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#16

#16



白いもやと、ごうごうと音を立てて燃え上がる火柱。何度目かの小爆発音。

何が起こったのかなど、ケイにも耀司にもわかるはずもなかった。

しばらく立ちすくむ。


止まってしまった時間と、空間。


一つだけわかったのは、ケイが渡ろうとしていた信号機は永遠に青に変わらないということ。


ぞくっとした原始的な恐怖を感じ、ケイは弾かれたように走り出した。

黒煙のまっただ中を。


「おい!!近寄っちゃいかん!!そこは一番危ないぞ!!」


誰かの大声が背中越しに聞こえる。だから何だ。そこってどこだ。そこにいるはずなのは、僕のママンだ!!


「ママン!!ママン!!ママ!!」


必死に叫ぶが、ハミルトン夫人の返事はない。それどころか、視界はほとんどゼロに近い。何も見えない空間を、手探りで、けれど急いで走り抜ける。


荷物を放り出した耀司が、無言でそのあとをついてゆく。彼にはわかっていたのだろうか。今、ケイ達の置かれた現状を。


さっきまで夫人の立っていた舗道に走り寄る。視界のわずか端に、黒こげの物体が見えた気がした。あれは何だ。ふっと視線が向きそうになるが、熱風で頬が熱くなる。


「ママン!!」


ハミルトン夫人は、道路側に頭を投げ出した格好で倒れていた。すぐにケイが駆け寄り抱き上げる。何度も名前を叫ぶが、ススで汚れた顔は、苦しげにきつく目を瞑ったまま動かない。


「…動かさない方がいい。救急隊を待とう」


後ろから静かに耀司の声が聞こえる。それさえ苛立たしい。


「そんなこと言ったって!!手遅れになったらどうするんだ!!このまま病院に運んで」


「頭を打っている可能性が高い。動かせば致命的なんだぜ。落ち着け、ケイ」


淡々と口にする耀司の声に、ものすごい形相でケイはにらみ返した。

怒鳴りたかった。何でおまえはそんなに落ち着いてられるんだ?


息はあるか?心拍は?そう言いながら夫人の顔に、自分の頬を近づける耀司。


「当たり前だよ!!ママンはただ気を失って、気を失ってるだけ…だ…ろ?」


血だらけの訳でもない。どこにもケガなんてしていない。爆風で飛ばされた食材と、履いていた上品な靴が辺りに散らばっているだけ。

今にすぐに気がついて、「大丈夫よ、ケイ」と言ってくれるはず。「お帰り」と。


なのに抱きしめている夫人の顔がどんどん青ざめてゆく。どうして?どうして?なぜなんだ!?


「呼吸音が弱い。早く救急隊を…。厳しいか」


唇を噛みながら耀司が立ち上がり、辺りを見回す。

ケイはようやく周りの様子を目に入れるだけの自分を取り戻した。






それは、凄惨な状況。


二台の小型車が横転している。そこからガソリンが漏れたのだろう、何度も小さい火柱が上がる。

もう一台は、大型車の下に潜り込んだような形でひしゃげていた。

ケイ達の周りには、街灯へとぶつかった車がシュウシュウと不穏な音を立て続けていた。

衝突する前に、大勢いたはずの通行人達をなぎ倒して。


無事だった人たちが、とにかく閉じこめられた車内から人を助け出そうと苦労している。それさえ命がけ。


いつまた爆発が起こるか、わからない。


やっと聞こえてきたサイレンの音が、響き渡る。

レスキュー車にパトカー。そんなものより、早く救急車を!!


冷静に見えたはずの耀司が、道路の中央に飛び出した。


「ここに怪我人がいる!!早くしないと手遅れになるんだ!!頼む、こっちから運んでくれ!!」


もちろんその声は、あふれんばかりの喧噪にかき消された。それでも彼は何度でも叫び続ける。気付けば耀司の顔は汗なのか涙なのか、頬が濡れていた。


ケイはただ、夫人の身体を抱きしめるしか術がなかった。

小さな声で、ママン、ママとつぶやきながら。






それからの記憶は、実はケイにも耀司にすらもあまりない。日々変動するめまぐるしい状況の変化は、決して明るい見通しではなかったのだから。


無我夢中で過ごした、時間の感覚さえ忘れてしまいがちな非日常。


ハミルトン夫人の意識は戻らない。ケイは集中治療室のベッドの脇で、たくさんの管につながれた彼女のわずかに露出した左手を、しっかりと握りしめたまま動かずにいた。


「交代してやる。少し休めよ」


耀司に肩を叩かれても、彼はそれを振り切って頑なにそこから離れようとはしなかった。

ニュースを見る間も、そんな余裕さえなかった。ケイの瞳には夫人の姿しか映ってはいなかった。




…ママン、ママ…




夜中に必ず叫び声を上げて泣き出すケイを、優しく抱きしめ、「大丈夫よ」と声を掛けてくれたのはママン。


それが何十分かかろうと何時間になろうとも、いつもそばにいた。

幼かったあのとき、よほど怖い想いをしたのね。あなたを守りきれなくてごめんなさい。もう二度と離さないから。夫人の柔らかな声。


ねえ、甘えていると言われるかも知れないけど、ママンがいてくれなきゃ僕は眠れないよ。

涙と疲れで目を赤く腫らし、それでも見つめ続けた。


もう誰も失いたくない。


ダレモ…?僕はいったいいつ誰を失ったんだ?


