03
『アクヤ。また、お姉さんになったね』
『お兄様っ! 』
お兄様がアクヤの寝室を訪ねてくれた。
久しぶりの来訪に、思わず飛びつく。そっと頭を撫でられた。
自身の頭がお兄様の腰のあたりしかない事を悟り、これが夢なのだと分かってしまう。
それでも、嬉しかった。
お兄様は、アクヤの実の兄ではない。
現国王陛下の年の離れた異母弟にあたる。
騎士として国王陛下をお支えする傍ら、アクヤのことを実の妹のように可愛がってくれていた。
王家に忠誠を誓い、国王陛下にその身を捧げるお兄様は、アクヤとって自慢の『お兄様』だった。
唯一の不満は、忙しく飛び回るお兄様とは、こうした夜にしか会えないことだ。
『はい、これ。
アクヤへのプレゼントだよ』
さり気なく、包が渡された。
中身はクッキーだった。
お兄様はこいういった時必ず、アクヤの好物を持ってきてくれる。
このクッキーも遠くの街でしか手に入らない貴重なものだった。
『アクヤ、そんな顔をしないでおくれよ』
浮かない顔のアクヤを、覗き込むようにしながら、お兄様は困ったように言った。
お菓子はとても嬉しい。
甘いものは、大好きだ。
でも折角なら、お兄様と一緒に食べたい。
それなのに、こんな夜遅くでは食べられない。心の中は複雑だ。
アクヤのその気持ちを知っててなお、お兄様はお土産にお菓子を持ってくる。
アクヤが、お菓子を1番喜ぶことを知っているからだ。
『次の任務が一区切りしたら、当分、城に留まれる予定なんだ。今度こそ一緒に食べよう』
『本当ですかっ! お約束ですよ』
『うん、約束だ。
それじゃー、今夜は何の話をする? 』
お兄様がアクヤを、いつもの様にヒョイっと抱き上げた。
そのまま、ベッドに運んでくれる。
そしていつもの様に、アクヤが眠りにつくまで、異国のお話を聞かせてくれた。
お兄様に会えたのは、この夜が最後になった。
『何故お兄様は、お姿をお見せにならないのです? 』
大人達に、何度も何度も尋ねた。しかしながら、皆曖昧に微笑むだけで、何も教えてくれなかった。
そして、お兄様との約束が守られることは、終に、無かった。
これは、後になって知ったことだが、お兄様は何某かの職務中にお命を落とされたらしい。
その数年後、アクヤはジョゼフ王子の婚約者に選ばれた。
その時、心の中で誓った。
お兄様のご意思を引き継ぎぐことを。
そして、何があろうと王子をお支えし王家を守ってみせる、と。
◇ ◇ ◇
「おいっ! おきろっ!! 」
乱暴に起こされた。
近衛兵がアクヤを取り囲んでいた。
慌てて目元を拭う。
やはり、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
木綿製の簡素な衣服を、押し付けられた。
着替えろという事のようだ。
一応、席を外してくれたあたり、辛うじて人権はあるようだった。
と、思ったのも束の間、目隠しをされ連行されてしまう。
結構な距離を歩かされたあと、荷台に押し込められた。アクヤを乗せると、ゴトゴトと動き始めた。剥き出しの板の上に転がされている為に、車輪の振動が直に伝わり、とてもつらかった。
しばらくすると、振動がとまった。
時間にすると数時間だろうか。そんなに、遠くにはきていないはずだ。
「降りろっ! 」
乱暴に引っ立てられ、歩かされる。
足場が悪い上に、相変わらず目隠しをされているため、何度も躓きそうになった。
近衛兵たちの甲冑の擦れる音が木霊する。
体に触れる空気も、若干ひんやりと感じられるようになった。
どうやら、狭い通路を下らされているようだ。
暫く歩かされ、漸く、平地に出た。
「ギョぇぇぇぇぇぇエッ! 」
一息つく間もなく、耳を劈くような奇声に晒された。
近衛兵たちの緊迫した声とガチャガチャとした喧騒が、何某かのトラブルに見舞われたことを教えてくれる。
ザシュ!!
「ギャーーーーっ!! 」
何かを斬る音と、液体が飛び散る音が、凄まじい断末魔の叫び声により掻き消された。血の匂いが鼻にまとわりつく。何もかもが不気味だった。
目隠しがひったくる様に解かれる。
視界に飛び込んできたものは、地獄絵図だった。
白目を剥きながら倒れている小鬼が、小刻みに震えている。
その頭は陥没し、胴体からは内臓が飛び出していた。そして、その小さな体は血の海に沈んでいた。
呆然と立ち尽くすアクヤを尻目に、近衛兵たちが帰る準備をし始めた。
隊長らしき人が、一振の短剣をアクヤの足元に放り投げる。
「お待ちください。こんな所に置き去りにされて、この道具だけでどうしろとおっしゃるのです? 」
震える体を抱きすくめ、必死に叫んだ。
近衛兵たちは、無言で作業を続ける。
そして、隊列を組むと、下ってきたであろう坂道を上り始めた。
最後尾の男が、くるりと振り返る。
そして、剣を構えた。
その眼光は、氷のように冷たかった。
(殺されるっ!)
本気でそう思った。
アクヤは短剣をひっ掴むと、小鬼の死体とは逆側に無我夢中で走りだした。
初動がほんの数秒でも遅ければ、小鬼の隣に転がることになっていたかもしれない。
薄っぺらい衣服は、汗で体にべっとりと張り付き気持ち悪かった。
「きゃっ! 」
突如として大きな揺れにみまわれ、足が地面に捕われた。
轟音が鳴り響く。
慌てて振り返ると、男達が消えたはずの通路は既に存在していなかった。