弔う
◇
男が目を覚ますと、そこは質素な小屋だった。体中が痛い。生きているのが不思議だった。戦闘中に崖から落ちたことは覚えている。あれからどれぐらい経ったのだろう。
「起きた?気分はどう?」
急に横から女の声がして飛び上がるほど驚いた。しかし体は動かず、実際は首を向けることしかできない。
「痛い?痛み止め飲む?」
寝かされた男を黒髪の女が覗き込む。誰だ。問おうにも喉が枯れて声が出ない。女はそれに気づいて、陶器の吸い飲みを差し出した。渇きに耐えられず男は飲んだ。薬湯が入っていた。
「ここは…」
竜の神殿跡だと女は言った。逃げるうちに国の東端に来ていたらしい。他に仲間がいたはずだ。見なかったかと訊くと、生き残ったのは己1人だと告げられた。男は絶望し、目を閉じた。
◇
数分後、何とか目を開け女に礼を言った。黒い髪に黒い瞳の若い娘だ。
「助けてくれて、ありがとう。君は?」
「巫女よ。竜神に仕えてる」
神殿はとうに無いが、代々巫女が跡を守っているそうだ。彼女が崖下で男を見つけ、ここまで運んだとか。女の力では大変だったろう。しかし娘は
「大丈夫。竜神さまが運んだから」
と事も無げに言った。冗談かと思った。そして男に温かいスープを匙で食べさせてくれる。男の名も事情も訊かない。その優しさに涙が出そうになった。
♡
思った以上に男は傷ついていた。笑顔は当分見られそうにない。少しばかりの食事を取り、彼は眠った。ルナは小屋を離れた。戦場に瞬間移動する。
人間と馬の死体は大分カラスにやられていた。せめて埋葬してやろうと魔法で浄化と再生を施す。皆、若く体格の良い騎士だった。
(安らかにお眠りください…)
獣に掘り返されないよう深い穴を掘り、祈りながら一人一人埋めた。その上に切り出した岩を置いて墓石とした。遺体の特徴も覚えたので、後で名前が分かったら彫ろう。墓は全部で22基になった。ルナが起きている間は花を供えたりしよう。そうだ、彼も墓参りができたら喜ぶかも。歩けるようになったら連れてこよう。
お世話計画に“墓参り”を加え、ルナは小屋に戻った。
♡
男を“お世話”する生活が始まった。1日1回、傷の手当てをして包帯を巻き直す。3回、食事を食べさせる。数回、床擦れができないように体位を変える。排泄だけは男が頑として自分ですると言うので、トイレまで歩くのを介助した。
ルナは毎日が充実していた。何をしても男は律儀に礼を言う。素直に嬉しい。少しずつ少しずつ怪我も癒えていく。やりがいを感じる。竜となって100年。こんなに楽しい日々は初めてだった。
しかし1ヵ月も経たないうちに、男は介助なしに動けるようになってしまった。包帯は取れ、今は落ちた筋肉を取り戻すために森を歩いたりして体を動かしている。ルナの仕事は食事を用意し、部屋を整えるぐらいだ。彼の回復は喜ばしいが少し寂しさも感じる。
(子が巣立つ時の親の気持ちって、こんな感じ?)
別れの時も近い。ルナは男と墓参りに行くことにした。
◇
「お墓参りに行こう」
突然、巫女が提案してきた。男は驚いた。
「墓?誰の?」
「あなたの仲間の。もう歩いて行けそうだから」
ますます驚いた。仲間の墓があったとは知らなかった。この神殿跡に他の人間はいない。まさか彼女が1人で建てたのだろうか。訊くと「そうだよ」と言う。男は信じられなかったが、2人でその墓に向かった。
◇
小屋から歩いて半日ほどの所に墓はあった。そこは男が落ちた崖の上の開けた場所だ。戦の跡は既に無い。下草の中に22の墓石があった。
「右から背の順に埋めたの。名前教えてくれれば、彫るから」
巫女は故人の特徴を言った。一番身体が大きな騎士。髪は赤毛だった。
「名は…」
震える声で男はその騎士の名を言った。巫女が手を振るとそれが墓石に刻まれた。魔法のようだった。
『ノルド・ネッガー 王国騎士 ここに眠る』
なぜ騎士だと分かったのか訊くと、皆立派な鎧を着けていたと言われる。王国の旗も落ちていたとも。巫女は次々と墓石に騎士たちの名を入れた。男は彼女が魔法を使うところを初めて見た。
「君は魔法使いだったのか?」
「竜神さまの力よ」
しかしその竜神を一度も見たことが無い。巫女のふりをした魔女なのか。全ての作業を終えると、彼女は道々摘んできた花を供えた。そして祈る。
(何でも良いか。こんなに…)
優しいのだから。男も跪いて祈った。己を守る為に散った護衛騎士たちの冥福を。
◇
男は王国の王子だった。三番目の気楽な立場だった。長兄と次兄の王位争いに巻き込まれるまでは。
ある日、長兄が毒殺された。その罪を次兄は第3王子に擦り付けた。いきなり謀反人にされた彼は逃げた。主の無実を信じてくれた護衛騎士は22名。皆死んでしまった。己はこれからどうすべきなのか。次兄が王位を継ぎ、第3王子を血眼で探しているだろう。
(このままここで静かに暮らす?)
王子は隣で祈る娘を見た。とても魅力的な未来だ。だが。いつかきっと見つけられる。この美しい娘も殺される。
「じゃあ帰ろうか」
巫女は立ち上がり、王子に手を差し伸べた。本当はもうとっくに傷は癒えている。その温かい手を離し難くて、ズルズルと居続けているのだ。