記憶が交錯する。意識が朦朧としてくる。それでも離れてはいけないんだ。


耀司はケイの肩を強く揺さぶると、きつい口調で攻め寄った。


「いい加減にしろ、ケイ!これからだって長いんだぜ。今おまえが無理をして倒れたら、誰が夫人の面倒を見るんだ!?」


こんな騒ぎでも、親類の一人たりとも来る気配はなかった。もとよりどんな親類がいるかなんて、ケイにわかりようもなかったし、連絡をするつもりもなかった。

しかし、被害者は実名報道されている。その気になれば調べることも簡単なはずだ。


改めて耀司は、ハミルトン家の置かれている現状を知った。

そして、しばらくしてわかってきた事実を。






あの日、交通量の多い大通りにはいつものように整然と走る車の列があった。当たり前の光景のはずだった。

なのに、突然一台の小型乗用車が猛スピードで交差点に突っ込んできたのだ。

決して無謀運転ではない。その証拠に目撃者は口を揃えて、運転手のあわてふためく表情を見たと言う。


まだ若い女性。それでも免許取り立てということでもなく、走り慣れた道をいつものように走っていただけだという。もう、本人に訊くことは永遠にできはしないけれど。


車の整備不良も考えにくい。買って半年になったばかりのハイブリット・カー。定期点検で故障を指摘されたこともなく、前日までごく普通に乗っていたもの。


それが突然、暴走しだした。ブレーキに足を乗せていたらしいから、彼女は必死に車を止めようとしたのだろう。

しかし全くスピードは衰えず、変わったばかりの赤信号を無視する形で、交差点に飛び込んだ。


右から左から来る乗用車の列に、そのままハイブリット・カーはためらうことなくぶつかっていった。


路面にはわずかなブレーキ痕すら残っていない。混み合う一般道で120km以上の猛スピードを出した小型車は、二台の車にぶつかったあと、大型車の車体下にのめり込むように沈んでいった。


ぶつけられた方の車はそのまま横転し、玉突き状態で他の小型車を巻き込んだ。

その一台が、突き飛ばされる形で舗道の歩行者達をなぎ倒していったのだ。




結果、死者6名・重軽傷者14名の犠牲者を出す大惨事となった。




重傷者の中には、夫人のように意識の戻らぬものも多かった。このまま死者は増えるのか、痛ましい事故。


事故?これがただの事故なのか?


救急病院の待合室にあるテレビの前で、新聞を広げながらニュースに見入っていた耀司は、悔しさに唇を強く噛みながら、それでも何とか冷静さを保とうと努力した。


ケイがあの状態でいるのなら、せめて俺だけでも…。


正しく状況を把握し、これからの対応を考えていかなくてはならない。俺たちの周りには誰も助けてくれる大人などいないのだから。

没落貴族の夫人には、手を差し伸べてくれる仲間もいなかった。わずかにいた友人らも、行方不明後に死亡認定された前ハミルトン卿の奇行に、離れていくものばかりだった。

心優しき下町の住人達は、心配こそすれ、何一つ力になれることなどなかった。




階級社会。




彼らには手を出せない領域が、目に見えない壁がはっきりとあるのだ。


じゃあ、18歳になったばかりのうら若き子爵と、21歳の無名な自称写真家に何ができる?


待合室の固い椅子に沈み込む耀司の前に、ふらつく細い影。

あわてて顔を上げる彼の目には、今にも倒れそうなケイの青ざめた顔。


「何があった!?おい、ケイ!?」


すぐさま立ち上がる耀司に、ケイがつぶやく。


「……医師に…呼ばれて…るんだ。一緒に…来て…くれない…か」


ふらっと足元が揺れるケイを、耀司は支えるように抱きとめた。

なんて軽い身体。無理もない、あの日から何も口にしていない。

どうしたんだい?できるだけそっと訊き返す。思いきり叫びだしたいのを必死に抑えながら。


「決断を…しろ…と。これ以上の…回復は……」


そのままケイは、耀司の腕の中で崩れ落ちた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009  keikitagawa All Rights Reserved

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