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「それじゃ、アクヤ。いくよ」
お兄様が、優しく言う。思わず、お兄様の肘に通した手に力が入ってしまった。
「ふふっ、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。アクヤは、いつでも可愛いのだから」
お兄様の一言で思わず赤面してしまう。しかしそのお陰で、ふっと、肩の力が抜けた。
「まぁ、お熱いこと」
後ろで魔女がつぶやく。
「あのっ……」
こんな格好をして、どこに行くのか聞こうと思ったその時だった。
ぱあぁぁぁんっ!
勢いよく、扉が開いた。
パパパパーン!
パパパパーン!
ぱぱぱぱっ、ぱぱぱぱっ、ぱぱぱぱー
ラッパの音が鳴り響く。
真っ白な大広間には、魔衆と音楽隊、そして、お父様達が控えていた。
「いくよ」
お兄様が、そっと、またつぶやく。
そして、赤いカーペットの上を歩き始めた。
音楽に併せ、2人はゆっくりと進んで行く。
ついに、大きな薔薇の造花?の前へと辿り着いた。
アクヤを、そっと、水操玉チェアーへと座らせてくれる。
「忙しい中、僕の、いや、僕達のために集まってくれて、ありがとう」
くるりと振り返ったお兄様が、挨拶を始める。
「皆に聞いて欲しいことがある。
僕は、ある人を探している。そして、その人を妃に迎えたいと思っている。これを見てくれ」
そう宣言したお兄様が、ポケットから何かを取り出し上に掲げた。
その指先には、小さな宝石が握られていた。
「ある晩、僕は迷宮で水操玉と踊るご令嬢を見つけた。それはそれは美しく、迷宮には相応しくないほど可愛かった。咄嗟に、声を掛けようと思った。でも、出来なかった。僕は野獣で、いつ、理性を失うか分からない。
下手をしたら可憐な彼女を、襲ってしまうかもしれなかった。
そう思い悩む内に、彼女達は姿を消してしまった。僕はガックリと肩を落とした。
でも、そんな僕にも光がさした。
彼女たちが踊っていた場所で、何かがキラリと光ったんだ。
そこには宝石が落とされていた。僕は、運命だと思った。
これでまた、あのご令嬢を探せる。そして、返すのを口実に話かけられる、と」
お兄様が、一息ついた。
バズが、グラスを差し出す。
一口喉を潤すと、再び、話し始めた。
「そして、その時は直ぐにやってきた。
彼女から僕に逢いに来てくれたんだ。僕は嬉しかった。そして、怖かった。
怖かったけれど、意を決して彼女の
元に向かった。宝石を返すために。
でも、やっぱり、僕は魔獣で彼女に襲いかかっていた。直前まであった理性なんか粉々に吹き飛んでいた」
お兄様の独白に、場が静寂に包まれる。
「ギリギリのところで、バズとオニオーが止めてくれた。そして、逃げろと忠告するバズに逆らってまで、彼女が僕を正気に戻してくれた。
でも、いつまた僕が襲いかかるとも、分からない。とても寂しかったけれど、僕は彼女を地上に返すことにした」
「そして、お別れの時、またしても、彼女は驚くべきことをやってのけた。僕を人間に戻してくれたんだ。というか、その時初めて、僕は自分が人間だったことを思い出せた。
あまりのことに、僕は宝石を返すのすら忘れて、彼女を地上へと戻してしまった」
「そこで、君たちに聞きたい。
誰か、この宝石の持ち主を知らないかっ!! 」
急にお兄様の語り口が、芝居臭くなる。
これは幼き日、何度となくお兄様にやってもらった遊び『シンデレラごっこ』の一説だった。例の東の国に伝わる、洋の国のお話『シンデレラ』に、アクヤが成りきる遊びだ。
