婚約破棄された酒場の看板娘ですが、なぜか目ぢからの強い騎士様に「挽回の機会を与えてくれ」と懇願されてます
突発的に書きたくなって書いた短編です。
私は今、何を見せられているんだろう。
「ユリア! 君との婚約は破棄させてもらう!」
見覚えのあり過ぎる金髪の男が、私と同じ酒場で働いているナタリアの腰を抱いて何か言っている。何の感情も持たずに見れば、まあ美男美女のお似合いの二人だ。
「僕はナタリアという真実の愛を見つけてしまったんだ……!」
うわあ、でた。最近流行りと噂の「真実の愛」。じゃあなんだ、私との愛は偽物だったのかな。
この人、同じ口で私に「永遠に愛する」って膝突いてプロポーズしてた気がするんだけど。随分一瞬だな、永遠。
「真実の愛だなんて嬉しい、レナート!」
ナタリアは悪びれもせず、ついさっきまで私と結婚する予定だった騎士団に所属するレナートに大きな胸を押し当てて抱きついている。こちらも金髪なので、二人並べると色素が薄い。
「しかもこんな高そうな指輪まで! レナート、大好き!」
ナタリアの指にはまっているのは、大きな石が付いた、明らかに高価そうな指輪だった。某有名宝飾店の特徴である王冠を模した台座が付いている。王都で今話題の指輪だけど、一介の平民が買えるような代物じゃなかった筈だ。
レナートは騎士団所属とはいえ、平民だ。どうやって手に入れることができたんだろう。
「ははは、ナタリアの為に奮発したよ!」
「こんなに愛されているなんて、嬉しい!」
ナタリアは、悪い子じゃない。ただ、ちょっとばかり考えるおつむが不足気味の子だった。天真爛漫と言えば聞こえはいいけど、この明るさで他人の恋路を無自覚に壊しまくってきた経歴を持つ。
レナートには注意喚起していたけど、しょせんこいつも男か、と私はナタリアよりも小さめな自分の胸を見下ろした。触らせたことはまだない。一応結婚してからが、この国の常識だったから。
「愛しいナタリア、これで僕たちは幸せになれるよ!」
私はまだ返事もしてないのに、話終わらせたよこいつ。
二人の話題は、いつ結婚式を挙げるかとか、二次会で私とナタリアが看板娘を務める酒場でやろう、とかあり得ない内容に移っていた。
嘘でしょ。そこまで無神経? 浮気されて振られた上に給仕もさせられるの? ないわー。
なんか色々衝撃的過ぎて涙のひとつも出てこない。でもこのままだとまずい、というのだけは分かった。
なけなしの貯金で買った、花嫁衣装。結婚したらレナートの家に住むからと、処分を始めてしまっていた家財道具。家の賃貸契約も、今月末までで終わりにしていた。結婚式は教会の予約を取っていたけど、あそこはまあ菓子折りでも渡せば大丈夫だろう。唯一の安心材料だ。
仕事は続けるつもりだったけど、このまま働き続ければ、確実にこいつらの二次会の給仕をする羽目になる。さすがにプライドが許さない。
つまり、早急にお金が必要!
