09
「ごめんください」
アクヤは努めて明るく声をかけた。
紫色にぼぅっと輝く屋台の向こう側には、コック帽を目深に被った、コックコート姿の男が立っていた。
釣り上がった目が赤く輝き、顔は真っ黒だった。
ギロッ
男がアクヤの足元にいるボスモフを睨みつけた。ボスモフが慌てて、アクヤの肩に飛びのる。
それを一瞥すると、背後を向き作業を始めた。小気味のいい音とともに、肉の焼ける香ばしい匂いが辺りに広がる。空腹と、久しぶりに嗅ぐ美味しそうな香りに、口の中が唾液であふれそうだった。
くるりと振り向いた男が、葉っぱに包んだ肉をカッティングボードの上に乗せ差し出す。
食べろということのようだ。
お言葉に甘えて全部頂いた。
「美味しいですわ。ただ…… 」
完食したアクヤが、動きを止め口を開いた。
それを、男が不思議そうに見る。
「少し火が入りすぎてお肉が硬くなっています。表面を焼き上げた後は、余熱を利用するといいですわ。それに、こう言ったステーキでは、よりジューシーなロースの方がオススメです。このお肉は何処産のものになります?やはり、豚肉といえばお隣のシスメニア王国のリュー農園が有名ですわ。肉質が柔らかくて、上品な甘みがあるのが特徴です。我が国では、サリエル牧場が一番ですわ。エサにハーブを混ぜていらして……。シェフは牛肉もお料理なさるの?
牛肉はマルシア帝国のイースタン牧場がいいですわ。広い農園でストレスなく育てることで、臭みがなく……。巻いている葉っぱは何のお野菜ですの?少し苦味が強い気がします。それでいて辛味が弱いですね。インチュの葉っぱの方がこのお料理には合いそうですわ。採取された時期は?少ししなびれている気がします。やや、風味が損なわれているのはそれが理由でしょう。葉物野菜は採取したら数時間の内に使い切るべきで……」
いつの間に、シェフは壁に寄り掛かり、肩で息をしていた。その額には、薄らと汗が浮いている。
(しまった、話が長すぎてシェフが疲れ切っているじゃない)
このときアクヤは、全く、気付いていなかった。
自分が言葉を発する度に、シェフの全身を駆け巡る雷線と、苦悶の表情浮かべ身体をピクリと震わせるその姿、に。
「あら、やだ。私ったら、つい語りすぎてしまいました。
今日は、もう、結構ですわ。また、今度美味しいお料理を期待しています。ごちそうさまでした」
焦ったアクヤが、そそくさと立ち去る。残されたシェフは、その場に崩れ落ちた。
アクヤは知らなかった。まさか、自分の言葉一つ一つがシェフの精神を口撃し蝕んでいようとは。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、あの屋台、お客さん入っているの? 」
アクヤが食べた感じだと、可でもなく不可でもなくといったところだった。
そもそも、客の少ないこの場所で繁盛するとは思えなかった。
ミズタンが言うには、偶に訪れた客が、ずーーーーっと食べ続けているらしい。
そのうち、客がいた場所に肉塊が置かれているのだと。
確かに、それだと客が少なくても上手くいく?
お客さんは、食材を置いていく仕組みのようだ。
アクヤ達は、また、水場を目指していた。
一滴と一匹が言うには、やはり、水場は比較的安全らしい。
ボスモフたちは例外で、あの水場が彼らの縄張りだったそうだ。散歩に行って帰ってきたらアクヤ達がいて、排除しようとしたのも束の間、眠くなったのだという。
今むかっている場所は、誰の縄張りでもないそうだ。
そんなことを話している内に、目的地についた。昨日の水場と同じ様な造りだった。
ミズタンが触手を伸ばし水分補給を始める。
結構な距離を歩いたため、ウォーターサーバーが多いに活躍した。
ミズタンの天然水は、口煩い貴族の舌をも虜にした。美味しすぎて、アクヤは湧き水を飲む気になれなくなってしまった程だ。
今日もミズタンベッドがアクヤを呼ぶ。
伸びてきた触手に身を任せると、抱き上げられそっと下ろされた。
ポヨン、ポヨーーン
相変わらずの心地良さに、瞼が重くなる。
昨日の反省を活かし、先に見張り当番も決めた。
念の為、大きくなったチビモフモフが、アクヤ達を中心に囲んで護衛している。
チビモフモフ魔法は、元に戻すこともできるようだ。指輪から紫色の光が発せられ、チビモフモフに当たると元のサイズに戻った。
余剰まそ? をチビモフモフの体に戻したのだと、ミズタンはアクヤに言う。
よく分からないその説明は、最高の子守唄となりえ、アクヤは、すとんと、眠りの世界に落ちていった。