装う
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「午後6時51分。ご臨終です」
あの藪がルナの死亡宣告をした。確かに脈も心臓も止まった。解呪に力を注いでいるからだ。
「そんな…ルナ…」
ジョンが彼女の手を取り呆然とする。体温の維持もできていない。冷たいはずだ。ネッガー将軍夫妻も臨終に立ち会っている。
侍従が王を呼びに来た。何かあったようだ。ジョンは部屋を出た。気を失いかけた夫人を連れて将軍も去る。ルナの顔に白い布が掛けられた。侍女たちも下がってしまった。
(待ってー!まだ生きてますー!)
不死鳥じゃないから火葬は困る。ルナは焦りまくった。火葬場で変身が解けたら大惨事だ。
1人残った剣聖が近寄ってきて、布をめくった。
「おい竜神。生きているんだろう?」
ルナは僅かに使える魔法で灯された蝋燭の炎を点滅させた。イエス。
「何故人間に交じっているのか知らんが。どうする?このまま死んだフリを続けるか?」
炎を激しく揺らめかせる。ノー。
「だが普通は生き返らんぞ。某が遺体を引き取ろう。15年ほどしたらまた来ればいい」
生まれ変わったとか何とか言って。悪くない案だ。イエス。
「もちろん金は払ってもらう」
不承不承、イエス。ルナの正体を知る剣聖に全て任せ、今は解呪に集中することにした。
◇
ジョンは涙を堪えて仕事に戻った。今回の件で隣国と摩擦が生じているのだ。
元王妃の身元は知らなかったと言い張る。王女を返せと抗議する。ついでに過去の係争地を返還しろとか、賠償金を払えとか、言いがかりにもほどがある。
「…いっそ消すか」
物騒な独り言が出てしまう。
「それも宜しいかと」
ネッガー将軍は同意した。娘のようなルナを失い夫人は寝込んでいる。
「その前に王女に帰ってもらいます。向こうの返答次第では宣戦布告をしましょう」
宰相の目が座っている。だがまだ攻め入るには早い。
あの国は狡猾だ。テロの証拠さえあれば大儀名分が立つものを。怒りを押し殺し、王は交渉を命じた。
◇
剣聖がルナの遺体を故郷に送ると申し出た。地下神殿の墓所に安置するそうだ。出立前、ジョンは最後の別れをした。
「ルナ…」
冷たい頬を撫でる。呪いの模様は消えている。
人でなくとも良い。ルナを妃に迎えるつもりだった。2人で王子の成長を見守りながら、末永く共に暮らしたかった。いや、生きているだけで良かった。数年に一度、ふらりとやってきてくれたら。
(あと何年生きるか分からんが。待っていてくれ)
まるで眠っているかのようなルナに口付ける。今生の別れだ。ジョンはいつまでも馬車を見送った。
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びっくりした。一瞬目が開きそうになった。喉に毒リンゴが詰まっていたら取れただろう。馬車が王都を出たのでルナは起き上がった。
「お熱いことだな」
御者の剣聖が冷かす。
「いやー。こっちの人って友達にもするんだね。ああいうの」
「阿呆。好いた女にしかせんわ」
剣聖とは先代の財宝目当てに挑まれて以来、長い付き合いだ。人間の感覚が薄れがちなルナを正してくれる。
「じゃあ、ジョンは私が好きなの?」
「本人に訊け。あまり待たせると老いてしまうぞ」
年を取ったジョンもきっとカッコいい。ザ・王様って感じのイケオジになるだろう。でも悲しませてしまった。早めに戻ろう。その頃には王子殿下も大きくなっているはずだ。
適当な所で馬車を降ろしてもらった。剣聖は暫く自宅に戻ると言う。お礼は後で送ると約束してルナは神殿に転移した。久しぶりに竜の姿に戻り、失った力を取り戻すために眠った。
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目が覚めると、たった1年しか経っていなかった。最短記録だ。ルナは恒例の俗世チェックをした。魔法の鏡で森を映す。異常なし。落ちてる人間も無し。次に王都を映す。
「?」
何となく人々の表情が暗い。また不幸があったのか。だがルナは死亡済になっている。乗り込んだらお化けだ。不安な気持ちで城内に切り替える。すると物々しい鎧姿の伝令がひっきりなしに出入りしていた。
立って歩く王子も見えた。すっかり大きくなっている。もう2歳か。ネッガー夫人と楽しそうに遊んでいる。良かった。
(ジョンは?)
城内には見当たらない。騎士団の訓練場に剣聖がいたので、念話を送ってみた。
『マスター』
『竜神か。早い目覚めだな』
『ジョンは?』
『国境だ。やっと向こうの王との会談が整ったところだ』
『ふうん。ありがとう』
ルナは鷹に頼んで目を貸してもらった。すぐに空からの国境付近の映像が鏡に映る。そこは戦場と化していた。
◇
会談は罠だった。隣国の王が待つという天幕に入るなり、ジョンは敵に囲まれた。
「赤いマントの男がジョン・シャルル王だ!殺せ!」
1年もかけた交渉は何だったのか。逃げながら腹が立って仕方ない。無傷で自軍の陣地に戻ったものの、そのまま戦闘に突入してしまった。少数の騎士しか連れてきていない。剣聖に鍛えられた騎士たちは強かったが、あっという間に劣勢に立たされた。
(ここまでか)
いやまだだ。必ず活路はある。内戦を勝ち抜いたのは伊達ではないぞ。ジョン・シャルル王は自ら剣を振るい、敵に立ち向かった。