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ずずっ、ずずっ、ずずっ
壁伝いに、こちらに背を向けたまま二人の魔物が近付いてくる。
「あのっ、御取り込み中の所、申し訳ありませんが、そろそろ、外界の状況が……」
「おっと、そうだった。久しぶりのアクヤとの時間を楽しみすぎちゃった」
お兄様が、微笑む。
温もりが遠ざかっいくのが、なんとも口惜しい。
「続きは、また後でね」
お兄様が囁く。
物足りないことが顔にでてしまったようだ。一気に顔が赤くなる。
「可愛いなぁ」
形のいい目を細めて、お兄様が愛おしそうに笑った。
「あの……」
「わかっているよ。ヘテプ正教会だよね」
バズの問いに、お兄様が顔を引きしめる。一気に迫力が増した。
「王家に牙を向いたこと、後悔させなくちゃ。でも、どうしたものかな」
また、お兄様が思考の海に入り込んだ。アクヤは完全に蚊帳の外だ。ヘテプ正教会ということは、また、レイラが絡んでいるのだろう。
そうだ、お母様とアンは無事なのだろうか。
お兄様の邪魔をしたくなくて、言い出せない。
何気なく外に視線を向けると、四葉のクローバーが目に飛び込んできた。
「まぁっ! 」
考えるより先に体が動き、駆け出していた。
幼い頃、それを見つけると幸運が訪れるというお話をお兄様から教わって、庭園を一緒に探しまわった。
日が沈むまで、何日も何日も。
しかしながら、結局見つけられず、アクヤは大人達を散々困らせた。
お兄様は、そのことを覚えてくれていて、数年後、任務の合間に見つけてきてくれたのだ。
「本当は、一緒に探したかったのだけれど……」
少し申し訳なさそうに手渡されたことを、昨日のことように覚えている。
アクヤのために、何年間もずっと、探してくれていたことが何よりも嬉しかった。
今も、本棚に栞として眠っているはずだ。
(今度こそ、一緒に見つけられる)
「アクヤっ! それ以上はダメだっ! 」
お兄様の怒声で、現実に引き戻された。急激に力が抜けていく。アクヤはその場にヘナヘナと座り込んだ。
「大丈夫かい? 」
慌ててやっきたお兄様に、抱き起こされた。
「あれっ? 全然平気だ……」
お兄様が狐に摘まれたような顔をしている。ダメージ覚悟で、ここまで来てくれたのだろう。
「アクヤ、それ」
お兄様が指輪に視線を落としている。
「お母様の指輪です。宝石は無くしてしまいましたが、今はミズタンが嵌っています」
「みずたん? 」
「ああ、えーっと、迷宮で最初にであったスライムのことです」
「なるほど、スライムねぇ。その子、ただのスライムじゃないね。液晶スライム、いや、もう魔晶スライムにまで進化している? 」
お兄様は、1人でぶつぶつと呟くと、盛大に、ため息をついた。
「アクヤはいったい、迷宮でどんな冒険をしてきたんだい? 」
そして、呆れたようにそう呟いた。
「……あの、私達は、迷宮から離れられないのでは? 」
「ははっ。やはり、アクヤは気づいていないんだね」
お兄様が苦笑する。
「みずたんが、魔晶石代わりになって、僕らに魔素を供給してくれているから、外に出られるみたいだ」
「ましょうせきがわり」
アクヤが呟く。
「相変わらずのお転婆姫に困り物だけど、お陰で、道が開けたよ」
お兄様が、はい、と、四葉のクローバーを渡してくれる。
「今度こそ、一緒に見つけられたね」
「……はい」
アクヤが、そっと、受け取り胸に押し抱く。
「僕の幸運のお姫様、僕と一緒に、暫しお付き合い頂けますか」
お兄様が片手を、恭しく差し出した。
「ええ、喜んで」
どこへ行くのか、何をするのかすらも確かめず、お転婆姫は即答で差し出された手に手を重ねていた。
「そう言えば、私はどうして力が抜けたのでしょう? 」
座り込んでしまった理由を聞く。てっきり、迷宮から離れたからだと思っていた。
「……きっと、運動不足だよ。ちゃんと、体を動かそうね」
「まぁっ! 」
顔が、また、火照っていく。
それを見て、お兄様が愉しそうに笑っていた。




