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#10

#10



ガラス張りに白いコンクリートが映える真新しいオフィスビルに、耀司はカメラケースを担いだまま入っていった。受付にIDカードを提示し上階へとあがる。

音もなく開くエレベーターのドアから、長く続く廊下。照明が目に眩しい。


一番端の角部屋には、何の会社名も表示もなかった。それでも彼は躊躇せずカードをかざす。


どうぞ。歳の割には甘ったるい声だぜ。いつも同じ思いでドアを開ける。


「あら、ヨウジ。久しぶりね」


声とは裏腹に迫力のあるボディを女らしいラインのスーツに押し込め、ミセス・マクレーンが笑顔で彼を出迎えた。

耀司は彼女にふっと口元を歪めた表情を向け、黙ってとなりのルームへと入っていった。





虹彩認証。


生粋の日本人である耀司の黒い瞳が、無機質な機械のディスプレーに映し出される。

データが一致したというブーンという微かな音とともに、もう一つの扉が静かに開かれる。


耀司は薄い手袋を引っ張り直すと、カメラケースの中から天使像を取り出し、中央のテーブルへと置く。


そのかたわらにあった分厚い封筒の中身を、一枚一枚数え始める。その手つきは素早かったが、なにせ中に入れられた紙束の量が多すぎた。すべて使い古された紙幣。もちろんナンバーから足がつかないように、だ。


三万ポンド。急ぎの仕事にしちゃしょぼいかな。まあぜいたくは言ってられない。


自身のケースの隠しポケットに大事にしまうと、耀司はほんの少しばかりため息をついた。

ここへ来るたびに感じる虚無感。今は考えたくはない。





「お疲れ様、ヨウジ。コーヒーでも入れるわね」


あくまでも愛想のいい、その昔はかなり美しかったであろうミセス・マクレーンが声をかけた。

しかし耀司はカウンターに行儀悪く肘をつき、ぐいと身体を乗り出した。


「ねえ、レディ・マクレーン?その前にお願いがあるんだけど」


ディナーのお誘いならいつでもOKよ。マクレーンはにこりとした。


いつもなら軽口の相手にいくらでもなる耀司だが、今日の彼はマクレーンの顔をのぞき込み、真剣な目をした。





「ボスに会いたい」


彼女が表情を変えた。赤いルージュがきゅっと引き締まる。

なぜ?と言いかける彼女の言葉をさえぎって、耀司は取り次ぐのが秘書の役目でしょう?と機械的に口にした。彼らしくもない。


ただごとではないのだろうと察したマクレーンは、PCのメールで隣室にいるはずのボスに連絡を取った。


キーボードの音だけが無機質な音を立てる。

無言のまま彼女は立ち上がると、白い扉をそっと開けた。





清潔なオフィスには、余分な装飾が一つもない。窓はただ、外の光をほんのわずか差し込ませるだけのために存在していた。もちろん、外部からの侵入および攻撃を防ぐため。


ゆったりと革張りの椅子に座っていた「彼」が、こちらを振り向く。


恰幅の良い体躯を仕立てのいいスーツに包み、にこやかに耀司を迎える「彼」には、何ら攻撃的な面も悪意も見えないただのビジネスマンにしか見えなかった。それもたいそう成功した部類の。


「ヨウジ!!久しぶりだな。どうだい?君のフォトはあちらこちらで目にするが、本業の方も順調なようだな!」


立ち上がり、軽くハグしあう。「彼」のどこからもきな臭さのかけらさえなかった。


「お久しぶりです、ボス。いえ、ミスター・エマーソン。エマーソン大尉と申し上げた方がいいでしょうか」


「元・大尉だ。退役して何年になると思っとるのだね?日本人流の皮肉と捉えてよいのかな」


口では辛辣な言葉を吐きつつも、エマーソンは顔をほころばせ、ヨウジの顔を懐かしげに見やった。

半年、いや一年ぶりか。顔を見せなくともビジネスはできる。エマーソンの元で仕事を始めて、これまでにいくつものミッションをこなしてきた。耀司はボスの顔を複雑な思いで見つめた。


「君ら二人は、私にとって有能で大切な元・部下だ。それは変わらない」


「ありがとうございます」


耀司が素直に頭を下げる。


「在役期間は初期訓練を含めてわずか三年だったにも関わらず、君らの活躍は忘れられぬな」





ああ、そうだ。

ハミルトン夫人の死後、急にフランスに渡ると言い出したケイを引き留めるためについて行ったはずなのに、結局は二人でレジィヨン・エトランジェール(フランス外人部隊)へと入隊した。


表向きは留学という名目で、内密に斡旋する裏の業者をよく見つけたもんだと、耀司は変なところでケイの行動力に感心した。


だから、どんなに調べても二人の入隊記録は残ってはいないはずだ。半年間の厳しい訓練を終え、配属されたのはエマーソン大尉率いる特殊工作部隊。


戦死であろうと病死であろうと、そのまま身元不明者として葬られるという、身分保証の全くない悲惨な立場。




それでもケイの決心は固かった。




戦うための力が欲しい。

ケイの思いはただ一つだった。誰がために戦うのか。耀司には彼に付き合ういわれもなかったが、夫人を失い、先の未来など何も考えられない二人には一番似合いの場所ではないかと思われたのだ。





シンプルなテーブルと椅子しかないその部屋の中央で、二人は向きあった。


「昔話を語りに来たわけではないようだな」


以前のなごりか、エマーソンはタバコを吸わない。心得たもので秘書のマクレーンでさえ、紅茶を持って入ってくる気配すらなかった。


しばしの沈黙。


ようやく口を開いたのは、もちろん耀司の方だった。





「ブラックが、例の件を引き受けるとのことです。ただし条件があります。のんでいただけますか?」


並べ立てる耀司の言葉を黙って聞いていたエマーソンは、難しい顔つきのまま視線をはずした。


「依頼人には、会えますか?」


「無理だな」


即答だった。


ある程度予測していたとはいえ、ケイのむっとする顔が浮かんで耀司は憂鬱になる。

けんかっ早い子爵様のお相手は疲れるんだよな。


「今までになく、ブラックが焦っているようだな。今回の件からは手を引いてもらう方がいいのかも知れん」


かつての上官のセリフに、焦ったのは耀司だった。


「待って下さい!やっと、やっとここまで来て!」


君らの狙いは……。意味深に言葉を切る。


「隠すつもりはありません。どうせ調べはついているでしょうから。俺たちの敵は、AOKIです」


いつからだ?静かにエマーソンが問う。どこか痛みをこらえるように。





「もちろん、レジィヨン・エトランジェールに入るときから」


音もなく立ち上がった元上官は、わずかな光を求めるかのように窓へ近寄り、ほとんど聞き取れぬような声でつぶやいた。




「除隊してから、君らを巻き込むのではなかった…か」




耀司はその言葉を、どこか遠くのことのように受け止めていた。



もう、戻れはしないのだから。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010  keikitagawa All Rights Reserved

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