平民とはいえ騎士団の給料は、多分普通の平民より上なんだろう。高価な指輪も買えているし、ほぼ毎日酒場に飲みに来られるくらいだから、多少の貯金はある筈だ。
――よし。
「レナート」
「ん? なんだいユリア。お祝いの言葉をくれるのかな?」
やらねーよ、という言葉がギリギリまで出かかった。
私は散々レナートが「綺麗だ」と褒めてくれた濡羽色の髪をかき上げながら、極力何でもないように言った。
「手切れ金。最低お給料三ヶ月分よ」
「えっ」
何故驚く。
「そりゃそうでしょ? 浮気して同僚に手を出して、一方的に婚約破棄して。こっちは色々準備してたのに、全部無駄になったのよ?」
ずい、と更に手を出すと、レナートの顔が歪んだ。
「だけど、僕は真実の愛をっ」
知らねーよ。
「私と結婚する予定だったのに直前で別の女に鞍替えした上に手切れ金も渡さないなんて噂が広まったら、貴方の評判はどうなるんでしょうねえ」
私は知っている。こいつが見栄っ張りだってことは。
そんな情けないところも含めて……好きだったんだけどな。
「い、今すぐには……っ」
「今週中に店に持ってきて」
「う……っわ、分かった」
焦り顔で小刻みに頷くレナートの横で、ナタリアが「ユリア、お祝いしてくれてありがとう!」と笑っていた。
祝ってねえよ。
そう言えたらよかったのに。
こんな時まで意地っ張りの私は、狭いひとり暮らしの家に帰ってから枕をぐしょぐしょに濡らすことしか、できなかった。
◇
賃貸契約は、「もう次が決まっちゃったのよねえ」と断られてしまった。これは早急に次を探さなくちゃ、と職業斡旋所に住み込みで働けるところを探したけどなかった。……まずい。どうしよう。
そして今週は終わるという日、それまで毎日来ていたレナートの姿がない。
騎士団員たちが飲んでいる席の隙間に挟まってないかなーと時折見てみたけど、やっぱりいない。あいつまさか、払わない気じゃ。
今日はナタリアが非番なので、まさかとは思うけど二人でいて私の存在を忘れて――あり得るな。あの二人ならあり得る。
踏み倒されたら、路頭に迷うことになる。今は職があるけど、このままいくと本当に二人の二次会の給仕をしなくちゃならなくなる。
プライドか金か。……考えたくない。
はあーと溜息を吐きながら、賑やかに飲んでいる騎士団員たちの席へ、空いた食器を下げにいった。
と、ひとりの騎士団員と目が合う。黒髪のそこそこ美形だけど、いつも無表情で無口なのでよく分からない人だ。名前なんだっけ。
しばらく私をじっと見ていたけど、急にグッと眉間に皺が寄った。なに、なになに。
すると、思いもよらない言葉が彼の口から出てきた。
「……どうかしたのか? 表情が浮かないようだが」
「え? 私ですか?」
突然話しかけられて周りを見渡したけど、私しか立っていない。
「そう、ユリア。君に聞いている」
しまった。向こうは私の名前を知っているのに、今更お名前なんですかなんて聞けない状況になってしまった。
「その……今日はレナートは来てないのかな、と」
「レナート? ……ユリアはあいつと関係があるのか?」
この人、噂に疎いのかな。それともまさか考えたくないけど、レナートは私のことを騎士団の仲間に話していなかったんだろうか。
「ええと、その……もう関係なくなったんですが、まだ少し残っているというか」
「……まだ少し残っている? 一体どういうことだ」
ギッと睨まれてしまい、私はビビった。ただでさえ一般人より立派な体躯なのに、いくら美形とはいえほぼ初めての会話で睨まれたら、そりゃあ怖いだろう。
「――詳しく話を聞こうか」
なぜそうなるんだろう。だけど私は仕事中だ。
「いやあその、まだ仕事中でして……」
客は大分はけたけど、まだ食器類の片付けが大量に残っている。
「終わるまで待っている」
有無を言わせない雰囲気に、私は目を見開いたまま頷くことしかできなかった。
◇
黒髪の美形だけど強面騎士は、言葉通り私の仕事が終わるまで姿勢よく座って待っていた。そういえばこの人、いつもひとりだけピシッとしていたから「飲みに来た時くらい寛げばいいのに」なんて思ったものだ。
「あの、お待たせ致しました」
「では家まで送りながら聞こう」
スッと立ち上がると、大きい。首が突っ張るくらい見上げないと、顔が見えない。
「いや、そこまでしていただく訳には」
「夜道は危険だ」
きっぱりと言い切られてしまった。こりゃ断れないやつだ。この人が平民か貴族かも分からないし、花形の騎士団所属なのは間違いないので、事を荒立てないよう私は素直に従うことにした。
「では詳しく話を聞かせてくれ」
やっぱり言わないといけないのか。嫌だなあ。できたら頭を殴ってでも忘れたい記憶なんだけどなあ。
「騎士様が聞かれても、いい気分はしないかと」
「俺のことはマキシムと」
いきなりそんな親しげでいいの? と思わずビビって見上げると、彼は目力たっぷりの黒い瞳を私に向けた。
「マキシム」
しつこい。
「さあ、マキシムと呼んでくれ」
分かった。分かった、言うから。
「マ……マキシム、様」
すると黒髪の騎士、マキシム様が薄らと目を細める。なにその満足したって顔。
「様、は少し余計だが、まあいい」
何がいいんだろう。
突然マキシム様の目がギン! と見開かれた。怖い怖い、怖いってば。
「それで、何がどうしたのか詳しく説明してもらおうか」
これって尋問だよね? 言わないと怖いやつだよね?
