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「……ぅぐっ。
わっ、冥王様、アクヤ様を、なっ、泣かせては……なりませんっっ」
バズの声に、アクヤが恐る恐る視線を上げる。
剣先が、オニオーの首筋数センチの所で制止されていた。相変わらず、力が込められているようで、ぷるぷると震えている。
冥王様が羽交い締めにされていた。
グオォォォォーーンッ!!
「後のことは魔衆に任せて、アクヤ様だけでもお逃げくださいっ!! 」
苛立たしげに踠き咆哮を上げる冥王様。
それを必死に抑えながら、バズが叫んだ。右太もも側部には、何時ぞやの香水瓶がひっくり返され深々と突き刺さっていた。
「お急ぎ下さい。もうっ、限界です」
「ミズタン、オニオーをお願い」
力尽きたように座り込むオニオーをミズタンが包み込む。
グオォォォォーーンッ!!
冥王様が、再び、叫んだ。
それに合わせ、周囲の魔衆がムクリと起き上がった。皆、一葉に無表情で、胸の前に突き出された両腕からは、手首がだらり下げられている。
「急いでっ!! 」
ぴょんっぴょんっと、今にも襲いかからんとする魔衆をみて、バズが急かす。
しかしながら、全く、任せらる状況ではなかった。
何よりアクヤ自身、大切な彼らを置き去りにして、自分だけ逃げるなどという選択肢は持ちあわせていなかたった。
第一、迷宮を去り、今更、どこへ行けというのだ。
そのぐらい迷宮は思い出深い場所になっていた。
捨てられたアクヤを救ってくれたのが、迷宮であり、魔衆なのだから。
(今こそ、女王が魔衆を救う時だわ)
力が漲り始める。
不思議と成すべき事が理解できた。体が自然に動く。
「なっ、何をなさっているのですっ!! はっ、はやっ……」
意に反して、冥王様に抱き着くアクヤを見て、バスがぎょっとしたように叫んだ。
憎しみを迸らせる冥王様に両腕を回し、静かに安寧を祈る。
シューーーー
巨体から、魔素が抜けていき指輪へと吸い込まれていった。
何故だが、オニオーを包み込んでいるミズタンが輝きはじめた。
冥王様が踠くのを辞めた。紅い目には、黒い瞳が宿る。
それに合わせ、魔衆が動きを止めた。表情が戻っていく。その多くが突き出された両腕を、不思議そうに眺めていた。
冥王様がクルリと、後ろを振り返った。
「もっ、申し訳ありませんっ! 」
バズが、慌てて腕を振りほどく。
長剣も虚空へと収納された。
「えっ」
抱きしめていた腕が、そっと、解かれた。そして、身体が、ふわりと浮かぶ。
アクヤは、この感覚を知っている。
大好きで、何度も何度も切望した、この感覚が忘れられるはずもなかった。
(……でも、なぜ)
思わず、困惑する。
「冥王様が、アクヤ様をお見送りなさるそうです」
バズが、そう告げる。
その時、バズの右太ももが、ちらりと見えた。
「貴方……」
「妻の力を借りてしまいました」
恥ずかしそうに照れるバズは、とても幸せそうだった。




