狗の遊び相手
桃華は真剣な表情になりながら犬の耳と尻尾を生やした。
おそらく妖怪としての面を強く出した影響だろう。妖怪は獣人と違ってその辺自在に変化させる事ができるから人型で戦うのが得意な人だとケモ耳スタイルである事が多い。
「そんなに戦ってほしいのなら、本気出してやるよ」
そう言って桃華は俺に襲ってきた。
その戦いの序盤はやはり両手を広げたひっかき攻撃。見た目は人間と変わらない爪であってもその強度は獣人と同じ、あるいは獣人以上にもなる。
妖怪としての力が爪をより強固にしているからだ。
そして爪による斬撃を飛ばす事だって当然できる。威力や鋭さに関してはリルよりも弱いがずいぶん太いな。
でも体をよじって爪と爪の間に体を潜り込ませれば避ける事ができる。
「ち」
桃華は舌打ちした後すぐに近距離戦を仕掛けてきた。
手だけではなく足も使っている動きは武術をたしなんだことがあるものの動き、と言うかこれも滅技だな。どんだけみんな滅技好きなんだよ。
前世の頃はマイナーなはずだったんだけどな……
「獣技、鉄爪」
そう思っていると桃華は爪を硬質化させる技を使って防御力と攻撃力を上げる。本来は力のない獣人でも爪を鉄の様にして相手を切り裂く事ができる技だが、この場面で使ってもあまり意味がないように感じる。
だがそれは俺の間違いで桃華の爪が飛んできた。
「あっぶな!え、今の何?」
桃華の爪は俺の頬をかすめて結界にあたった。
「やっぱりダメか。不意打ちならいけると思ったのに」
よく見ると本物の爪が飛んできたのではなく付け爪のようだ。
なんて少しよそ見をするとすぐ懐に入って俺の腹を掴んだ。しかもただ掴んでいるのではなく爪が肉に食い込んでいるのでかなり痛い。
「いだだだ」
「強いふりをしても結局これじゃ弱いじゃん」
「でも弱くもないんだよな」
後ろに跳んで離れるが桃華の拳が俺の顔面を捕らえた。
その勢いで結界に激突するがオーラを纏ってダメージを軽減。しかし桃華はその隙を見逃さず連続で引っかいてくる。
リルと比べて爪が深く俺の肉をえぐり出してくる事はないが、爪が太いせいか攻撃力は高い。
だがその分非常に大振りな攻撃であり逃げる隙が出来てしまっている。
「相手を確実に仕留めたいならもっと攻撃力を上げるか、隙を小さくしてもっと細かく動けるようにしろ」
そう言いながら俺は振り下した腕の外側を使って脱出。壁際から結界の中央へ戻る。
だがそんな中央にいる俺の事をつまらなそうに桃華は言い放った。
「つまんない」
…………つまらなそうじゃなくてつまらないと言われてしまった。
「それのどこが私と遊んでることになるの?私が一方的に攻撃して耐えきれば勝ち?そんなの私が全然つまんない。そんな感じならやめる」
そう言ってそっぽを向いてしまった。
どうやら本当につまらないからそっぽを向いてしまったようだ。
どうするかと思ったがこればっかりは仕方がないと思い、大きなため息をついた後桃華に謝った。
「すまん。確かにこれじゃつまらないか」
「つまんない。私も本気出すから君も本気出してよ」
「それもそうだな。それじゃ俺も本気出すけど、あとで泣いたりするなよ」
「むしろ泣かしてやる~」
あ~あ。呪い対策で血を流したのが意味なくなっちゃったな~。
なんて思いながら俺は桃華の前に飛び出した。
「え?」
「瞬歩だ。滅技の基礎だろ」
桃華の目には一瞬の間に俺が目の前に来たように感じたのだろう。それが瞬歩と言う技。相手が瞬きをした瞬間に移動するそれだけの手品のような技。
でもこの姑息な技が1対1の状況でかなり有効的に動ける。何せ周りにいる連中の事なんて一切気にせず目の前のたった1人に集中すればいいのだから、複数の敵全員を想定した瞬歩に比べれば非常に簡単だ。
