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#100

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身体の線を強調したパンツスーツに身を包み、ミミは臨戦態勢を崩すことなく立ち上がった。肩には小柄に似合わぬグレネードランチャー、とすれば先ほどの閃光は……。


眩しさだけではなく、慣れぬ火薬のにおいにむせ込むクインシーを冷ややかに見下す。つくづく実戦には向かぬ男だ、との侮蔑の意を込めているのか。

クリスティアナはケイへとしがみつき、身体を震わせている。それほどの衝撃を周りに与えたのだ、ミミは。実際には彼女の手にする武器がだが。


平然とそれを見据えるのは、ケイ一人。


「スタングレネード(閃光手榴弾)とは穏やかじゃないね」


彼とて、乱れた息で肩が上下している。しかし元傭兵はダテじゃない。動揺は少ない。彼の気持ちを乱しているのは、もっと……別の理由。


「世界に先立ってこいつを採用した、イギリス陸軍の特殊部隊SASに敬意を込めたつもり。そりゃもう、か弱いレディには重かったんですからね!」


人命救助が最優先されるテロ事件において、爆音と閃光を発することで附近の人間の視覚、聴覚および平衡感覚を一時的に麻痺させることが可能な手榴弾が、スタングレネードだ。


素早く駆け寄る彼女の部下が、クインシーを捕らえる。それでもまだ彼は眩しさと煙たさに状況が把握できずにいる。



「何よ、助けに来てあげたってのに不服そうねえ」


ミミがわざとあっけらかんと言い放つのに、ケイは自由の利く瞳を細めた。あんたが助けたかったのは、こいつではないのか、と。


「捜査に私情を挟んで、何か悪いことでもある?なんてね。はっきり言って今こいつに死なれて困るのは、本国なのよね」


複雑であろう胸中を見せることなく、彼女は武器をそっと地面に横たえると彼らに近寄った。


「なぜ、このおれに殺させなかった!?」


ケイの悲痛な叫び。おのが生命を絶つ機会をも奪われた悔しさ。言わずとも伝わるのだろう。ミミは自分の背よりずっと大きな彼の胸ぐらを掴むと、ぐいと締め上げた。


「ふざけんじゃないわよ!あんたにはまだやらなきゃならないことが、たんと残ってるでしょうが!?全部見捨てる気?無責任にも程があるんじゃなくて?こんな…こんなくっだらない男と刺し違えるだけの価値が、クインシーなんかにあると思ってるわけ?」


その童顔とは裏腹の低い声は、自分だけが苦しみから解放されるなど許さない、とでも責めているようにさえ聞こえた。


「それでも……おれの兄だ」


力なく呟く。ミミにとっては二度とは逢えぬ最愛の息子の父親。想いが交錯する。


「あなたはクインシーの弟なんかじゃない。でしょう?リチャードに引き取られただけの、サラ夫人と子爵のれっきとした嫡男」


このオッド・アイのせいで放逐された息子、か。自虐めいた言葉にクリスの肩がぴくりと反応する。


「つくづく感じたよ。おれたち三人は確かに兄妹だ、よく似ている。血縁や生物学上の親が誰であろうと、このえにしは消せるものじゃない」


「それは…思慕?」


ほんの僅かな期待を込めて、ミミが問う。そうであればいいのに、と。


「いや。おのれが生き残る為には貪欲なまでにしがみつく。意識的であっても無意識であっても。死ぬことさえ、できな…い…」


どれほどの困難にあっても、生きることを選択してしまうキャリック=アンダーソンの子どもたち。母であるスザンナが守り通そうとした、三人の生命。



「兄妹であることを、あなたは選ぶの?」


深い意味を込めた、ミミの呟き。ケイはゆっくりと頷く。


「だからこそ、おれがこの手で断ち切りたかった。殺したかった」


クインシーも自分さえも。エマーソンが最初に持ち込んだ依頼は、クリスティアナの殺害。キャリック=アンダーソンの家族は途絶えるべきだったのだ。



ぐらり。



地面が揺れる。ケイは右眼を押さえたまま倒れこんだ。クリスが慌てたように支えようとするが、乱れた息は止められない。


「エマーソンの、<ネメシス>の思念に取り込まれでもしたらどうすんのよ!」


非情とも思えるほど冷たいミミの声。まだ生きろと言うのか。辛さに耐えかねたケイの言葉。




「あなたはどうしたくて?ミス・オルブライト・青木嬢?」


動揺する胸を強い意志で押しとどめ、クリスティアナはミミを見返した。


「私はクリスティアナ・青木。ただの青木の娘です。今は…会社を守ることだけ。社を支える社員と多くの工場の従業員と、さらに関連企業の人々を守る。そのことがひいては…イギリスを含めたEU全体の経済復興につながる。甘いと言われようと、私は信じています。その為には、どんな闘いにも怯まない」