「じ、実は……」
マキシム様の目力に負けた私は、レナートに積極的に来られて恋人になり、いよいよ結婚間際というところで同僚に奪われたこと、今流行りの高い指輪を贈っていたから本気だろうこと、家の契約が今月一杯で非常に拙いこと、レナートに手切れ金を要求した期日が今日なのに現れなかったことも洗いざらい喋った。
あの圧の前では、私の口は軽くなった。だって怖いんだもん。
「――以上です」
全てを聞き終わったマキシム様が、頭を抱えている。衝撃的すぎたらしい。
「大丈夫ですか?」
どちらかというと私の方が大丈夫じゃない筈だけど、尋常じゃない様子に思わず声を掛けた。
「俺の監督不行き届きだ……申し訳ない」
ということは、まさかこの人、レナートの上司かな?
「いやしかし、これは由々しき問題だ。早急に調査せねば」
「え? あのー……」
黒い騎士服の袖の間から、マキシム様がようやく顔を出す。調査って何をだろう。
この国の騎士団は複数あって、その内レナートの所属している騎士団は黒の騎士団と呼ばれていた。担当は城周りの治安らしい。
ちなみに巡回中のレナートに「髪が綺麗だね」と声を掛けられて、この酒場に勤めていると教えたことから、レナートとの付き合いは始まった。
そこから黒の騎士団の人たちがうちの酒場によく出入りするようになった経緯がある。
その集団の中にマキシム様もいたけど、会話をするのは明るいレナートや他の人ばかりで、マキシム様はいつも寡黙に酒を飲んでいただけだった。
レナートに聞くと「あの人? うん、同僚同僚!」て言ってたから信じていたけど、まさか同じ騎士団にいる人っていう広義の意味だったのかな。
仕事中に沢山話しかけられて、ユリアは綺麗だねって褒められ続けたら、いつの間にかレナートを好きになっていた。屈託のない笑顔が、好きだった。
ナタリアにも、髪が綺麗だねって褒めてたのかな。ていうか、よく考えたら二股掛けられてたってことじゃない。ずっと裏切られている間、私は結婚だって浮かれてたんだ。
考えたら、悲しくなってきた。馬鹿みたい。
「ユリア」
足元を見ながら歩いていたら、いつの間にか目の前に革のブーツがあった。マキシム様が私の前に立っているんだ。
マキシム様が、私の両肩を壊れ物に触るかのようにそっと掴む。
「聞きにくいことを尋ねるが、レナートに汚されてはいないだろうか」
遠慮ないな、この人。
「……それは大丈夫です。何度かは誘われましたが、結婚するまではと断ったので」
自分で言って、気付く。ああ、多分これがナタリアにレナートを取られた理由なんじゃないかと。そっか、そうだよね、だからか、なんて納得する。
だって私は、ちゃんと大事にされているって信じたかったんだもん。自分の欲よりも私の意思をきちんと守ってくれるそんな人と結婚したら幸せになれるって、そう思っていたから。
とうに死んでしまった両親は、仲のいい夫婦だった。「自分勝手な男は駄目だからね、分かったユリア!」といつもお母さんが言っていた。「お父さんみたいな男にしなさい」と、無口だけどひだまりのように穏やかだったお父さんを引き合いにして言っていたから。
「よかった……っ」
マキシム様が眉を下げ、ホッとした笑顔を見せた。
え。
突然現れたかっわいい笑顔に、私の心臓が飛び跳ねる。うわ、この人笑うとすごい可愛い。驚いた、と目を見開きながら見上げていると。
「俺のせいだ。だけど、最悪なことになっていなくてよかった……!」
いや、十分最悪ですけどね。もうすぐ家なくなるし。早く次の職を探さないと、二人の結婚式の二次会で給仕することになるし。
マキシム様は「よかったよかった」と頷き続けている。それで気付いた。そうか、自分の部下が不祥事を起こしたから、それで心配しちゃったのかな?
