リハビリ開始
その後の桃華は少しだけ明るくなった気がする。
クラスの女子生徒と話をしたり、何かに付き合ったりと以前より行動的になった。
今まで見ていたように自分の席に座ってただひたすらにじっとしているような、周りを傷付けないために自分自身を閉じ込め続けていたような感じはなくなっている。
それにほんのわずかにだが、俺が無理矢理出させたもう1人の桃華も見え隠れしているような気がした。
次の基礎戦闘技術の授業では俺が暗示をかける必要もなく桃華は現れた。
「今日は何して遊ぶ?」
当然結界も張り終わり、何時でも遊ぶ準備はできている。
「そうだな……一応戦闘訓練だし、戦ってみるか?」
「え~。それ今は無理。表の私の方がその辺制限かけてるから全力は出せそうにないんだよね。それにヒラはただの人間でしょ、普通にしてるだけで死んじゃうよ」
「あ、その辺対策できてるから問題ないぞ。いつでもこーい」
そんな軽く言うと桃華は好戦的な笑みを浮かべた。
「それじゃ今日は私が遊んであげようかな」
その笑みは非常に加虐的であり、不気味な雰囲気が漏れ始めた。
それは日本の妖怪だからこそ感じられるものであり、海外のイタズラ妖精などからは一切感じない物。違いを例に挙げると日本のホラーと海外のホラーの違いとでも言うべきだろうか。
海外のホラーと言えば突然化物が襲ってくる、生々しい殺人描写などが上がるだろう。あとは理解できない精神的な恐怖などかもしれない。
しかし日本の伝統的なホラーはいつどこで現れるのか分からない日常の中である事の方が多い。
帰り道に突然誰かが消えた、普段とは些細な違いでしかない微妙な変化、いつもと違う行動をとった故の恐怖などが多い
そんな日本でよくあるごくありふれた表現。ふとした瞬間に背筋が凍った。
これが日本の妖怪の本質でもある。
言い方を変えれば獲物として定めた人間を驚かすために常に狙い、執拗に追い込み、確実に驚かせる。
だから怪談となればいつまでも視線を感じるや、ふとした瞬間に誰かに見られているなどのストーカー被害のような事がよく言われる。
そんな呪いを使う最も簡単な方法は妖怪を使う事。
そして桃華は妖怪である。
しかも狗神とは犬憑きであり、呪う事は大得意である。
「ほら、これだけで怖がってる。そんなんじゃ勝てないよ」
相手を恐れる。それは精神的有利性を取るだけではなく妖怪や悪魔と言う種族にとってはそれはほぼ勝利が確定したと言っていい。
相手を恐怖で飲み込み、手玉に取る事を得意としているからだ。
でもまだ俺は怖がっていないし、妖怪だからこそできる対処法と言う物もある。
俺は隠し持っていたサバイバルナイフを取り出し、桃華とその周囲が警戒する中俺は適当な事を言いながらナイフを握った。
「かしこみかしこみ……なんだったっけな?とりあえず、あなた方に敬意を払いますよっと!」
ナイフを左手の甲に突き刺し、抜いて血をばらまいた。
この光景に生徒達は非常に驚き、先生もまさかそんな事をするとは思っていなかったようだ。
でもこれで狗神と言う名の神に対し、敬意を払い生贄と言う名の対価を払った。まぁ血を流す程度だから大した事ないけど。
あとはそこら辺にナイフを捨てて敵意がない事を更に証明する。
その光景を見た桃華は怯えながら言う。
「ヒラ、自分で何をしたのか分かってるの……」
「自傷行為の1つとでも言った感じかな?この程度布で押さえれば問題ない」
そう言いながら用意しておいた包帯で傷口をきつく縛る。
血は滲んでいるし、まだ血の流れを止めるほどではないがそれでも効果は表れるだろう。
「そんなこと言ってない!!自分で自分を傷付けることに疑問はないの!?」
「ない。それが敬意となるのであればそれでいい」
そう言うと桃華は俺を見て後ずさりした。
しかし桃華の周りにいる狗神達は敬意を払った事に対して満足しているように見える。とりあえず呪いとして俺を攻撃してくる事はなくなった。
肉体のないニホンオオカミや日本犬の姿をした犬の幽霊達は静かに俺達を見守り、俺がどのような行動をとるのか注意深く監視する。
「さて、それじゃそろそろ始めようか」
「始めるって何を?」
「喧嘩だ。桃華、お前の恐怖心は誰かを傷付けることを恐れる優しい恐れだ。誰かを傷付けたくないと言うのは普通に美徳だし、真っ当な精神だ。でもだからと言っていつまでも小さくなって縮こまっているのは不健全だ。だから俺がお前の前に立とう」
「立とう?」
「全力で遊びに来い。虎がネズミで遊ぶように、シャチがアザラシやペンギンで遊ぶように。妖怪が人間で遊べばいい。安心しろ、俺は人間の中でも特に、しぶといぞ」
俺は構えた。桃華と向き合って初めての戦闘態勢。
桃華の方は少し目を閉じて深呼吸をした後、静かにこちらを見ていた。
「確かに、敬意を払っているのは伝わってくるけど、もう少し穏便なやり方はなかったの?」
「なくはないけど……御神酒とか色々用意するのは流石に無理だって。酒隠し持ってきてたら絶対先生に怒られるじゃん」
「それはそうだろうけど、でもやっぱりもうちょっと穏便なやり方が良かったかな~」
そう桃華は苦笑いを浮かべた後、すぐに攻撃してきた。
まだ普通の拳で少し遊ぶ雰囲気がなくなっただけで舐めているのは分かる。
だから右手の拳から外側に逃げて、一切の容赦なく顔面に拳を入れる、寸前で止めた。
「……何で止めたの」
「これでも一応フェミニスト気取ってるから、かな」
「それじゃ敵に女の子が居たらどうするの?本気で殺しに来ても何もしない気?」
「そん時は殺すさ。見ず知らずの他人より近くの女の子の方が大切だ」
「それ絶対フェミニストじゃない!!」
桃華は手を広げて引っかくように俺の顔を狙ったが軽くかわす。
ほとんど動かずに避け続ける俺に桃華は分かりやすく苛立ちを募らせていく。
「それに、今回は呪われないために攻撃できないんだ。攻撃した瞬間呪いは再発動、そんな事分かってて攻撃するわけないだろ」
桃華が用意した呪いはまだ効果が残っている。
あの血はあくまでも解呪ではなく、贄として役目を最低限果たしたに過ぎない。自ら贄を捧げた事により彼らは敬意を払っているっと判断し、今は攻撃してこない。
もし攻撃すれば先ほどの好意は無駄になる。
そして俺の目には見えている呪いの正体、おそらく狗神の中で既に肉体を失った者達。先祖とか元々桃華の事を気にかけていた動物霊達。
そんな彼らに桃華を傷付けないという制約で動いているから攻撃したら約束を破ったとしてさらに強力な呪いをかけられてしまう可能性の方が高い。
だから俺の方から攻撃することは出来ない。今の寸止めだってかなりギリギリンお判定だ。何匹か殴ったんじゃね?っと飛び出す態勢だった。
それに今回は桃華の攻撃に俺がどれだけ耐えられるのかを教えるための試合だ。
ぶっちゃけると呪いありでも問題ないが、呪いにも対応する事ができる事を示せればそれでいいと思ったからな。
ようやく桃華も俺の事を真面目に敵だと思い始めた。
さて、人間のしぶとさを教えてやろうか。