アクヤが演じる『シンデレラ』は、お兄様と踊ったあと、慌てふためくあまり水操玉でできた靴を忘れてしまう。そして、お兄様が言うのだ。
『誰か、この靴の持ち主を知らないかっ!! 』
そこに登場するのは、いつも、アンと決まっていた。
「そっ、それを忘れたのは、私ですっ!! 」
アンが飛び出す。
真っ白にお白いを塗り、頬には不自然なピンク色、唇にはドギツイ紅がさされていた。嘗て、アクヤがあげた水色のドレスに身を包んでいる。
「ふむ。では左手を」
「はい」
前に進み出たアンが、左手を差し出す。お兄様が指輪に宝石を嵌めようとした。
「きっ、貴様、謀ったな!! 」
嵌るかに見えた宝石は滑り落ちる。
「そっそんな、滅相もありません」
「スケさん、カクさん、このモノを連れて行け」
そして、大好きな2人の従者が、アンを連れていくのだ。
「いえっ、私が、わたくしがーっー!! 」
「ふむ。やはり、今度も違ったか」
ガックリと肩を落としたお兄様が、辺りをキョロキョロと見渡した。
「あっ、貴女は」
そして、アクヤと目が合う。
ゆっくりと、アクヤの前にやってきた。
「貴女は、これの持ち主では有りませんか? 」
立ち上がるアクヤに問う。
「……ええ」
「僕は、これの持ち主の女性を妃に迎えたいのです」
急に、お兄様の声音が現実味を帯びる。
「ひっ、妃っ!?
私は、その、王子妃教育も途中で投げ出し、この様な迷宮を攻略してしまう女です。とても、とても、アルマニア王国を背負うお方の妃になど……」
しぃーっ。
お兄様がアクヤの口に、そっと人差し指を添えた。片目を瞑り、微笑んでいる。
「僕は、そんな、貴女に惚れたんだ。王子妃教育から投げ出され、数々の逆境をもろともせず、魔衆を従えて迷宮を攻略し、魔政婦とともに名宮へと変貌させた、アクヤ・クレイ嬢を」
「おっ、お兄様……」
「……そろそろ名前で呼んで欲しいな」
「ぜっ、ゼフリード様」
「ゼフ」
「……ゼフ様」
「まだ硬いけど、今は合格としよう。
アクヤ、指に嵌めても? 」
お兄様が問う。
これが嵌ったら、アクヤはお兄様……ゼフ様の妃になってしまう。
シンデレラになりきっていた当時、当然だと思っていた、しかしその数年後、それは叶わぬと夢なのだと絶望した、お兄様のお嫁さんに。
お兄様が、跪く。
そして、アクヤの左手に宝石を嵌めようと手を伸ばした──
ビュっ!!
──その時だった。
薄紫色の幕がお兄様の指、いや、宝石を目掛けて襲いかかった。
「うわっ!? 」
驚いたお兄様が尻もちを着く。
薄紫色のベールに、頭から包み込まれていた。
(えっ!? 宝石が嵌らなかった。というか、ミズタンが居たら嵌らない? そんなの、嫌だ)
焦ったアクヤが行動に移す。
ミズタンべールを捲り、そのまま口付けをした。暖かな何かが、アクヤからゼフ様へと流れ込んでいく。それは、ゼフ様の体内を巡り、ミズタンベールへと集まって行った。
「ゼフ様、絶対、幸せにします。
私と、結婚してくださいっ!! 」
きょとんとするゼフ様。
「……はい。……喜んで」
数瞬の沈黙のあと、優しい笑みを浮かべたゼフ様が、抱きしめてくれた。ミズタンベールが光を満ち始める。
拍手と歓声が沸き起こった。
呼応するように、後ろにある大輪の薔薇も光を放ち始める。その輝きは、いつしか、ミズタンベールをも凌ぎ、広間全体を照らしていく。
魔衆一人一人が、姿を変え始めた。