真面目な人なんだな、多分。
マキシム様は私の肩を掴んだまま、真剣な顔になる。
「ユリア、事情はよく分かった」
「はあ、そうですか」
と、マキシム様が目力たっぷりに告げた。
「後は全て俺に任せてほしい」
「はい?」
代わりに手切れ金を徴収してくれるのかな。それはありがたいはありがたいけど。
「恥ずかしがって部下に調査を託した俺の落ち度だ」
「え? なにをです?」
突然マキシム様が私の前に片膝を突いた。はああ!?
目力を込めながら、片手を自分の胸に当て、もう片方の手を私に伸ばす。
「ユリア」
「あ、はい」
「俺に挽回の機会を与えてはくれないか」
いや、ちょっと意味が分からない。挽回もなにも、今日はじめて喋ったよね。
「あの、ちょっと意味がよく分からないんですが」
「では、ゆっくりでいいので分かってもらえるよう努力する」
「はあ……?」
あれかな、部下の再教育かな。それは是非やってもらいたいかもな。
「機会を与える、と言ってくれ。頼む」
だから目力。
「き、機会を与え……ます?」
「……ありがとう、ユリア」
ほわりと笑ったマキシム様は、私の手を取ると手の甲に柔らかい唇を押し当てた。
◇
数日間、黒の騎士団の人は誰も店に来なかった。
あれは一体何なんだったんだろうなあと思ったけど、本人に会わない限り確かめようもない。
「なんだか最近事件が起きたみたいでえ、レナートが泊まりにきてくれないのお」
というナタリアの言葉で、黒の騎士団が忙しくしているということと、やっぱりレナートはナタリアと深い関係になっていたんだな、と知る。
ナタリアは何を思ったか私に「ねえ、衣装はどんなのが似合うと思うー? うふふ」と無邪気さ全開で聞いてくるので、とりあえず店は辞めなくていいと言われていたので耐えていたけど、そろそろ限界突破しそうだった。ひとまず一発殴らせろ。
荒ぶる拳をなんとか抑えつつ、酒場でいつものように忙しく働いていると、マキシム様たち黒の騎士団御一行様が入店してきた。久しぶりに姿を見て、何故か安堵を覚える。
レナートも一緒だけど、いつもの華やかさが欠けて見えるのは気のせいかな。
こってり絞られたならざまあみろだな、と少しだけ溜飲を下げた。
「いらっしゃいませえ!」
ナタリアが甘ったるい声を出す。これで大体の男性客の鼻の下は伸びるのだ。私はこれがどうしてもできなくて、彼女が客とおしゃべりをしている間にキビキビと働く方を選んだ。
騎士団は格好いいとかなんとか、ナタリアが褒めまくっている。騎士団員のみんなは、まんざらでもなさそうに笑っていた。
すると突然、ナタリアが俯きがちのレナートの腕にしがみつく。
「実は私、レナートと結婚するんですう!」
ナタリアが宣言した途端、騎士団員だけでなく、常連客たちがナタリアとレナートを一斉に見た。
私のことは、誰も見なかった。……あれ、私のことは、やっぱり内緒にしてたの? 確かに店では付き合っている素振りは見せないようにしていたけど。
ざわざわと、不穏な雰囲気が漂う。ナタリア目当てに来ている客が多いからだ。だけどナタリアは気付かない。気付けるような子じゃないのだ。
それは嬉しそうに満開の笑顔を浮かべている。
「結婚式の日程が決まったら、騎士団の皆さんも祝って下さいねえ!」
すると、レナートが慌ててナタリアを止めに入った。顔面は蒼白になっている。……本当にどうしたんだろう。
「ナ、ナタリア! 実はそれなんだけど!」
「今、黒の騎士服に映える白い花嫁衣装を考えていてえ、ああすごく楽しみ!」
