#11
#11
今夜のクリス嬢のドレスは、淡いワイン色。もちろんアンティークのルビーに合わせてみたのだろう。
頬をほんのりと染め、下を向く彼女に、ケイはここぞとばかりに極上の笑顔を浮かべてみせた。
透き通るような白い肌と整った顔立ち。プラチナブロンドの髪をそっと揺らして、柔和に微笑む。
彼女の華奢な手を取り、軽いダンスへと誘う。ステップよりも触れ合うことが大切。
いつだってそうだ。スタートはほら、この通り。これで落ちない女などいない。
ただ今回ばかりは、かなり異様な光景ではあったが。
彼女の両隣には屈強なボディガードが二人、ほとんど間隔を空けずに立ちつつケイを睨みつけていた。並の男なら、これだけで彼女に近づこうともしないだろう。
「何とも、踊りづらいね」
苦笑いとともにケイはそっとささやいた。クリスは唇を曲げると不服そうに、ごめんなさいとつぶやく。
「君のせいじゃないさ。失礼を承知で言うけれど、義理のお父様なんでしょう?君は愛されているんだね」
「…確かに、義父は私を心配しているのだと思いますわ。けれどもせっかく誘って下さったハミルトン卿に失礼ですわよね」
ねえ、僕らの間でそんな固い言葉が必要?ケイはわざとクリスの瞳をのぞき込んだ。
ブラウンアイズがわずかに見開かれ、それはすぐさま恥ずかしさに伏せられた。
「あのパーティーで逢った夜、とても初めて出会った人とは思えなかった。なぜだろう、懐かしい感じがして、つい気軽に声をかけてしまった」
ケイの微笑みは変わらない。それに気を許したのか、クリスはとうとう小さな笑い声を上げた。
「ねえ、そのセリフは恋多き子爵様の常套句?誰にでもそう言っているんでしょう」
ふざけてにらむような目つきを向ける。
しかし意外にもケイは、そのときばかりは真剣な表情をした。
「いや、信じないかも知れないけれど本当なんだ。君とどこかで会っている気がしてならない」
「ゴシップ誌で?」
あくまでも軽口としかとらえないクリスの手首を、そっと握る。彼女があわてて振り切ろうとするのを、ほんの少しばかり力を入れてケイは自分へと向けた。
「ブラウンの豊かな髪と、優しい瞳。僕は知っている。きっと僕らは前世から出会う運命だったんだ。美しい君と」
その言葉を聞くやいなや、クリスはありったけの力で手を離すと、くるりと後ろを向いてしまった。すぐさまボディガードたちが彼女を囲み、視線だけをケイにするどく送る。
「…レディ・オルブライト?」
その名前で呼ぶのは止めて!私は青木の娘よ!とがった声は、しかしパーティーの喧噪にまぎれた。
「ごめん、クリスティアナ。機嫌を悪くしたの?僕が何か気に触ることを言ったのかな」
しれっとした声でケイは言葉をかける。こんな状況はお手のものだ。
けれども振り返った彼女の頬に光る涙に、珍しくケイは動揺した。
「クリス…」
「同情?それともAOKIが目当て?母が言われるのならわかるわ。私にそんなセリフは似合わない。それをわかっていてからかってるの?」
母にちっとも似ていない鳶色の髪にこの瞳。あなたのような白い肌と、ブロンドの髪と、輝くようなブルーの瞳が欲しかった。母のように可愛げのある女性になりたかった。きっと私は元父の血を強く引いているのよ。
次々と自らの欠点を並べ立てる彼女に、いつもならいくらでもかけられるはずの甘い言葉さえ引っ込んでしまった。
その代わり、にらんでいるボディガードを気にもせず、ケイは彼女の肩をそっと抱いた。
「僕には君のどれもが、魅力的にしか見えないのだけれど。君はこの僕の審美眼でさえも疑うの?」
ハミルトン卿、あの。今度はクリスが動揺する側となった。ケイの哀しげな表情にどうしていいかわからなくなったからだ。
「ケイでいいよ。僕の友人にね、フォトグラファーがいるんだ。いつもは風景しか撮らないくせに、君のことを話した途端、一度その庭でポートレートを撮らせて欲しいと言って聞かない。誰にも見せないよ、できあがった写真はね。僕の部屋に飾らせてくれないか」
耳元に口を寄せてささやく。は、母に訊いてから。クリスはそう答えるのがやっとだった。
これで耀司と二人、あの屋敷に入ることができる。
苦くこみ上げてくる想いを、無理やり押し込める。自己嫌悪感に吐き気すら襲ってきやがる。
できるだけヤツの家族は巻き込みたくない。しかしそれは生命の保証をするということにしかすぎない。だからこんな手間をかけて、じっくりとAOKIに近づく。
すべてはケイのどす黒い思惑から来る策略だとわかったとき、彼女はどんな反応を示すのだろうか。
彼はその場で叫び出したい衝動を、必死に抑えた。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009 keikitagawa All Rights Reserved