小鬼は可愛らしい少年に、骸骨戦士はイケメン騎士に、魔政婦は美しい家政婦に。とんがり帽たちは、魔女っ子まじょじょに。
シェフは恰幅のいい壮年の優しそうなコックさんに、スケさんは色気のある色白王子に、カクさんは眉が太く凛々しい剣士へと変貌していた。
「これが明桜様の真実の愛なわけ? 」
アピスが困惑気味に呟く。
「素晴らしい茶番でしたわ」
ミランダが手を合わせうっとりと呟いた。
「アクヤ、本当に美しいわぁ」
「よかった。ゼフが、居てくれて」
両親も祝福してくれているようだ。
「あーあ。なんか、悔しいな」
「ええ。実に」
「……」
(なぜ、我らは人体化せぬのだ)
静かに嫉妬する三体の人魔と、嫉妬の方向性が異なるニ匹の人狼。
「はぁ。プロポーズぐらい、カッコよく決めさせて欲しかったなぁ」
ゼフ様が、アクヤを抱きしめながら、ポツリと呟いた。
アクヤの左手薬指には、ミズタンに抱えられた宝石が、きらきらと輝いていた。
「あっ、そうだわっ! 折角だから、ビーナ達のことも、一緒にお祝いしましょうっ! 」
「「「えっ!? 」」」
アクヤがパッと顔を輝かせた一方で、絶句する一同。なにより、バズとビーナが固まっている。
「ゼフ様とアクヤ様の挙式に便乗するなど、とんでも有りません」
「そ、そうです」
「いいから、前に来なさい。
ゼフ様、よろしいですよね? 」
「ふふっ。アクヤらしいなぁ。
いいよ。折角だから、二人とも前においでよ」
困惑したようにおずおずと、二人が前にでてくる。
「可愛いけれど、いつもと一緒じゃつまらないわね」
「あら、面白そうじゃない?
協力してあげても、よくってよ? 」
魔女まで、歩みでる。
「本当ですかっ! ありがとうございます!!
」
「礼には及ばないわ。そもそも、妖精蜂のショートドレスも私の作品なのだから」
魔女が、ひらひらと手を振る。
通りで、妖精蜂も、そのショートドレスも可愛いわけだ。
「アブディ、カタブリィ、ブーーーーラッ! 」
アクヤが納得している間に、煙管が振るわれた。
忽ち、ビーナを糸が包み込み、駆け抜けていく。
「おおっ! 」
ビーナが再び姿を現すと、広間は歓声に包み込まれた。鮮やかな黄色のドレスを身にまとっている。
アクヤと対を成すデザインのそのドレスは、アクセントととして紫色のレースがオシャレにあしらわれていた。
「かっ、可愛い」
魔執事のつぶやきに、頬を染め俯く妖精蜂。
アクヤが両者を並ばせ、その前に立った。
「えーっ、新郎バズ。
貴方ははここにいるビーナを
病める時も 健やかなる時も
富める時も 貧しき時も
妻として愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか? 」
「……誓います」
バズが戸惑いながら答える。
「新婦ビーナ あなたはここにいるバズを
病める時も 健やかなる時も
富める時も 貧しき時も
夫として愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか? 」
「誓います」
頬を染め、静かに答えるビーナ。
「で、では、ちっ、誓いの口付けを」
何故か、一番緊張した面持ちのアクヤ。
バズが観念したように、そっと、ビーナに近づいていく。
「きゃーーーーっ!! 」
二人が顔を寄せあった瞬間、頬を真っ赤に染めたアクヤが叫んだ。両手で目を覆っていた。
(なんでお前が一番興奮してんだ。つーか、お前、ヤリまくってんだろ)
オニオーの呟きは、わき起こった拍手に掻き消されていた。
パチンっ!