そんな張り詰めた空気の仲、マキシム様が目線と仕草で「飲み物を」と私に合図してきた。内心「近寄りたくないなあ」と思いながらも、飲み物をお盆に載せて運ぶ。
「……失礼します」
「ありがとうユリア」
マキシム様は立ち上がるとお盆から飲み物を自ら取り、全員に配っていった。私をちらりと見た目尻が、少し楽しそうだったのは気のせいかな。
グラスを手に持つと、朗々とした声で音頭を取る。
「それでは諸君、レナートの門出を祝い、乾杯!」
騎士団員たちはグラスを掲げると、マキシム様に続いた。
「かんぱーい!」
「か、乾杯……」
最後の遠慮がちなのは、レナートだ。いつもの軽い明るさはどこにいったんだろう。
ナタリアは、「きゃー! マキシム様に乾杯の音頭を取ってもらえるなんて感激!」とか言ってはしゃいでいる。この子、マキシム様の名前知ってたのか。さすがだ。
黒い服の男たちは一斉にグラスに口を付けると、ゴ、ゴ、と勢いよく飲んでいく。
だけど、よく見るとレナートだけが飲んでなくて、肩を縮こまらせて座っているじゃないか。
一気に呑み干したマキシム様が、グラスをドン! とテーブルに置いた。手の甲で勇ましく口に付いた泡を拭うと、レナートを悠々と見下ろす。
「彼女と結婚するのか? レナート」
「え、ええと……」
レナートの声が小さい。どうも涙目になっているように見えるんだけど、本当に今なにが起きているんだろう。
「誰と結婚しようと我々は構わんが、黒の騎士服は明日返却以降は使用できないぞ」
「わ、分かっております……!」
ん? 返却? どういうこと? 首を傾げながらマキシム様の横顔を見上げると、今度は確かに口の端があがったのが見えた。
「しかし剛気なことだ。これから職探しもせねばならないというのに」
「職探し? 何のことですう?」
ナタリアが可愛らしく首を傾げる。
それに対し、マキシム様は目力たっぷりの顔で答えた。
「以前から、黒の騎士団の月の予算が足りていなくてな。経理係から調査要請がきていたんだ」
「予算って何ですう?」
「国から騎士団に支給される経費の前払いだ。毎月その中でやりくりをし、余剰は翌月に回すことができる」
へえー。そういう仕組みなんだ、と心の中で頷く。
「だが、十分足りるよう予算を組んでいる筈なのに、何故か毎月ぎりぎりだった。そこで密かに調査をしていたところ、とある宝飾店に月賦が支払われ続けていたことを突き止めた」
「月賦って何ですう?」
「分割払いのことだな」
「マキシム様、物知りい!」
マキシム様の目が、スッと細められた。温度は感じられない。怖いよこれ。ナタリア、なんでにこにこできるんだろう。すごいよあんた。
「店の方に問い合わせたが、守秘義務の一点張りでな。仕方ないので、多少脅してみせたら、ようやく教えてくれたよ」
カチカチ、という音が聞こえてくる。何かと思って音源を探ると、レナートが小刻みに揺れていた。レナートの歯が鳴っているらしい。顔色も真っ白だ。
マキシム様が、ナタリアの前に立つ。
「レナートが君にあげた指輪は持っているかな?」
「ええ! 傷が付いても無くしても嫌だから、紐に通して首からぶら下げているんですう!」
ナタリアはそう言うと、豊満な胸の間から紐が通された指輪をポンと出してみせた。指輪が隠れるってすごいな。ちらりと周りを見ると、男たちはみんなナタリアの谷間を鼻の下を伸ばして凝視している。
ただひとり、マキシム様だけは、何故か眉間に深い溝を刻んでいた。私の視線に気付くと、ほわりと笑う。――はうっ! 突然の笑顔は駄目! 心臓破れる!