……これが、女の強さよ……


違う。ケイが思わず心の中で呟く。彼女は女神だ。ネメシス…復讐をなだめる恩恵をほどこす面と、呵責のない復讐者の二面性をあわせ持つ美しき女神。

ならば、最後まで彼女を守り通せ。

救護院で抱きしめて離さなかった幼い頃のように。常にナイトとして……兄として。








「私は何の罪も犯してなどいない!手を離せ!」


ようやく事態を飲み込んだクインシーが酷くあがいている様が見て取れた。ここまで来て捕まるわけにも行かぬのだろう。苦い想いと可笑しささえ湧いてくる。


気の毒な…クインシー兄様。


「私を拘束するだけの根拠を示せ!!不法逮捕で訴えてやる!」


なおも抵抗する彼に、近づくのは隙さえ見せぬかっちりとしたスーツ姿の一人の女性。

彼女はフランス中央対内情報局ジョセフィーヌ・アネルカと名乗った。


「イヴェールから、特別背任罪であなたに対する訴訟が起こされたことはご存じですの?」


「!?バカな!!」


「HV開発部長とはいえヴェールの実質的な権限を持ち、次期の人事では取締役が確約されていた立場でありながら、英国側の利益を優先した。その為にあなたはイヴェールの機密すら横流ししていた。言い訳はけっこうよ、本国でゆっくりと聞かせていただくから」


クインシーの視線が何かを求めて彷徨う。そんなはずは。キースでさえ、ランチャーを担いだ救援部隊が現れたではないか!!


「あら残念ねえ。あなたが待っていらっしゃるのはデリック・エマーソン氏?それとも彼の部下でも助けに来るかと思ってらしたの?あの男のオフィスには何の動きもなくてよ。しょせんはあなたも、一介のポーン(チェスでいう歩兵)に過ぎなかったというわけね」


