笑う
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墓参り後。男は出立を考えているようだった。ルナはならばと、旅の支度を始めた。まずは逃げた馬を呼び戻す。魔法を使って森で逃げ延びた馬を見つけた。
「馬くーん。戻ってー」
『嫌なこった』
森で自由に生きていた馬は、ルナの願いを蹴った。だが竜の姿に変身すると素直に言う事を聞いた。馬ごときが逆らえるわけがない。
『竜神さまだと始めからおっしゃっていただければ…』
馬は泣く泣くついて来た。少し可哀そうだったので“駿足”の加護をつけてやった。どんなに駆けても疲れず、どの馬よりも速く走れるはずだ。
鞍や手綱などは“再生”した。真新しい馬具を付けた馬を引いて小屋に戻ると、男は驚いていた。
「どうやって馬を見つけたんだ?」
「竜神さまの力よ」
「…」
事あるごとに竜神の加護だと言っている。彼も怪しんでいるようだが、ルナは気にせずに馬の世話をした。
◇
彼女に助けられてから二月が経つ。その間、一度もお互いの名を呼んだことは無かった。王子は『巫女どの』と呼びかけ、巫女は『ねぇ』とか『ちょっと』などと呼ぶ。2人きりに暮らしはそれで事足りた。
王族として育った己は他人と距離を取りがちだ。それにしても隔たりを感じる。妻の様に世話をしてくれるが、一向に打ち解けない。共に食べないし、雑談もほとんどしない。夜、神殿に帰る彼女を王子は少し寂しく見送る。
(本当は精霊なんじゃないだろうか)
侍女の手入れも無いのに輝く肌と黒髪。竜神の力だと言う魔法の数々。どれも人間離れしている。王子は巫女に魅かれていた。だが容易に近づくのを躊躇う何かが彼女にはあった。
天に助けられた。王子はそう思うことにした。1人で護衛騎士たちの墓参をし、彼は旅立つ決心をした。
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「…そう」
ついに男が出て行くと宣言をした。明日にでも発つと言う。体の傷は癒えたが、ついぞ笑顔は見られなかった。残念だ。
ルナは用意した旅支度を男に渡した。衣服は“再生”した。糧食はマジックバッグにたっぷりと詰め込んである。美味しい水が尽きることなく湧き出る水筒。絶対折れず欠けない剣。路銀は先代の財宝から金貨を数百枚。
「病気や怪我をしたらこのポーション飲んで。すぐ治るから。毒にも有効よ」
100本ほどのハイポーションをバッグに入れておく。使い方を説明していたら、呆然としていた男が口を開いた。
「君は一体何者なんだ!?こんな沢山のマジックアイテムを…」
「竜神さまのお恵みよ。もらっときなよ」
「その竜神さまに礼を言いたい。お会いすることはできないか?」
ルナが伝えておくと言っても、男は直接会うことを望んだ。結局魔法の鏡越しに会うことになった。ややこしいことになってしまった。
◇
王子は地下の大神殿に連れてかれた。そこに竜神が住んでいると言う。しかし今は留守で、そこにある魔法の鏡で竜神と会うことができるそうだ。
見渡す限り金銀財宝の山だった。王子は絶句した。何年かけて集めたものなのか。巫女は大きな鏡の前で立ち止まった。
「偉大なる竜神さま~。お姿を現したまえ~」
怪しい祝詞を唱え手を振る。すると黒い竜がそこに映った。王子は跪いた。頭を深く下げ敬意を表す。
「黒龍よ。命を救っていただき、ありがとうございます」
「…」
黒龍は無言で王子を見つめる。
「また多くの宝物を賜りましたこと、感謝いたします。この御恩は決して忘れません」
「…」
あまりにも反応がない。すると巫女が代わりに喋り始めた。
「気にすることはない。元気で。…と竜神さまは言っておられます」
胡散臭い。本当は竜などいないのではないか。王子は疑ったが確かめることもできない。竜神の声を聴くことは出来ないまま、巫女は謁見を打ち切った。
「お疲れさま。帰ろうか」
「君はここで暮らしているのか?寂しくはないのか?」
財宝の山の間を歩きながら問う。薄暗い地下空間に乙女が1人。変だ。
「うーん。竜神さまがいるし。たまに人里にも行くし。でも…」
巫女は王子を見上げた。
「あなたがいなくなったら、きっと寂しい」
黒い瞳が彼を射る。王子は思わず巫女の名を訊いた。
「君の名を知りたい」
「ルナよ。あなたは?」
「ジョン」
まるで初対面の様な会話だ。ジョン、と言って彼女は笑った。花のような笑顔だった。
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そう言えば男の名を知らなかった。ジョン。犬の名前みたい。ルナは笑ってしまった。そしたらジョンも笑った。びっくりした。
(私が笑わないから、あっちも笑わないんだ)
簡単なことに初めて気づく。100年生きてもまだまだだ。もうお別れだと言うのにやっと笑顔を見られた。
その夜は別れの宴としてルナはジョンと夕食を共にした。食事を摂る必要は無いのだが、人間らしいことをしてみたかったのだ。翌朝、馬に乗って旅立つ彼を見送る。
「元気でね。ジョン。またね」
「ルナも元気で。また会おう」
ジョンと再会を約束する。2人とも笑顔だ。
「会いに行くよ。王都だっけ?ジョンのうち」
「…ああ。待っているよ」
彼はじゃあと言って去っていった。楽しい“お世話”生活だった。ルナは満足だった。また数年寝て起きたら彼に会いに行こう。そしてあの素敵な笑顔を見せてもらおう。