マキシム様は再び真顔に戻ると、淡々と続けた。
「では、そちらを返却してもらおう。今日はそれを引き取りにレナートも連れてきたのだ」
ナタリアは驚いた顔になると、手の中に指輪を包み込む。
「えっ! 嫌ですよう! これは私がもらったものなんですからあ!」
ここまで聞いても、ナタリアは気付いていないらしい。その指輪を買う為に、レナートが騎士団の予算を横領していた事実に。
マキシム様が、残念そうに言った。
「黒の騎士団内の不祥事ということで、指輪を返却しレナートを退団させることで済まそうと思っていたのだが、それでは仕方ない」
「ま、待って下さい団長……!」
レナートがガクガク震えながら立ち上がる。隣のナタリアの肩を掴むと、ナタリアを揺すぶった。……ん? 団長?
「ナタリア、頼む! それを団長に渡してくれ! でないと僕は、僕は……!」
表情を変えないまま、マキシム様が後を続ける。
「退団は自主退団から追放に、横領は立派な罪なので裁判が終わるまでは牢屋行きとなる。国の財産をだまし取ったんだ、刑罰は免れないだろうな」
「すみません! 団長すみません! ほんの出来心だったんです!」
レナートが地べたに座り込むと、額をつけて謝り始めた。そんなレナートを見るマキシム様の目は、冷たい。
「ほんの出来心で、俺が気になっていた女性について調べてきますと言って、手を出したのだろうな」
「――ッ!」
レナートの身体が、痙攣を起こしたかのように震え出す。
「ほんの出来心で、彼女も団長が気になっているようですよ、と俺に嘘を吐いたのだろうな」
「う、嘘などは……!」
「彼女から、全て聞いている」
彼女って誰だろう。それにしても、気になる女性に声をかけられないなんて、マキシム様は見た目の割に初心なんだな。可愛いの。
マキシム様に想い人がいるとは知らなかったけど、残念だけど祝福してあげたいな。残念……ん? 残念?
「お前が真実の愛だと別の女を選び、あまつさえ彼女の前で指輪を見せつけたのも、全て聞いた」
ん?
「手切れ金で済ませてあげようという彼女の思いやりすら踏みにじり、期日が過ぎた今も払っていないことも、知っている」
ん? んん?
「俺はもう人の手を介さず、自ら想いを伝えていくことを決めた。これは手始めにすぎない」
んんん? 何故マキシム様はレナートに話しかけながら私を見ているのかな?