桃華の腹に一発良いのを入れると桃華はその衝撃で飛んだ。
それと同時に俺が桃華を傷付けたとして呪いが再発動。肉体のない狗神達が俺を敵として噛みついてくる。
噛みつかれた俺は物理的とは違う重さを感じ、正確に言うなら風邪をひいて力が出ないような感覚が俺を襲う。
桃華は呪いが再発動したと分かったからかさらに多くの狗神を召喚し俺に襲わせる。
他者から見れば俺はただ立っているようにしか見えないだろうが、先生や理事長となれば俺がどんな状態になっているのか分かっている。
半透明の犬達に体中を噛まれ、そいつらが俺の体の自由を奪っている事に。
しかも呪いはオーラで軽減することは出来るが完全に効果を打ち消すようなことは出来ない。もっとオーラに質量があれば話は別だが、今の俺には無理。
「その状態でも戦えるの?」
桃華がさらに後ろに狗神達を従わせた状態で余裕で言う。
「ああ。戦えるよ」
「そんな重そうで痛そうなのに?」
「残念だが俺は痛みやら何やらには結構慣れてるんだ。だからこの程度、ごり押しでどうとでもなる」
俺は桃華に向かって走ると桃華は少しだけ驚いた。本当にまだ戦えるんだ、動けるんだと言う表情。
少しだけ息を吐き出しながら顔を狙って拳を繰り出すが少し体が重い。物理的ではなく呪いと言う状況が俺の体を重くしている。
この噛み付いた狗神達を振り払う方法は現在俺にはないし、普通の動物に効果のある方法で迎撃する事も出来ない。
だから俺の拳を桃華は簡単に払い、カウンターに拳を俺の顔面に入れる。
だがその程度で止まるほど弱くはない。
それになめた拳で弱いのもありそのまま首に向かって口を広げた。それに驚いた桃華は四つん這いになって飛び出して逃げた。
空振りして歯と歯がぶつかり軽い音を鳴らす。
殴られた事で出てきた鼻血をぬぐいながら桃華に向き直ると桃華はまた驚いていた。
「その戦い方、ヒラって本当に人間?獣人か動物系の妖怪の血引いてるんじゃないの?」
「さぁな。確かめた事はないし、興味もない。続けるぞ」
このままじゃ桃華に俺の強さを見せる事ができない。
だから俺はオーラの収縮を体全体から一部に変えた。両手と両足以外はオーラに守られておらず、完全にむき出しの状態。
だから呪いの正体である狗神達は俺の肉に牙を深く突き立て、呪いの影響をより強固にする。
桃華は俺の行動が愚かなことだと思っているようだがこれはこれで利点がある。
俺は先ほどよりも速く瞬歩を繰り出した。
それと同時に桃華の鳩尾に深く拳をめり込ませ女の子である事を無視して殴った。
「かぁっ!」
空気が口から漏れ出ると同時に少量の血が飛び出す。
本の一滴二滴と言ったところだがそれでも十分俺の攻撃が通用した証拠だ。
「人技、杭」
両手から杭を連続で打ち込み肉体の表面だけでなくもっと深い所にダメージがいきわたるように何度も殴り続ける。
「この!」
桃華が俺を遠ざけるために蹴りを放ってきたのでバク転で避けた。
そしてボクシングのような恰好で構えると桃華は息を切らしながら口から血と唾を床に吐き出した。
「これ女の子にする攻撃?もう少し遠慮するものじゃない?」
「なんだよ。ついさっきは本気でやれって言ってたくせに」
「うん言った。バカじゃないから覚えてる。でもここまで戦えるとは思わなかった。何度も聞くけど、ヒラって本当に人間?」
「人間だよ。弱い人間だ」
「そうか。まぁそうだよね。だって私以上にダメージを負ってるもん」
俺にかけられている呪い。それは桃華にダメージを与えれば与えるほど強力になっていく。
