04
アクヤは、無我夢中で走っていた。
脳裏に先程の地獄絵図が焼き付いて離れない。
まるで、次はお前の番だと告げられているようだった。
あの血の匂いが、良からぬものを呼び寄せるであろうことは、アクヤでも容易に想像できた。
少しでもあの場から離れなければならない。その一心で足を動かした。
膝は笑い始め、自分が何処から来て、何処にいて、何処を目指しているのかすら、もう、分からなくなっていた。
それでも走り続けていると、幅10メートル程の通路に、大小様々な岩々が点在する地帯に行きあたった。
一際大きな岩の陰に飛び込む。
体を極限まで縮め、気配を押し殺した。
幸いこの洞窟は、足元に光る石があるだけで、そこまで明るくはない。
アクヤの潜む場所はちょうど影になっているため、遠くからでは気付かれないだろう。
加えて、真正面数メートル先にも、一回り小さい岩が鎮座している。
そのお陰で、完全に身を隠すことができた。
逆に言えば、逃げ場がないということだが、アクヤの実力では、見つかった時点で終わりだ。如何せん、戦闘経験など皆無なのだから。
アルマニア王国の貴族子女は、基本的に戦闘には参加しない。これは、王立学園でも、だ。
当然、学園内では王子とアクヤは別行動になる。しかし、聖女はこの限りでなかった。
実際に従軍することになる彼女らは、最低限の護身術を身につけねばならない。
いざと言う時のために、男性陣が聖女を守る訓練も必要だ。
加えて、高い魔力が保有する聖女は、優秀な魔術師にもなりうる。
結果として学園がある日は、アクヤと王子よりも、レイラと王子の方が行動を共にする時間が長かった。
そう考えると、ジョゼフ王子とレイラが急接近し、アクヤとの溝が深まったのは、必然だとも言えた。
いや、今更そんなことは、どうだっていい。
脱線しかけた思考を戻すべく、アクヤは緩く頭を振った。手元にある短剣に、そっと視線を落とす。
これの意味するところは、自死だろう。
魔物に嬲り殺されるぐらいなら、と、恩赦のつもりかもしれない。
そんなことが赦されたのなら、アクヤは王家に憎悪の念を抱きながら死ぬことになりそうだ。
お兄様が命を賭してまで、守ろうとなさった王家に対して。
そんな最期は耐えられない。
恨みをゼロにすることは、できないだろう。
それならば、せめて明るいところで、欲を言えば、お兄様との楽しい思い出がたくさん詰まった、そして、一度はこの身を捧げることを誓った、誓えることさえ誇りに想った王城を、望める位置で晴れやかに逝きたい。
アクヤは心を決めた。
これから先は、その為だけに生きよう。
例えその過程で命を落としても、それを希望した自分のせいだと納得できる。
もう、過去を嘆くのはやめる。
前を向いて、目的達成のために突き進むのだ。
と、決めたはいいものの、結局その場から動けずにいた。
流石に疲労困憊だった。幽閉されて以来、何も口にしていない。その上、ここまで休まず動いてきた。
何か栄養源となるものを口にしたかった。
それにしても、衣服が不快だ。
相変わらずベタベタで、なにより、首にくっ付いた襟の辺りが、妙にゴツゴツとして痛かった。
「ん!?」
指でなぞってみる。
折り込まれた部分に、何かを縫い込んであるようだ。
周囲をそっと見回す。幸い、殿方は居ない。
上衣をさっと脱いで、短刀の刃を縫い糸に対し垂直に滑らせる。
中から、数本のひょろ長い干し芋と、大きな丸い透明な石の嵌められた指輪がでてきた。
ゴツゴツと不快だったモノの正体はコレであったようだ。
お母様とアンが密かに忍ばせてくれたのだろう。
アンはアクヤ専属の侍女だ。幼い頃から傍に仕えてくれる彼女は、アクヤのとってかけがえのない存在だった。
二人とも無事だろうか。
自らの身の上を考えると、とてつもない不安に襲われた。
指輪が襟元に隠されていたことから、二人はアクヤの追放先までは知らないようだ。
この指輪は日常的にお母様が嵌めていた。
クレイ公爵家に代々受け継がれてきた逸品で、相当貴重なもののはずだ。
きっと、何かあった時にコレを換金しなさい、という事のなのだろうが、当然、ここでは使えない。
娘が魔物の巣窟に捨てられると知っていたら、もっと別の物を忍ばせる気がする。
例えば、殺傷能力のある魔道具とか……。
何処かの街に追放だとか、体良く伝えられているのなら、もしかしたら、公爵家はそこまで重く裁かれていないかもしれない。
あくまでも、希望的観測でしかないが……。
アクヤは、無くさぬよう指輪を指に嵌め、干し芋を齧ることにした。
野盗のことを考えると、人目につかぬ所にしまっておくべきかもしれないが、幸いこの巣窟には魔物しかいなそうだ。
それに、そんなに都合よく小物をしまえる場所もなかった。
思考を巡らせながら、芋を口に運ぼうとした瞬間、その異変に気づいた。
頭上が幾分明るい。
視線をあげると、向かい側の岩の上で、水色に揺らめく水玉がゆらゆらと輝いていた。人の頭ほどの大きさだ。
それは、とても美しかった。
思わず見蕩れ──ては、いられなかった。
その幻想的な玉が、非現実的な速度で、アクヤ襲いかかってきたためだ。
「きゃっ!! 」
咄嗟に回避する。
座った体勢から、そのまま前にダイブした。
地面に転がる岩で、強かに手を打ち付けることになったアクヤは、思わず呻き声をあげた。