マキシム様は再びナタリアを見る。
「未来の旦那が罪人でもいいのなら、その指輪は持っておくがいい。選ぶのは君だ」
「え……っええええっ!」
ようやくナタリアも理解したらしく、慌てて指輪を首から外し始めた。それを別の騎士団員が受け取ると、布に包んで「行ってまいります」と立ち去る。素早い。
マキシム様は満足げに頷くと、「他に言いたいことは?」と二人に尋ねた。
「尚、手切れ金については俺から彼女に払っておく。我が家の使いが取り立てに行くので、用意しておくように」
「ひいっ! 申し訳ありません……っうああああっ」
と泣きじゃくるレナートと、呆然と突っ立っているナタリアを尻目に、マキシム様は私に向き直る。
「……ユリア」
「は、はい……っ」
「今はまだ傷心の貴女の心に入り込めるとは思っていない。俺はそこまで図々しくはない」
……やっぱりあれって、私のこと?
「取り急ぎ、すぐに移り住める場所を確保した。勝手に決めてしまい申し訳ないが、貴女さえ問題なければ俺の提案に甘えてはもらえないだろうか」
住む場所。ものすごく重要だ。
「い、いいのですか?」
「俺の意気地のなさから発生したことだ。償いをさせてもらいたい」
住む場所、大事。大切なことなので、二度言った。
懇願するような黒い瞳に絆された訳じゃ、きっとない。ただ必要にかられて。
「で、では……お願いします。助かります」
「本当かっ!」
私の言葉を聞いた瞬間、マキシム様の美形な顔に満面の笑みが咲いた。……はううっ! 眩しい!
「では、荷物を運ぶのを手伝おう。明日、家に伺ってもいいだろうか」
ワクワクが見て取れる顔を見せられて、嫌だなんて言えるだろうか。それに彼は、恩人だ。
「……はい」
小さく笑うと、マキシム様はへにゃりと蕩けたような笑みを浮かべた。
◇
嵐のような出来事があった翌日。
元々引っ越す予定だったので、荷物は殆ど片付いていた。質素な暮らしをしているから、物も多くない。
奮発して購入した花嫁衣装は、思い切って売り払った。未使用品だから、それなりの値段で買ってもらえたから、もうそれでいい。
マキシム様が迎えに来てくれて、荷物を馬車の荷台に詰め込んでくれた。馬車が先に行ってしまうのをいいのかと尋ねると、「歩かないか? 到着前に伝えたいことがある」と言われたので会話がてら並び歩く。
「そういえば、家賃についてお聞きしてなかったのですが」
「家賃は不要だ」
「え? でもそういう訳には」
私と違って育ちがよさそうなので、お高い所を選んだんじゃないかと心配していた。でもまさか家賃不要とは、いくらなんでも甘えすぎな気がする。
マキシム様が、まだ少し距離がある、とある立派なお屋敷を指差した。
「あそこがユリアの新たな住処だ」
「はい?」
何言ってるんだろう、この人。
本当に意味が分からなくてぽかんとしてマキシム様を見上げると、マキシム様は私の手をしっかりと握って引っ張り始めた。これ、逃さないつもりだな。
「部屋が沢山余っているんだ。遠慮することはない」
「ちょ、ちょっと待って下さい! これってもしかして、イサエフ家のお屋敷じゃないですか!」
マキシム様が、意外そうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
「俺の名前も知らなかったのに、もしや興味を持って調べてくれたのか」
喜ぶところ、そこ!? 普通は「不敬だ!」とか言って怒る方だよね!