シェフが指を鳴らす。
丸テーブルが出現し、次々に料理が運ばれ始めた。
馴染み深い料理は、シェフと王室料理人達の手により、特別なものへと変えられていた。
ゆで卵は、可愛く飾られたデーモンエッグに。
トトポタージュには、コーンが加えられ、さらに、甘みとまろやかさが増していた。
お婆ちゃま特製のきのこスープは飴色に煮立ち、鶏の旨みが存分に味わえる逸品になっていた。隠し味に、紅飴が入れられているとか。
メリサが紅飴をヒントに丁寧に練り上げたという白乾酪は、程よい酸味と深いコクがあり、白ワインに溶かし新鮮な野菜につけて食べると絶品だった。
そして、何にも増して、メインの肉ッぱ巻きは秀逸だった。
臭みのない牛肉──きっと、イースタン牧場の牛だ──がこんがりと両面に焼き色が付けられ、赤ワインで蒸し焼きにされていた。
芳醇な香りを纏ったその赤身肉は、しっかり中まで火が入りつつも、しっとりと柔らかい。
外側に巻かれたインチュの葉っぱも、申し分がなかった。シャキシャキと新鮮で、ピリッとした辛味が、肉の脂分をサッパリと食べやすくしてくれていた。
「シェフ。覚えていくださったのですね。とても美味しいです」
感激のあまり、給仕してくれているシェフに声を掛けてしまった。
「……やっと、満足のいくものをお出しすることが出来ました」
シェフがにっこりと微笑んだ。
アルマニア大名宮での宴は、その後数時間続いた。
みな、思い思いに料理や会話、そして、ダンスを楽しんでいた。
「アクヤ、こっちだ」
披露宴を無事終え、夜着に着替えたアクヤを、ゼフ様がエスコートしてくれる。
特別な寝室が用意されているらしい。
少し、緊張する。なんといっても、初夜だ。
「開けてごらん」
ゼフ様に促され、アクヤがゆっくりと扉を開いた。
「まぁっ!! 」
アクヤが小さく叫ぶ。
正面のテーブルには、所狭しとお菓子が並べられていた。
「これらは、どうされたのです? 」
その一つ一つを、アクヤが手に取っていく。
兵隊さんの缶かんや、可愛らしい動物が描かれた紙箱、色鮮やかな包み紙。
そのどれもこれもが、幼い頃にお兄様から頂いたお土産の数々だった。
貰った時の光景が、次々に思い起されていく。
それらの大切な思い出たちは、ジョゼフ王子やレイラの手により、尽く焼き捨てられた、と聞いていた。アクヤの存在とともに……。
「アクヤ」
夢中になっていたアクヤが、振り返る。
「おにい……あっ……」
ゼフ様、いや、お兄様が、いつかのクッキーを手に跪いていた。
「一緒に食べようと思って、方々から取り寄せた。
長い間、約束を守れなくてごめん。
これからは、アルメニア大名宮で、ずーーっと一緒だ。
ずーーっと一緒に、食べていこう」
「ずーーっと、ずーーーーっと、お約束ですよ」
お兄様の首に抱きついたアクヤが、念を押す。
「うん、約束だ」
アクヤをひょいっと抱き上げてくれた。
「でも、その前に──
僕のとっておきを、頂かなくちゃ」
耳元で、優しくそう囁やかれた。
ゼフ様が、愉しそうに笑っている。
「えっ! 」
ベットの上に、そっと、降ろされた。
「えっ!? あっ、あの、もう一度シャワーを……」
唇が、塞がれた。
そのまま、激しい愛撫が、首、胸元、さらに下の方へと落とされていく。
「……もう、待てない。
大丈夫。アクヤはいつでも可愛い」
身体から、ふっと、力が抜けていった。
ベッド脇サイドテーブルの上でも、二人を見守るように、指輪がきらきら、すりすりと輝いていた。
◇ ◇ ◇
「おばあちゃまっ! また、ゼフ様が働きすぎていますっ!! 」
「あの坊やも困ったものね。その一途さで、身に魔をやどし、この迷宮を攻略できたのだろけれどねぇ」
お婆ちゃまが言う。
ちなみに、魔衆に従者系のモノが多かったのもゼフ様が原因らしい。
とくに悪魔は、冥王様の意思を受けやすく、それにあった姿に変貌するらしい。
「集中すると魔力を使うから、紅茶をもっいっておやり。
あと、アクヤちゃんが、傍にいてあげるのが、何よりの薬になるんでは、ないかねぇ」
お婆ちゃまがにっこりと微笑んだ。
「わかりました。紅茶をお持ちして、私も1日も早く、ゼフ様のお力になれるよう、お傍でお勉強してきます」
アクヤは立ち上がる。
そして、冥王様の書斎へと向かっていくのだった。