もう俺の周りにいる狗神達は全て歯茎に俺の皮膚が当たるほど深く噛みついている。それは出血だけではなく体力もじりじりと削り取られる。
だからそろそろ俺の体力は底を尽きる。
桃華に負ける。
「そろそろ負けを認めたら?」
「負けを認めるのは問題ないんだが……」
「が?」
「俺は桃華の遊び相手になっているかどうかだけは確認しておきたいかな」
俺の言葉に桃華は笑った。
「本当にそれが目的だったんだ!別にこんな事しなくってももう認めてたって!!」
「ん?そうなのか??」
「そうだよ。だってオーラで軽減していたとはいえ私と十分遊べてたじゃん。それに君、まだまだ本気出してなかったでしょ」
「いや、本気だったけど?」
「あ~これは言い方が悪いのかな?それじゃ言い直すね。殺す気なかったでしょ」
「当たり前だろ?」
確かに俺は桃華の事を殺す気で攻撃しなかった。
だってこれは授業であり、本気の殺し合いをするための場所ではないからだ。
そう言うと桃華はうんうん頷きながら言う。
「だから君は私の遊び相手にちょうどいいの。私の遊びに殺す気で来なくても十分な人、それだけで私の中で遊び相手としての基準はクリアできてるんだよ」
「なんだ。基準をクリアできているんならこんな事しなくて良かったな」
どうやら完全に俺の空回りだったらしい。
そう思うと力がとたんに抜けた。
力なく倒れると呪いも桃華の意思で解除された。
ようやく体中にのしかかっていた狗神達は全て桃華の元に帰り、ただそれでももうこんなことするなよっとでも言いたげな表情と忠告をしてから彼らは帰っていった。
それにしても今回の授業でジャージがボロボロだ。
犬の噛み傷だらけと言うのは滅多に見ない怪我だろう。
親には黙っておくかと思っていると、理事長が無理やり俺を立たせた。
何だろうと思っていると気持ちのいい音が俺の頬から聞こえた。
後からやって来た痛みから俺はビンタされた事がようやく分かった。
そして理事長は泣きそうな顔をしながら叫ぶ。
「そんな自分を犠牲にしながら戦う事を私は絶対に認めません!!」
ああ、この顔だ。
この顔が見たくないから頑張ろうと思ってたんだけどな……
「呪いを完全に解呪できるわけでもないのに自傷行為をし!勝つためだからと言って平然と自分の体を痛めつけるそのやり方は認められません!!すぐにその自殺行為を止めなさい!!でないと本当に死んでしまいますよ!!本当に、死んじゃったら、全部……無駄になるんですよ……」
涙を流しながら言う理事長は感情的に俺の事を叱った。
やっぱり俺は何一つとして変わっていない。
「すみませんでした。なのでもう泣かないでください」
涙を流しひゃっくりを出す理事長の目を見ながら言った。
でも理事長の目には俺が反省している様子はないと思ったのか首を横に振る。
「ダメです。あなたの心に私の声はまったく響いてない。どれだけダメだと言っても、あなたはまた同じことをする。何度も何度も、やめてと言っても聞いてくれない……」
「流石にもう後悔していますから。本当にしません」
「本当ですか?本当の本当に、そう言えますか?」
「もちろんです。授業であとで治療できるからと思って無茶をしてしまいました。もうしませんので信じてください」
「…………なら勝てないと思ったらちゃんと逃げてください。誓ってください」
「分かりました。逃げ勝ちさせていただきます」
まっすぐに、本心だと伝わるように俺は理事長に言う。
少しは伝わったのか涙をぬぐい、それでも目が赤いまま俺の手を掴んだ。
「佐々木先生。彼を保健室に連れて行きます」
「は、はい。お願いします……」
こうして俺は理事長と一緒に保健室に行ったのだった。