あの後、マキシム様のことを周りに聞いたら、あっさりと答えが返ってきたのだ。彼はイサエフ伯爵家の次男で、父親は王宮に勤務、兄は離れた場所にある領地の管理を任されている。
マキシム様は家督を継ぐ必要がない為、それまでは領地で兄を助けていたけど、兄の結婚を機に王都へ移動。父親の口利きで騎士団に入団すると、メキメキと頭角を現した。その実力と勤勉さを買われて、たまたま空きがでた黒の騎士団の団長に任命されたのが、最近の話だという。
非常にもてる容姿をしているけど、険しい顔つきから声を掛けられる女性が少なく、また声を掛けられても「想い人がいる」と即座に振ってしまうという一途な人だそうだ。
そして、聞いてもいないのにマキシム様が語り始めた。
「昨年王都に来たばかりの頃、右も左も分からず、道に迷ったことがあった」
「入り組んでますもんねえ」
「道行く人に尋ねてもさっぱり分からずこれは野宿かと覚悟した時、店の使いの最中だというユリアに出会った」
全然覚えてない。
「姿勢の美しい女性だな、というのが第一印象だった。凛とした美しさから話しかけ辛さもあったが、目を奪われている間にとある老婆が転倒し、ユリアは駆け寄ると助け起こし、散らばった荷物を全てまとめてあげていた。道行く他の人間は、みな素通りだったというのに」
あったっけ。でもまあ、多分やったんだろう。ああいうのは、見ていて放っておけない性分だから。
「しかも老婆の家まで荷物を運んであげていた姿を見て、俺は目が離せなくなっていた。手伝おうと声をかけようとしたのだが、これまで女性に免疫のなかった俺は二の足を踏んでな」
「免疫なかったんですか」
「申し訳ない」
別に謝らなくてもいい。
「どうしようかとウロウロしている時に、なんとユリアが話しかけてきてくれたのだ。『迷子ですか』と」
覚えてないけど、多分それ私だ。というか、多分マキシム様が余程不安そうな顔をしていたんだと思う。母性擽り系は弱いからな、私。
「俺は即座に頷いた。緊張のあまり何も話せず、その時は案内してもらって別れてしまった。だが、黒の騎士団の城周りの巡回を行なっている時に、再び貴女を見かけたのだ」
マキシム様が、「堪らない」といった表情で胸を押さえる。なにその仕草、可愛いんだけど。でも私の手を握る手は、一切緩めない。
「貴女は笑顔で八百屋の店主と話をしていた。可愛くて話したくて、だが俺はこの通り見た目が怖いからな。どう話しかけたら怖がられないかと考えていると、レナートが俺に声を掛けてきたんだ。『あの子が気になるんですか? どこの誰か、調べてきましょうか』と」
なるほど。そういうことだったのか。
マキシム様が、苦しそうに眉間に皺を寄せる。表情、案外豊かだよね。
「俺は馬鹿だった。だがその提案に乗り、酒場で他の者がサボる中キビキビと働くユリアを見られて、あまりにも幸せで……!」
この人、滅茶苦茶初心なんだな。可愛い……いや、まてまて。相手は伯爵令息だからね。
マキシム様が、いつもの目力たっぷりの顔に戻った。
「今回のことは、全て俺の不甲斐なさに原因がある。だから俺は今後、どんなに無様だろうがユリアの心を手に入れる為、全力で口説くことに決めた」
「いや……でも私平民……」
マキシム様は私の言葉を遮って続ける。
「両親にも話は通してある。『あの一生独身かと思っていたマキシムが恋をするなんて』と母上は泣いていらっしゃった。そして嬉々として、現在貴族の養子の受け入れ先を探していらっしゃる」
「はい?」
「身分が障害となるなら、それを取り除けばいい。なに、母も元は平民出の人間だから、気安いと思う」
マキシム様が、照れくさそうに微笑んだ。いや、照れる問題じゃないよね? 私の知らないところで話がどんどん進んでるんですけど?
「勿論、ユリアの気持ちが俺になければ無理強いはしないから安心してほしい」
「あ、安心しました」
「だが、口説くのは遠慮しないから心得ておいてくれ」
……真っ直ぐな目力たっぷりの眼差しでそんなことを言われたら。
「そ、そう簡単に落ちると思わないで下さいね……っ」
意地っ張りの私が出てきたけど、マキシム様は嬉しそうに笑い。
「望むところだ」
と言うと、私の頭に優しいキスをひとつ落としたのだった。
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お読みいただきありがとうございました!
※2023/6/9現在、あほ口調の呪いにかかった残念令嬢の短編を書いていまして、明日辺り投稿できればと考えております。
よろしけれはそちらもぜひ覗いていってみて下さい。