれを投げ込み、耀司から手渡されたコルトを構えた。
最初の二人へは肩に。もう一人は足首を。いくら鍛え抜かれた戦闘員であっても、立ち上がることはできないだろう。動きを封じておいて、ブラックは一人の男の首に腕を回す。いつでもひねり折れるようにと。そうしてそいつの額へと銃口を突きつける。
「さあ、教えてもらおうか。おまえらのバックは誰だ?」
すぐには口を割るとも思えない。しかしオッドアイの悪魔は薄ら笑いを浮かべ、その状況すら楽しんでいるかのように見えた。
「どうする?おれはためらわないぜ?それとも依頼主に義理立てして、ここで命を落とすつもりかい?」
くすくす声を上げながら、ブラックは耳元でささやく。闇夜でさえもはっきりとわかるほど、敵の顔が青白く怯えている。
当然だ。こんなただの民間人などおれの相手にもなりはしない。レジィヨン・エトランジェールでは、もっと過酷な作戦などいくらでも修羅場はくぐり抜けてきたのだから。
そのとき、慌てて目出し帽をかぶって顔を隠した耀司が叫ぶ。
「ブラック!!もう一人居る!!」
その声で反射的にそいつの急所を殴りつけて気を失わせると、ブラックは青木家の車へと走り寄る。
「きゃあ!!」
悲鳴は、クリスのもの。
彼女を助けようとしたオフィリアが、手ではたき倒されている。それを警備のものへと任せ、ブラックはベンツの屋根を飛び越えた。
クリスを抱えた男は、彼女へと銃を向けて今にでも引き金を引こうとしていた。
その男へと冷静にブラックは、腕を伸ばす。手の先には黒光りするコルト。
「あんたが彼女の胸を撃ち抜くのが早いか、おれがあんたの頭をぶち割るのが早いか。試してみるかい?己の命をかけて」
ぞくっとするような、冷ややかな言葉。戦場をいくつも渡り歩いてきた人間にしかわからぬ、死への恐怖を捨てた表情。
そこにできた、相手のわずかな隙。一瞬のためらいが戦場では命取り。ブラックも耀司も、それはイヤと言うほど思い知ってきたのだから。
いける!ブラックが引き金を引こうとしたまさにその瞬間、クリスが叫んだ。
「もうやめて!!私の命なんてどうでもいいわ!!これ以上、人を傷つけないで!!」
ブラックが目を見開いた。指先の動きが止まる。
相手は慌ててクリスを突き飛ばすと、車に乗り込もうとしていた仲間達を急いで拾いつつ、運転席に乗り込んで急発進させた。アフターファイヤーの音が響き渡るほどに。ひびの入ったフロントガラスをたたき割って視界を確保しつつ。
ブラックは倒れ込みかけたクリスへ駆け寄ると、彼女をしっかりと抱きかかえた。
「大丈夫か?」
「…さわら…ないで…」
痛々しげなつぶやきに、ブラックは言葉を失った。
「私を助けるために、何人の人を…傷つけたの?」
誰も、殺しちゃいないよ。動きを封じた…だけだ。彼はそう言い返すのが精一杯だった。
「救ってくれた人に、恩知らずだとはわかってるわ!!でも、もうこれ以上血を流して欲しくないの!!誰にも…」
そう言うと、クリスは彼女を抱きとめている力強い腕の主を気丈ににらみ返した。
思いがけないセリフに、唇をぎゅっと結び、荒い息をくり返すオッドアイの、悪魔。
ようやく屋敷の照明がすべて点き、辺りは昼間のような明るさを取り戻した。
その光を反射するように輝くブルーアイと、漆黒の闇のような黒い瞳。
今度は、クリスの方が息を飲んだ。…あなたは、誰?と…
ブラックの手が緩んだ。危機は脱しただろう。もうここから去らなければ。しかし、今の言葉が彼を動けなくしていた。
「青と黒。私は知ってるわ。その瞳を…」
クリスの意識が混沌としてくる様子がうかがえる。そう、確かに覚えている。そうつぶやくばかり。
ブラックは、両手をだらんとたらしたまま、その場に立ちつくした。
「クリス!!」
叫びながら駆け寄るオフィリアもまた、ブラックを見て声をなくした。
あなたは…あなたは。そうして意外な言葉を口走る。
「その髪は、あなたは…黒髪ではない。そうで…は…なくて?その下に隠されているのは、輝くばかりの…」
これ以上ここにいては、自分の身が危険だ。ようやく冷静さを少しばかり取り戻したブラックは、身を翻すようにその場を離れようとした。
彼の背中に、わずかに聞こえたオフィリアの悲痛な声。
「お願い。クリスに近寄らないで…。この娘を、私から奪わないで…」
屋敷から人が集まってくる。敵の追跡をあきらめた警備要員も運転手も、ようやく彼女らの元へと駆け寄ってきた。
耀司が車をスタートさせ、少し先で白煙を上げながらUターンする。それに飛び乗るようにブラックは道路を蹴った。
今は何も考えるな。ここを離れろ。
危険信号が鳴り響く。
何も見なかった、何も聞かなかった。おれは知らない。彼女は憎むべき青木の義理の娘。それ以上でもそれ以下でもない。ただの道具。おれたちの復讐のための。
…この娘を、私から奪わないで…
オフィリアは何を。知らない!おれには何もわからない!!
サイレンの響く中を、無言のまま彼らは走り続けた。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009 keikitagawa All Rights Reserved