ミミにおとらぬ冷たい言葉。ジョゼはあごをそっと動かすと、部下らにクインシーの連行を命じた。



目を逸らし、その光景を正視できずにいるのはさすがにミミだとて、感情のある一人の女。そんな旧友に、ジョゼはぽんと肩を叩く。


「気をつけてよ、ミミ。これでエマーソンは本気にならざるを得ない。どんな手を使ってくるか。決して無茶はしないで」


置かれた手の温もりを確かめるかのように、ミミはその上からおのれの手を乗せた。








「よく聞きたまえ!AOKIはとうとう重要機密としていたリチウム蓄電池に関する技術を、EUへと公開するそうだ!」


…知ってるよ。


「軍関係者と秘密裏に近づいていてだな!」


…それもとっくに知ってるっつってんだろ。


「挙げ句の果ては、軍需産業から手を引くそうだ!どうだ、僕のこの情報収集能力の高さは!!」


「うっせえよ!!んなこた、こっちはとっくに知ってんだよ!もっと新しい情報はねえのか!?」


思い切り不機嫌に八つ当たりされ、おまけにようやく集めてきた情報すらも鼻であしらわれ、ウィリアムズ・パークスは拳を握りしめた。


……自分の立場をわかっているのか、この似非子爵は!なんでこいつはこうも偉そうなんだ!?……


それでも弁護士という立場上、必死におのれを律する。けなげだねえ、ケイがよせばいいのに挑発した言葉を投げつける。




ケイはまた別の想いにとらわれていた。

クリスティアナの社に対する責任感は、自らを後継者と自認しているからか。本人は頑なに否定するが。


……そうではなくて、父である青木の力になりたいの……


リチャードはともかく、実母であるスザンナを殺害した実行犯の一人には違いない。それでもか、と訊いても頷くばかり。

彼女の真意がわからない。いや、そうじゃない。


ケイの中で「家族」と「血縁」とが理解しがたいものに見えてきて怖いのかも知れぬ。


サラ夫人はおれにとっての実母だという。しかし、生前の彼女とおれとの関係はあくまでも「いつかはばれて破綻するであろう」という綱渡りなもの。

あの温かさに癒された。愛された実感はしかし、別の『ケイ』というものに注がれていたとしか思えなかった。


この飢餓感を、おれはどう埋めていけばいいのか。それとも一生埋まらぬまま、生きながらえつつ苦しめというのか。


たとえ血がつながらなくとも、オフィリアが掛けてきたクリスへの愛情は本物だ。では、何を持って似非と正統を見分ければいいのか。



似非子爵。



ウィリーにそう呼ばれるたび、おれには一番ふさわしい称号にしか聞こえなくなってくるから不思議だ。



黙ってしまったケイを不審げに、その実、心配そうに見やるウィリーは、ではこの情報はいかな君でも知らぬだろうと声をひそめた。


「この問題は、昨今始まったものではない。先代の子爵が我が輝かしき歴史と伝統の、ハィロウズ・スクールのプリフェクトであったことは知っていると思うが」


それがどうしたと言わんばかりのケイの態度。たった数年の歳月であってもあれほどの悲惨な事件であっても、ウィリーにとっては懐かしい学生時代の想い出へと変わるのか。


トラウマ性記憶。


毎夜毎夜うなされるほどの、本人でさえ自覚できぬ恐ろしい記憶へと変貌するのは、このおれだけなのか。

忘却という言葉にどれほど憧れたか。だのに大切なことは何一つ覚えちゃいなかった。この記憶のバグをどうにかしてくれ!少なくともおれには、あのパブリック・スクール時代を笑顔で語れるだけの度胸は持ち合わせてねえぞ。



ケイの気持ちを知ってか知らずか、盛り上がった声をさらにひそめて、ウィリーは顔を近づけた。


「彼らにはニコラス・ハミルトン子爵以外に二人の参謀がいた。聞いて驚くなよ、その二人とは……」


「一人はコンフィギュアの研究員であったキャリック=アンダーソン、そしてもう一人が…デリック・エマーソン……だろ?」


パークスは口をあんぐりと開けてケイを見つめた。こいつもしょせん、小悪党がお似合いなんだよなあ。悪賢いヤツ、には違いない。しかしもし、出逢った場所があのスクールでなければ……。

頬杖をついてウィリーを観察する。彼は二の句が継げないらしい。よほど重要な情報をもたらしたと思いこんでいたみたいだからな、気の毒に。


「で、ではエマーソンという少年の…優生思想ももちろん知っているという訳か」


ああ、と言いかけてケイの動きが止まった。優生思想?エマーソンが?思わず驚きの表情を見せた彼は、しまったと舌打ちをした。無論、見逃すウィリーであるはずがない。


「ちょっと待て。優生思想を持っていたのはハミルトン子爵ではないのか?」


父親を他人事のように呼ぶ。もう、彼らの間では当然のような行為。寂しいことには違いないが。



優生思想とは、ひどく乱暴に言ってしまえば「ナチス・ドイツ」に代表される、ある民族やある種の特徴を持つ人々が優れているという思想である。裏を返せば、その特徴を持たぬ者は淘汰されよ、というもの。


ウィリーの戸惑い顔に、ケイは口をつぐんだ。そうか、こいつはまだおれの出生を詳しくは知らない。溺愛しているらしい義理の弟からも聞かされてはいないということか。


「言えよ。ニュースソースはどっからだ?」


なぜ僕が詰問されるんだ?むくれるウィリーに、では教えていただけませんか敬愛する先輩、と慇懃無礼に口答えする。


「見返りは何だね」


何?子爵位を譲ると言ってるじゃねえか。無言で睨むケイに、ウィリアムズは一束のコピーを手にして見せた。



ラテン語の記述。ケイのセンサーに何かが響く。



「こちらとて、君の知らぬ情報くらい掴んでいる。それは」


「何があるっていうんだ!?おい!下っ端弁護士!!さっさと言え!!」


この間のお礼に、パークス家に招待しよう。心からの歓迎の笑顔を作ることなど、この爬虫類にはお手の物なのだろう。ウィリーはそそくさとコピーをしまうと、ケイの反応に満足げに頷いた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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